トッド氏の正義論(10)

1)ドローンの作り方

 

トッド氏は、「西洋の敗北」(p,226)で次のようにいいます。

エンジニア不足には、民営化、外部委託、減税(補助金、筆者注)では対応できない。

このエンジニア不足は、エンジニア養成を優先させない政策のすべてを失敗に終わらせる。

 

強い言葉です。

 

減税は、政府から企業への所得移転なので、企業に対する経済効果は、補助金と同じです。なので、注を追加してあります。

 

原爆とミサイルを開発する場合を考えます。

 

優秀なエンジニアが必要になります。

 

これは、優秀な人材に、原爆とミサイルの技術習得をしてもらう必要があります。

 

原爆とミサイルには、市場がありません。

 

なので、大学に、原爆とミサイルが製造できるエンジニアコースをつくること、このコースを卒業したエンジニアの高い給与を保証する必要があります。

 

中国の「教育強国建設計画綱要(2024-2035年)」には、教育費を無償にすると書かれています。

 

すべての教育を無償化するには、大きな財源がかかります。このため、実施には、優先順位があります。

 

そこまで詳細には、書かれれていませんが、恐らく、原爆とミサイルが製造できるエンジニアコースには、高い優先順位が着けられているはずです。

 

ドローンを開発する場合、小型のドローンには、消費財の市場がありますが、軍用目的用の遠距離ドローンには、市場がありません。軍用のドローンは市販しているドローンより高性能である必要があります。

 

なぜならば、自国のドローンの性能が、対戦国のドローンの性能を上回らなければ、戦闘に勝てないからです。

 

したがって、ドローンの開発にも、原爆とミサイルを開発する場合と同じような市場原理によらないエンジニア育成が必要になります。

 

イランとトルコが、軍用ドローンを販売していて、なぜ、日本が軍用ドローンをつくることができないのかという問いは、エンジニア養成の違いで説明できます。

 

2)日本の技術者養成

 

日本の優秀な学生の第1希望の就職先は医師です。これは言うまでもなく、医師の給与が高いからです。

 

Copilotに聞いてみました。

 

Q:日本、韓国、タイ、マレーシア、インドネシアベトナムシンガポールのITエンジニアの給与を比較してください。

アジア主要国のITエンジニア年収比較(USD換算)

 

国名

平均年収(USD)

備考・特徴

🇸🇬 シンガポール

約51,929

東南アジア最高水準。ジュニアでも月3,703ドル、シニアで5,925ドル。

🇯🇵 日本

約42,464

安定して高水準だが、伸び率は低め。国内平均給与との差は小さい。

🇰🇷 韓国

約40,860

日本と同水準。情報通信業全体の平均年収とほぼ同等。

🇹🇭 タイ

約20,000前後

伸び率が38.3%と急成長中。IT職は他職種より高給。

🇲🇾 マレーシア

約18,000前後

情報通信業とIT職の給与差は小さく、伸び率も低い。

🇮🇩 インドネシア

約15,000前後

他職種に比べてIT職の給与が5.6倍と突出。急成長市場。

🇻🇳 ベトナム

約12,000前後

IT職の給与は他職種の3.4倍。給与水準は低いが成長率は高い。



傾向と背景

  • シンガポール外資系企業が多く、IT人材への投資が活発。給与水準は欧米並み。
  • 日本・韓国は成熟市場であり、給与は安定しているが、他職種との格差は小さい。
  • タイ・インドネシアベトナムはIT産業が急成長中。給与水準はまだ低いが、伸び率が非常に高い。
  • マレーシアはIT職と他職種の給与差が小さく、成長は緩やか。

Q:それぞれを、各国の医師の給与と比較してください。

こちらが、日本・韓国・タイ・マレーシア・インドネシアベトナムシンガポールにおけるITエンジニアと医師の平均年収比較です。各国の通貨を米ドル換算し、職種間の格差が一目でわかるように整理しました。

 ITエンジニア vs 医師 年収比較(USD換算)

 

