1)レベル1の正義
現実の正義の議論は、レベル2bの正義になっています。
なので、レベル1とレベル2aの議論は、しづらいです。
レベル2bの正義には、均衡点がありません。
つまり、満足のできる実装の選択が困難です。
さて、現実離れしたレベル1の正義を今回は考えます。
2)正義の判定条件
レベル1の正義の長所の第1は、正義が満足しているか簡単に評価できる点です。
長所の第2は、集団の維持に必要なことがわかる点です。
格差が拡大していけば、集団はまとまりを失って分解します。
ジニ係数の格差は静的評価用で、ジニ係数の拡大が、どこまで許容できるかはわかりません。
格差の拡大速度が大きな場合と、緩やかな場合には、社会へのインパクトが違いますが、ジニ係数では、この点が評価できません。
ジニ係数の変化で格差の拡大が確認できても、その拡大が許容可能か否かという問いに、ジニ係数は答えられません。
レベル1の正義であれば、この問題も扱えます。
レベル1の正義を使う場合には、「最も恵まれない⼈々」の表現を決める必要があります。
ロールズの正義論の不味い点は、「最も恵まれない⼈々」の表現がないので、議論が空回りする点にあります。
ここでは、ノイズ、生活保護などの影響を回避するために、所得階層で、下位20%の所得に相当する人を、「最も恵まれない⼈々」の表現に使うことにします。
レベル1の正義は、所得移転の判断にも使うので、所得移転効果のないデータを使うべきです。
ある政策が、全体の平均所得を増加させる場合に、下位20%の所得の人の所得も増加するのであれば、この政策は、レベル1の正義を満たしています。
ある政策が、全体の平均所得を増加させる場合に、下位20%の所得の人の所得が減少するのであれば、この政策は、レベル1の正義に反します。
この基準で考えれば、次の政策は、レベル1の正義ではありません。
第1に、消費税は、家計から、企業への所得移転を生じます。つまり、消費税によって、下位20%の人の所得が減少するので、この政策は、レベル1の正義ではありません。
第2に、円安は、家計から、企業への所得移転を生じます。つまり、円安によって、下位20%の人の所得が減少するので、この政策は、レベル1の正義ではありません。
第3に、インフレ政策は、家計から、企業への所得移転を生じます。つまり、インフレによって、下位20%の人の所得が減少するので、この政策は、レベル1の正義ではありません。
第4に、賃金と物価の好循環の賃上げ政策は、インフレによって、家計から、企業への所得移転を生じます。つまり、賃金上昇は、大企業に限定され、中小企業に及ばず、下位20%の人の所得が減少するので、この政策は、レベル1の正義ではありません。
というわけで、現在、政府が行っている政策は、レベル1の正義ではないといえます。
この議論は、乱暴ですが、ともかく、政策が正義か否かという判定基準をつくることが出来る点が重要です。
レベル1の正義が満たされないと、社会は分断され、ポピュリズム仮説が成り立つ世界になります。
レベル1の正義を満たす政策が、存在しない場合には、レベル1の正義でない政策を実施することになります。その時には、レベル1の正義が成り立つように、所得移転をする補助政策をセットで、実施すべきです。
消費税を減税すれば、財政破綻するという議論には、正義を点検する姿勢がありません。
3)AIの正義
レベル1の正義は、アルゴリズム化されています。
ここで必要なデータは、政策介入によっておこる変化のうち、平均所得の人への効果と下位20%の人への効果だけです。
政策介入による効果は、因果推論モデルで作ることができます。
交絡因子と因果の方向が逆転するリスクが許容できるのであれば、経済モデルのような相関モデルによる予測を使うことも可能です。
ただし、所得階層を層に分けたモデルである必要があります。
所得階層が10層の場合には、下から2番に所得の低い階層の中央値は15%に、下から3番に所得の低い階層の中央値は25%になります。「最も恵まれない⼈々」の表現は、この2つの平均を使うか、15%または、25%で代替します。
所得階層が5層の場合には、下から1番に所得の低い階層の中央値は10%に、下から2番に所得の低い階層の中央値は30%になります。「最も恵まれない⼈々」の表現は、この2つの平均を使うか、10%または、20%で代替します。
このように、データ表現(所得階層数)が、データ取得に先行します。
アルゴリズム化された「レベル1の正義」は、コンピュータで実行できます。
これは、最も簡単なボットを使ってできます。
なので、大げさですが、ここでは、AIの正義と呼ぶことにします。
4)問い
トッド氏の正義論には、「経済的格差はどこまで許容されるか」という「問い」があります。
ここで、データ表現が最初というパラダイムを採用して、「政策の前後の全体の平均所得Mと、下位20%の所得L」のデータを収集します。
事象が未来の場合には、モデルによる推定値データを取得します。
その結果、政策の実施の前後について、次のデータが取得できます。
(M、M+ΔM、L、L+ΔL)
この4つのデータを使った正義の判別関数を求めることができれば、レベル1とレベル2aのAIの正義が実現できます。
例えば、貧富の差の拡大条件は、「ΔM>ΔL」になります。
逆にいえば、貧富の差が拡大しないためには、「ΔM<ΔL」が必要になります。
これは、ピケティ氏の指摘をうけるまでもなく、実現が難しい条件です。
このように、データの表現と取得されたデータがあれば、議論(推論)は可能になります。
政策の中には、実現不可能なものもありますが、データ表現とデータがあれば、不可能性は検討できます。
5)強い言葉
トッド氏は、「西洋の敗北」(p.165)で、次のようにいいます。
<
選挙が続く限り、民衆は経済の運営と富の配分から遠ざけられなければならない。政治家は、民衆をだまし続けなければならない。
>
これは、強い言葉です。
エリート主義が崩壊して、ポピュリズム仮説が成立していることを主張しています。
トッド氏の正義は、データ表現を規格化すれば、数的言語で表現可能です。
その場合には、「民衆をだます」ことはできません。
つまり、エリート主義が崩壊した世界では、政治家による統治より、AIによる統治の方が合理的になります。
筆者は、理神論を否定するトッド氏は、この意見に賛成しないと思いますが、検討には値するでしょう。
議論をするためには、パラダイムの論理が必要になります。
そのときのデータは、データ表現をさだめなければ、得られません。
評価関数(目的)は、レベル1または、レベル2aの正義になります。
データと評価関数をさだめれば、政策が選択可能になり、議論が初めて成立します。
データと評価関数をさだめれば、AIに政策探索をさせることも理論上は可能になります。
ただし、因果探索と同じようにこの方法は、ほぼ、不可能でしょう。
一方、政策を与えた場合に、「政策が、評価関数に満足しているか」の判定を、AIは容易にできます。