1)メリトクラシー
トッド氏の経済成長モデルは、エンジニアが経済を成長させるというものです。
これは、1959年のスノーの「二つの文化と科学革命」の主張と同じです。
スノーは、2つの文化の融和を説いたわけではありません。
経済成長には、工学が必要であり、人文科学は役に立たないと言いました。
スノーは、エンジニア教育を拡充しています。
イギリスの社会学者マイケル・ヤングは、1958年に「Rise of the Meritocracy」で、メリトクラシーという単語を使いました。メリトクラシーとは、個人の持っている能力によってその地位が決まり、能力の高い者が統治する社会を指します。
ヤングの本は、知能指数と努力だけですべてが決まる「メリトクラシー」を採用したディストピア的近未来を舞台とした風刺的な内容で、最後には、傲慢で大衆の感情から遊離したエリートたちを大衆が覆すという結末になっています。
しかし、メリトクラシーは、結果的には、ヤングの意図に反して「生まれよりも能力を重視して統治者を選ぶシステム」という前向きな意味合いで使われています。
1958から1960年は、1957年10月のスプートニクショックの時代でした。
この前に、朝鮮戦争(1950-53年) があり、アメリカは、共産主義の封じ込めに失敗しています。
スプートニクショックは、アメリカが共産主義に征服されるのではないかという危機感を生みました。
科学技術で、ソ連に勝つことがアメリカの政治の最優先課題になります。
1959年に、スノーはアメリカを例にあげて、イギリスも、アメリカのようにエンジニア教育をしないと、経済が傾くと主張しました。
アメリカは、ソ連という脅威をみて、エンジニア育成を更に加速します。
メリトクラシーの能力とは、ソ連に征服されないための科学技術(エンジニア)の能力でした。
なお、メリトクラシーは、能力主義であって、成果主義ではありません。
この違いをイメージするには、ショパンコンクールを考えれば明確になります。
参加するピアニストは、成果を持っていません。評価されるのは能力です。
ショパンコンクールが、成果主義であれば、入賞する顔ぶれは全く変わり、指の回らない高齢者ばかりになります。これが、現在の日本のシステムです。
指の回らない高齢者が、コンサートをすれば、悲惨な結果がまっています。
それが、現在の日本の会社経営であり、モノをいう株主から、批判される理由でもあります。
1960年代に西洋では、メリトクラシーの嵐が吹きましたが、日本には、その影響が及びませんでした。
2)トッド氏のモデル
トッド氏は、「西洋の敗北」で、2つの方法で、国別の技術者のポテンシャルを評価しています。
2-1)留学生モデル
第1は、工学系の留学生です。

図1は、「西洋の敗北」のp.303の表の一部をグラフ化しています。
人数は20年間で、工学系の博士を取得した数です。
割合は、博士取得者の内の工学系の占める割合(%)です。
日本は、479人で最少になります。
20で割れば、1年あたり、24人です。
これは、アメリカの工学系博士号が日本での就職にまったく有利にならないことを示しています。
トッド氏は、この人数と割合が、国別のエンジニアのポテンシャルを示していると考えています。
ウクライナ戦争で、ドローンをつくっているイラン、トルコは、韓国と台湾レベルのアメリカで博士号を取得したエンジニアをかかえています。
つまり、図1は、ドローンをつくる能力をよく説明しています。
図1に従えば、日本には、トルコやイランのように、ドローンをつくる人材がいないと推定できます。
トッド氏のモデルに従えば、大阪万博をしても、ドローンを作る能力のある技術者の数は増えませんので、ドローンの科学技術(空飛ぶクルマ)の技術進歩はないと言えます。
図1の説明には、実は、不正確な点があります。
図1は、正確には、アメリカで、博士号を取得した国ベスト10の中の比較になっています。
ランキングは、最初に全分野での博士号取得者をつかって、トップ10の国を抽出して、その中で、順位をつけています。
工学系の博士号取得者のランキングとは、順序がことなります。
そこで、Copilotをつかって、工学博士号取得者数のベスト20位の国を並べてみました。
このデータは、図1のトット氏のものとは異なります。