国名

ITエンジニア年収(USD)

医師年収(USD)

医師/IT比率

備考・特徴

🇸🇬 シンガポール

約51,929

約96,000〜180,000

約1.8〜3.5倍

医師は高待遇。公立病院でも月7,000〜15,000SGD+手当。

🇯🇵 日本

約42,464

約100,000〜150,000

約2.4〜3.5倍

医師は安定高収入。勤務医で年収1,000万円超も一般的。

🇰🇷 韓国

約40,860

約80,000〜120,000

約2.0〜2.9倍

医師は専門科で差が大きい。整形外科・皮膚科などは高収入。

🇹🇭 タイ

約20,000前後

約30,000〜50,000

約1.5〜2.5倍

医師は公立病院で控えめ、私立や専門科で上昇。

🇲🇾 マレーシア

約18,000前後

約25,000〜40,000

約1.4〜2.2倍

医師の給与は控えめだが、生活費も低め。

🇮🇩 インドネシア

約15,000前後

約20,000〜35,000

約1.3〜2.3倍

医師の収入は都市部と地方で大きく差。

🇻🇳 ベトナム

約12,000前後

約15,000〜25,000

約1.3〜2.1倍

医師の給与は公立病院で低め。民間クリニックや外資系で上昇傾向。

 

見えてくる傾向

  • 医師の給与は全体的にITエンジニアより高いが、差の大きさは国によって異なる。
  • シンガポール・日本・韓国では医師の給与が突出して高く、専門職としての地位が確立。
  • **東南アジア諸国(タイ・マレーシア・インドネシアベトナム)**では、IT職の急成長により医師との格差が縮小傾向。
  • シンガポールの医師は世界でもトップクラスの待遇。月収15,000SGD(約11,000USD)+住宅手当など。

 

これから見ると、タイ・インドネシアベトナムのエンジニアのレベルは急速に伸びていくと思われます。

 

各国は、医師が過剰で、高収入の維持が困難になって、整形外科・皮膚科などへとシフトが起きています。この現象は、最近、日本にも、伝播しています。

 

シンガポール医療保険制度は、特殊です。

 

シンガポールの医師は世界でもトップクラスの待遇」と書かれていますが、医師の所得は、ITエンジニアの約1.8〜3.5倍です。日本は、約2.4〜3.5倍なので、最低値に注目すれば、日本の医師は優遇されています。

 

医師の給与は、医療保険制度によって決まります。アメリカのように、市場経済の影響が大きい国は少ないです。

 

ただし、医療には、情報の不完全性があるので、有効な市場の形成は困難です。

 

たとえば、トッド氏が批判しているオピオイド・スキャンダルが起きています。

 

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マッキンゼーが加担した「不正」驚愕の全容 2020/12/11 New York Times

>>

 

日本は、年功型雇用で、労働市場がありません。

 

なおかつ、軍用ドローンの場合には、消費財市場はありません。

 

この状態で、企業にIT補助金を給付すると、そのお金は、ITエンジニアの給与ではなく、経営者の給与に移されます。補助金によって企業の見かけの業績はよくなりますが、技術開発より、補助金獲得の方のパフォーマンスが高いので、企業は、技術開発を放置して、補助金獲得に精を出します。円安誘導(低金利政策)、法人税減税も、企業にとっては、補助金と同じ効果があります。

 

経営者が、技術開発を放棄して、補助金獲得、円安誘導(低金利政策)、法人税減税に走ることは、経済的に合理的な行動です。つまり、このルートをブロックしないと技術開発は進みません。

 

これは、トッド氏が、「西洋の敗北」(p.306)で、アメリカの製造業のエンジニアが減少した理由を<「財」よりも「貨幣」を制んする方がよほど簡単なシステムにおける、最高の職業は、信用創造、つまり莫大な富の源泉に近い銀行家、税務専門の弁護士、銀行家のロビイストなどだ。エンジニアはこの放蕩の源泉からは離れすぎている。(中略)このメカニズムは、将来を考えて学部や職業を選ぶ若者たちに影響を及ぼす。銀行員や弁護士の収入がそれほど高いのなら、なぜわざわざ難しい科学や技術の勉強をする必要があるのか>と同じ構造です。

