トッド氏の正義論(8)

1)トランスポータビリティ

 

Writeモードは、レシピの書き換えを意味します。

 

これは、レシピという権威に疑問を持って改善する態度になります。

 

科学技術立国は、高等教育の成否にかかっています。

 

科学技術の進歩とは、それまでの技術のレシピの書き換えになります。

 

技術のレシピの書き換えがなければ、科学技術の進歩はあり得ません。

 

高等教育が重要な理由は、高等教育は、技術のレシピの書き換えができる教育をするからです。

 

これは、教科書に書いてあることは、少なくとも部分的には、間違っているという態度になります。

 

「因果推論の科学」では、トランスポータビリティを問題にします。

 

これは、因果モデル(仮説)の有効性は、特定のデータセットと対になって、初めて意味を持つという立場です。

 

マルクスは、マルクスの時代の経済のデータセットをつかって、仮説をつくっています。

 

2025年の世界の経済のデータセットは、マルクスの時代の経済のデータセットとは異なります。したがって、資本論の仮説がそのまま当てはまることはありません。仮に、マルクスの時代の仮説が正しかったとしても、その仮説を現代に使うには修正が必要なはずです。

 

もちろん、新しいデータセットについても、因果構造がまったく変化していない場合は例外として、仮説が成り立ちます。しかし、これは、例外です。

 

物理学は、どのデータセットにも当てはまりますので、因果モデルとしては、例外中の例額になります。

 

20世紀には、物理学をモデルとした学問が流行しましたが、物理学は、例外的な因果モデルであることを理解しないで、混乱している学問もあります。

 

Writeモードでは、「因果モデル(仮説)の有効性は、特定のデータセットと対になって、初めて意味を持つ」と考えます。したがって、Readモードが使える権威は、否定されます。

 

このマルクスを変数Xに置き換えれば、Xには、すべての学者の仮説が入ります。

 

トッド氏は、「西洋の敗北」(pp.334-337)で、ジョン・アトキンソン・ホブソン(John Atkinson Hobson)の「帝国主義(Imperialism)」を引用しています。

 

英語版のウィキペディアから、「帝国主義」の要点を引用します。

彼の最高傑作とも言える『帝国主義』(1902年)では、帝国主義の拡大は海外における新たな市場と投資機会の探求によって推進されるという見解を唱えました。

 

生産能力が消費者需要を上回るペースで成長すると、すぐに生産能力は(消費者需要に対して)過剰となり、利益を生む国内投資先はほとんど残らなくなった。外国投資が唯一の解決策だった。しかし、あらゆる工業化資本主義国において同じ問題が存在する限り、そのような外国投資は、非資本主義国が「文明化」、「キリスト教化」、「向上」される場合にのみ可能であった。つまり、その伝統的制度が強制的に破壊され、人々が市場資本主義の「見えざる手」の支配下に強制的に置かれる場合にのみ可能であった。したがって、帝国主義が唯一の解決策であった。

 

—  EK Hunt 著『経済思想史』第2版、 355ページ。

 

帝国主義の研究」 (1902年)は、ホブソンの政治学における国際的な名声を確立した。彼の地政学的提言は、ニコライ・ブハーリンウラジーミル・レーニンハンナ・アーレントといった著名人の研究に影響を与えた。この本は20世紀で最も影響力のある書物の一つである。

 

1950年以降、ホブソンの技術的解釈は学者たちの厳しい批判にさらされた。経済学が帝国主義の基盤となっているという彼の主張は、歴史家ジョン・ギャラガーとロナルド・ロビンソンの1953年の論文「自由貿易帝国主義」の中で批判され、彼らは、19世紀におけるヨーロッパの拡大は戦略的考慮と地政学的な要因によって支えられていると主張した。

 

最後の<経済学が帝国主義の基盤となっているという彼の主張は、19世紀におけるヨーロッパの拡大は戦略的考慮と地政学的な要因によって支えられている>という主張は、<ボブソンの主張(ボブソンパラダイム)は、19世紀のヨーロッパの経済のデータセットには当はまるが、20世紀の経済のデータセットには、当てはまらない>という主張です。

 

トッド氏は、次のように言っています。(「西洋の敗北」(p.336))

ボブソンは今日から見れば、素晴らしい未来学者と位置づけられる。ただし、その予測が現実のものとなるには、2つの世界大戦によるヨーロッパ諸国の疲弊、西洋の重心のアメリカへの移行、そして特にアメリカとヨーロッパの高等教育の発展による内部崩壊、集団的信念の溶解、大衆とエリートたちの精神的アトム化をまたねばならなかった。

2001年の世界貿易機構(WTO)への中国の加盟こそが、西洋のボブソン・パラダイムへの最終的な転換を画していた。

これは、<ボブソンの主張(ボブソンパラダイム)は、20世紀のヨーロッパの経済のデータセットに当てはまらないが、21世紀の経済のデータセットには、当てはまる>という主張です。

 

このように、「因果モデル(仮説)の有効性は、特定のデータセットと対になって、初めて意味を持つ」と言えます。

 

2)Writeモードと高等教育

 

時系列は因果ではありません。

 