図2がそのグラフで、図表3が、もとのデータです。
20位のタイの工学系博士の取得者数が2000人なので、500人弱(479人)の日本が、ランク外であることは確かです。
日本の技術開発は、中国、台湾、韓国に抜かれています。
図表3によれば、次の10年の技術開発では、日本が、イラン、トルコ、ブラジル、メキシコ、ベトナム、パキスタン、バングラディッシュ、インドネシア、マレーシア、タイに追い越される可能性が高いことを示しています。
2-2)エンジニア人口モデル
第2の方法は、エンジニアの人口に注目します。
「西洋の敗北」(p.60)で、トッド氏は、アメリカとロシアのエンジニア数の比較をして、移民や留学生を除けば、ロシアのエンジニアの人数は、アメリカのエンジニアの人数を越えていると結論づけています。
そこで、Copilotをつかって、上記の20カ国の20歳から34歳人口(POP)と、その年齢層が高等教育を受けている比率(HEPR)、高等教育に占める工学系の比率(ENG)を調べて整理しました。推定値にレンジがある場合には、ここでは、最大値を使っています。
推定エンジニア人口は、次式で求まります。
EST = POP * HEPR * ENG
推定結果は、以下です。
USAとRussia2はトッド氏の推定値です。
日本も追加してあります。


トッド氏の推定値とは異なり、ロシアは、3位につけています。東南アジアでは、韓国、インドネシア、パキスタン、ベトナムは、日本より上です。
人口の少ない台湾は、この方法では、ランクが下がります。
台湾の技術レベルは高いので、人口の少ない場合には、特定の分野の集中が起こると解釈できます。
2-3)日本の疑問
筆者には、図表5を整理した動機があります。
それは、図表5の日本技術者評価は過大だろうという判断です。
「西洋の敗北」(p.60)で、トッド氏は、フランスについて、図表5の計算をする場合、フランスのエンジニアが「金融工学」に流れているので、その分は、引くべきであるといいます。
図表5の計算にも、補正が必要になります。
日本のデータでは、どのような補正が必要でしょうか。
フランスと同じように、「金融工学」に流れている人がいますが、あまり多くはありません。
トップ人材は、GAFAMに流れています。この効果は大きいです。
恐らく、最大の人材流出は、工学系から、医学系への流出です。
1995年に日経連は、「新時代の日本的経営」で、文系が第1身分、エンジニアが第2身分であるという年功型雇用における身分制度のガイドラインを出しました。その後、エンジニアの給与が低くなることが確定した結果、理系の学生の医学部人気がたかまっています。新薬の輸出は、貿易黒字を生みますが、国内で完結する医療によって、経済規模が拡大することはありません。
過去30年、大学の定員が増えたにもかかわらず、18歳人口が減少しました。このことは平均レベルの低下になります。
より大きな交絡因子は、能力を無視した年功型雇用と文系と履修主義の存在です。
この3つは、日本にしかありません。
高等学校で、物理学を習得する学生の比率は、過去50年で、減少しています。
1970年から1980年代:物理は理科の中でも中心的な科目であり、理系進学希望者の多くが物理を選択していました。選択率は30%から40%前後と推定されます。
1990年代以降、理科離れや文系志向の強まりにより、物理選択率は徐々に低下しました。
この原因には、「新時代の日本的経営」があります。
2000年代から2010年代:選択率は20%前後まで下がり、特に女子生徒の選択率が低い傾向が顕著にまりました。
2015年以降、文部科学省の調査によると、物理選択率は16.2%(平成27年度)まで低下しています。
物理学のできないエンジニアは考えられません。つまり、エンジニアの能力が落ちています。
なお、全く使い物にならない物理基礎はここには、含まれていません。
以上を勘案すると、図表5の人数に、3分の1か、4分の1をかけて、補正すべきであると思われます。
仮に、3分の1をかけると、70万人になり、図表5では、マレーシアと同じレベルにあると思われます。
日本の大企業は、研究所を海外に置いています。工場も海外に移転しています。
こうした海外に展開することのできない中小企業は、行き詰っています。
2025年の日本の一人あたりGDPは、香港、シンガポール、韓国、台湾の後塵を拝しています。
10年後の日本の一人あたりGDPは、ベトナムに抜かれているでしょう。人口の多い、中国、インド、インドネシア、パキスタンについては、平均値の議論には意味がありません。中国、インドの富裕層の数は、既に、日本をこえています。10年後には、インドネシアとパキスタンの富裕層の数が、日本を越えるでしょう。