 

トッド氏は、基軸通貨のドルでは、簡単に信用構造ができる点を取り上げています。

 

ここで、信用構造を「補助金獲得、円安誘導(低金利政策)、法人税減税」におきかえれば、トッド氏の説明が、現在日本で起きていることの説明になります。

 

これは、典型的なオランダ病です。補助金獲得、円安誘導(低金利政策)、法人税減税は、財政負担を増加させます。今までは、その負担分を消費税を通じて家計に押しつけてきました。その結果、内需が萎んで、貧富の差が拡大して、少子化が進行します。企業は、技術開発を放置しているので、科学技術はどんどん低下します。

 

こうなった問題の発生原因を原因を経済学で説明すれば、市場の逸脱にあります。

 

トッド氏の説明では、「エンジニア養成を優先させない政策」になります。

 

モデルによる説明は、現象の単純化になるので、同じ現象に対して、異なったモデルで説明が可能になることがあります。

 

しかし、2つのモデルには違いがあります。

 

トッド氏の分析では、「エンジニア養成を優先する政策」が、問題解決の方法です。

 

経済学のモデルでは、市場経済への回復が、問題解決の方法になりそうですが、エンジニアの労働市場がないので、この方法では問題解決ができません。

 

野口悠紀雄氏は、「大学におけるAIの教育・教育の充実は、緊急の課題だ」といいます。

 

現在のままの大学教育・研究が続くとすれば、これらの国は来るべきAIの時代に大きく後れを取ることになるだろう。したがって、これらの国では大学におけるAIの教育・教育の充実は、緊急の課題だ。

 

U.S.Newsによる調査(2024年6月)の、AI分野での世界大学ランキングでは、上位100位の大学のうち、実に49校が中国の大学という驚くべき結果だった。

 

ただU.S.Newsの調査でも、日本の大学は、上位100校中には入っておらず、東大の128位が最高だ。AI教育・研究での日本の立ち遅れは明らかだ。

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将来の国力決める「AI教育・研究」上位100大学に日本は1校だけ、製造業大国の転換遅れる日独仏韓 2028/-8/21 DIAMOND 野口悠紀雄

https://diamond.jp/articles/-/370904

>>

 

この養成は、経済学モデルからは出てきません。

 

なぜなら、経済学には、「IT技術者」といった技術の言葉がないからです。

 

3)中国の技術者養成

 

中国は、「大学におけるAIの教育・教育の充実」をしているでしょうか。

 

現在の中国の教育政策は、「教育強国建設計画綱要(2024-2035年)」です。

 

それ以前には、中国製造2025にも、教育政策が含まれています。

 

2023年の論文は、次のように要約しています。

中国は世界最大規模の教育システムを構築しました。就学前教育の総就学率、義務教育修了率、高等中等教育の総就学率はいずれも90%を超えています。高等教育の総就学率は60%を超え、これは世界的に高い就学率として認められています。中国の教員人材は新たなレベルに達しています。教員数は引き続き増加し、教員の質は著しく向上し、各レベルの専任教員の教育水準は継続的に向上しています。中国の教育条件と教育資源は新たなレベルに達しています。国家の教育への財政投資は、ほぼ10年間、GDPの4%を上回り続けています。小中学校の90%以上が、4つの施設設備の基準を満たしています。中国では、教育の公平性が新たな進歩を遂げています。手頃な価格の幼稚園の普及率は90%を超え、各教育レベルの人口10万人当たりの就学児童数の平均は増加傾向にあります。

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China’s Education Development: Facts and Figures in 2023, Sage, Jing Wu (吴晶)  and Dongming Qian (钱冬明)

https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/20965311241287837

>>

 