2つの現象AとBが若干のタイムラグを伴って発生すると、現象Aが、現象Bの原因に見えることがあります。

 

この2つをタイムラグを補正して、相関を取れば、高い相関が得られます。

 

しかし、相関は因果ではありません。

 

事象Aの代わりに、事象Aと高い相関のある事象A2をもってきても、事象A2と事象Bの間にも高い相関を得ることができます。

 

つまり、相関では、因果関係の検証はできません。

 

伝統的な経済学の実証分析は、この相関レベルの検証になっています。

 

トッド氏は、「西洋の敗北」(p.62)で次のように言います。

1976年、「最後の転落ーソ連崩壊のシナリオ」で、私はこの(共産主義の)システムの経済的な失敗を測定し、さらに、乳児死亡率の増加を根拠に(共産主義の)システムの崩壊を予言した。しかし、今日振り返ると、崩壊を引き起こした原因は、「システムの経済的な麻痺」よりも、むしろ「高等教育を受けた中流層の台頭」だったのではないかと思われるのである。

 

ここでは、事象Aと事象A2が、「システムの経済的な麻痺」と「高等教育を受けた中流層の台頭」になっています。

 

相関係数では、この2つの事象のどちらが原因かは判定できません。

 

この2つのどちちらが原因であるかは、パール流に言えば、因果探索の問題、あるいは、アブダクションになります。パールは、ライトを引用して、因果探索の自動化は非常に困難であり、おそらく不可能であるといいます。

 

トッド氏は、<崩壊を引き起こした原因は、「システムの経済的な麻痺」よりも、むしろ「高等教育を受けた中流層の台頭」だった>といいますが、パール流にいえば、その判断は、主観になります。パール流にいえば、この2つのどちらが適切かという点に関して、データは何も語りません。

 

筆者は、権威を破壊するのは、Writeモードの教育であると考えます。

 

高等教育は、Writeモードを目指しますが、その達成率は高くありません。

 

つまり、「高等教育を受けた中流層の台頭」は必要条件であって、十分条件ではないと考えます。

 

なお、トッド氏の識字率は、読み書きをあらわし、ここで問題にしているようなWriteモードの区別はありません。(「西洋の敗北」pp.161-162)

 

3)エリート主義の用語

 

「西洋の敗北」(p.161)に、「エリート主義.vs.ポピュリズム主義」の説明がでているので、ここで、用語の整理をしておきます。

 

エリート主義は、政治体制の主張を意味します。

 

ポピュリズムも、単語の末尾は、ismなので主義(政治体制の主張)を意味します。

 

本来のエリート主義は、政治エリートが大衆の利益を代表します。

 

WASPはその例で、WASPは、大衆の利益を代表して、メリトクラシーをすすめた結果、WASP自体が解体しています。

 

しかし、現在の政治エリートは、選挙の当選と利権の維持を最優先にして、大衆の利益を代表していません。

 

消費税を通じて、大衆から、税金を徴収したあとで、その数パーセントを交付金として大衆に、キャッシュバックすることで、選挙の当選をねらっています。

 

これはいうまでもなく、ポピュリズム政策です。

 

これは、エリート主義のポピュリズム政策と言えます。

 

政治エリートはもはや大衆の代表ではないという主張が、ポピュリズムです。

 

ポピュリズムの担い手は、非エリートですが、選挙に当選すれば、政治エリートになります。ただし、エリート主義を主張しません。

 

ポピュリズムの担い手は、ポピュリズム政策を目指していることになっています。

 

これが、本当かは、わかりませんが、マスコミ等は、そのように書きます。

 

筆者は、ポピュリズムの担い手は、今までの政策が間違っていることを理解しているが、何をすべきか整理できていないと考えています。

 

ポピュリズムの担い手は、ポピュリズム政策とそうでない政策の区別ができてないと考えています。

 

ともかく、マスコミは、ポピュリズムの担い手は、ポピュリズム政策を目指していると書きます。

 

ここまでを整理すると次になります。

 

エリート主義のポピュリズム政策がある。

 

ポピュリズム(の担い手)のポピュリズム政策がある。

 

エリート主義の人は、エリート主義者と書くことができます。

 

ポピュリズムの人は、ポピュリズム者とはかけません。

 

日本語としては、ポピュリズム主義者になります。

 

なので、「エリート主義.vs.ポピュリズム」ではなく、「エリート主義.vs.ポピュリズム主義」と書くことにします。

 

現在は、真のエリート主義は喪失しています。

 

エリート主義者は、まともな政策とポピュリズム政策を選択できます。

 

ポピュリズム主義者も、まともな政策とポピュリズム政策を選択できます。

 

筆者は、まともな政策(エビデンスのある政策)は、因果モデルに基づき、前向き研究で検証用のデータを取得して、政策効果を点検する政策であると考えます。

 

これは、科学に基づく政策の実施基準です。

 

この基準でみれば、現時点では、エリート主義者とポピュリズム主義者は、両方とも、ポピュリズム政策を選択していることになります。

 