2018年の論文は次のように書いています。

「中国製造2025」の実施と、中国が製造強国となるという目標の実現には、質が高く、量が多く、かつ合理的な構成を持つ製造業人材の育成が不可欠です。中でもエンジニアリング人材は、疑いなく最も重要な構成要素であり、製造業の発展にとって極めて重要です。これは、中国の高等工学教育にとって新たな課題を突きつけています。人材の質、量、主要構成、階層構造、地域構造といった側面において、「中国製造2025」に包括的に連動し、エンジニアリング人材に関する10の重点分野の要求を満たすことが求められています。

 

製造業における競争は主要国の将来の競争の鍵となるだろう。そして、その過程では工学系人材の支援が不可欠であり、中国の工学教育改革に新たな課題をもたらしている。

 

高等工学教育の規模

 

中国は、工学教育の規模で世界一を誇り、紛れもない工学教育強国となっている。2015年時点で、すでに2,368校の工科大学(独立系大学を含む)と16,284校の工学系学部専攻があり、そのうち約8,000校が「中国製造2025」に掲げられた重点分野に関連しており、学部専攻数全体の約50%を占めている。また、一般の高等教育機関で学ぶ学生も大幅に増加している。2015年には、工学系専攻の学生数は1,040万人に達し、中国の大学生総数の39.1%、世界の工学系専攻の学生数の38%を占めた(表1参照)。教育規模の拡大により、より多くの若者が高等教育を受けることができ、中国の工業化の発展のための強固な人的資源基盤が築かれます。






表1-主要国(または地域、経済圏)における工学部卒業生の数と割合

Table 1-The number and proportion of engineering graduates in major countries (or regions, economies) 



Countries/regions/economies

国・地域

Total number of graduates

卒業生数

Number of engineering graduates

エンジニア卒業生数

The proportion in the total number of engineering graduates in the country (region)(%)

国内の卒業生に対する比率

The proportion in the total number of global engineering graduates (%)

世界のエンジニアに対する比率

Asia

10,691,433

1,826,360

 

72.1

China

3,038,473

964,583

31.7

38.1

India

5,469,330

548,907

10

21.7

Japan

558,692

87,544

15.7

3.5

EU

2,602,040

193,030

 

7.6

France

311,026

22,707

7.3

0.9

German

386,090

43,818

11.3

1.7

Britain

389,296

16,435

4.2

0.6

Non-EU

1,518,411

150,015

5.9

5.9

Russia

1,406,050

142,806

10.2

5.6

North America

2,404,584

160,066

6.3

6.3

Canada

168,183

9,471

5.6

0.4

Mexico

425,754

67,332

15.8

2.7

The US

1,810,647

83,263

4.6

3.3

World’s Total

20,433,355

2,534,843

 

 

 

Data Source: United States National Research Council-- “Science & Engineering Indicators” (2016) 

<<

An Exploration on the Reform of China’s Engineering Education under the

Background of ’Made in China 2025’,American Society for Engineering Education, 2018, Dr. Huiming Fan

https://peer.asee.org/an-exploration-on-the-reform-of-china-s-engineering-education-under-the-background-of-made-in-china-2025.pdf

>>

 

表1は、興味深いです。トッド氏の「西欧の敗北」に出てくるエンジニア数の表に似ています。

 

この論文には、問題があります。

 

「中国製造2025(Made in China 2025)」は、2015年7月に中国政府によって発表された産業政策です。

 

表1のデータは、2016年なので、「中国製造2025(Made in China 2025)」以前のデータが主体のはずです。

 

例えば、表1の2016年304万人の大学卒業者数は、2022年には471万になっています。

 

さて、「エンジニア養成を優先させない政策」は、失われた30年の原因でもあります。

 

この問題に対して、野口悠紀雄氏の「大学におけるAIの教育・教育の充実」では、不十分であることがわかります。

 

次の10年の科学技術(特にIT技術について)において、日本は、中国とインドはいうまでもなく、タイ・インドネシアベトナムの後塵を拝すると思われます。

 

IT技術は、PCが1台あれば、技術開発が可能になるため、コスト面での参入障壁はありません。