以上の整理をすると、「西洋の敗北」(p.162)は次のようになります。

この害悪によって、思想面と感情面において、「エリート主義」と「ポピュリズム主義(原文は主義なし)」という2つの陣営が激突するようになる。エリート主義者(原文はエリート)は、民衆が外国人嫌いへと流されることを非難する。ポピュリズム主義者(原文は民衆)は、エリート主義者(原文はエリート)が「常軌を逸したグローバリズム」に耽っているのではないかと疑う。ポピュリズム主義者とエリート主義者(原文は民衆とエリート)が、ともに機能するために協調ができなくなれば、代表性民主主義の概念が意味をなさなくなる。するとエリート主義者(原文はエリート)は民衆を代表する意思を持たなくなり、民衆は代表されなくなる。

 

これでよいか、よくわからないところもあります。

 

最初の2つの陣営は、「思想面と感情面」のグループなので、「エリート主義」と「ポピュリズム主義」です。それ以降の原文のエリートと民衆を、ここでは、2つの陣営を表すとして、書き換えてみました。

 

この辺りの表現は、とても混乱しやすいです。

 

武見敬三氏は、「エリート主義.vs.ポピュリズム主義」は、存在しないと考えています。

 

武見敬三氏は、真のエリート主義が喪失したとは考えていません。

 

リカード・カッツ氏は、「エリート主義.vs.ポピュリズム主義」が起きていると考えています。しかし、与党議員は、「エリート主義.vs.ポピュリズム主義」が存在しないと考えているといいます。与党議員も、真のエリート主義が喪失したとは考えていません。

 

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「参政党は一過性のものになる可能性も」元自民参院議員・武見敬三氏が「TVタックル」で私見「党首たちが賢ければ」さらに拡大も 2025/08/17 デイリー

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ce89c9280cb8a3bfdfadb65e1141396ce132ce9

 

海外記者が考える「自民大敗と立憲民主伸び悩み」が示す、日本の本当の問題点 2025/07/26 東洋経済 リカード・カッツ

https://toyokeizai.net/articles/-/893456

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4)真実のサンドイッチ

 

エリート主義者とマスコミは、ポピュリズム主義の政策を誤情報を含むと非難しています。

 

しかし、こうした報道には、誤情報を拡散する効果があります。

 

英語版のウィキペディア「真実のサンドイッチ(Truth_sandwich)」を引用します。

 

真実のサンドイッチとは、ジャーナリズムにおいて、誤情報を含む記事を報道する際に、意図せず虚偽や誤解を招く主張の拡散を助長することなく伝える手法である。これは、ある主題に関する真実を提示してから誤情報を報道し、最後に再び真実を提示して記事を締めくくるという手法である。マーガレット・サリバンはこれを「現実、歪曲、現実 ― すべてが美味しく、民主主義を養う一食分」と要約した。

 

このアイデア言語学者の ジョージ・レイコフによって考案され、2018年6月にCNNのブライアン・ステルターによって命名されました。レイコフは、嘘をついたり誤解を招くような政治家や評論家の言葉を引用することで、メディア組織が誤情報を広めていることに気づきました。

 

たとえ嘘を隠蔽し、後から「言ったことは誤りだった」と認めたとしても、メッセージは依然として広まっており、「フレームを否定することは、フレームを活性化させる」のである。彼は、繰り返しは、私たちが世界を理解するために用いる脳内の「フレーム回路」を強化すると主張している。真実のサンドイッチは、誤った情報が人々が最初に読んだり聞いたりすること、そして物語の最後の印象にならないことを保証する。虚偽の主張を繰り返すことは、繰り返しによってその主張を強化する可能性があるが、事実確認と反論を繰り返し行うことでも同様の効果が得られる可能性がある。

 

受容と採用

 

ニュースメディアによる使用

 

PBSはブログ記事で、真実のサンドイッチの背後にある原則は既に編集基準で取り上げられていると説明している。「正確さには、単に情報が正しいかどうかを確認する以上のことが含まれます。事実は、記事の性質に基づいて十分な文脈に置かれ、国民が誤解されることがないようにする必要があります。」ロイ・ピーター・クラークはポインター誌に寄稿し、真実のサンドイッチの考え方は、文の最初と最後に「強調する言葉」を置く修辞学の概念である「強調語順」に似ていると述べている。クラークはジャーナリズムにおいて、「最も強調されていない位置は真ん中になる」と書いている。

 

真実のサンドイッチは、誤情報が特に蔓延している様々なトピックの文脈で使用、提唱、または議論されてきました。COVID -19パンデミック中のコロナウイルスワクチンに関する誤情報の問題について執筆している科学者グループは、よくある誤解を払拭するためのガイドの中で、コミュニケーション戦略として真実のサンドイッチを提唱しました。Journalism.co.ukの真実のサンドイッチに関する記事で、ジョセフ・カミンズは「バックファイア効果」という言葉を使って、「人々に信じていることが間違っていると伝えることで、彼らは自分の信念を倍増させる」ことを示しています。彼はジャーナリストに対し、虚偽を含む記事の本文だけでなく、画像、見出し、ソーシャルメディア、その他の報道要素においても、この手法を活用し、その原則を念頭に置くよう促しました。