質問の価値(3)

6)表現と政策の評価

 

パールは、「因果推論の科学」(p.66)で、ミニチューリングテストに関係して、情報は、「表現が先、獲得が後」というパラダイムがあるといいます。

 

政策評価をする場合には、データに基づいて、政策を評価します。

 

この時に、どのようなデータを集めるかは、政策評価のデータの表現に制約されます。

 

政策評価のデータとは、どのような形式で表現できるかという疑問を整理することがスタートになります。

 

たとえば、中教審の答申には、問題となる情報を扱う形式が示されていません。これでは、推論の対象となるデータは記述されていないことになります。つまり、推論は、現実のデータを反映していない形而上学になりますので、リアルワールドとは関係がありません。

 

タイトルにある「可能性」、「個別最適な学び」、「協働的な学び」について考察するためには、これらのデータが必要です。これらのデータは、表現形式に従って収集されます。表現形式がなければ、データが集められないので、「可能性」、「個別最適な学び」、「協働的な学び」というオブジェクトはインスタンスのない空き箱になります。

 

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「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)令和3年1月26日 中央教育審議会

https://www.mext.go.jp/content/20210215-mxt_sisetuki-000012797_6.pdf

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筆者は、インスタンスのない空き箱オブジェクトを理解できません。

 

「可能性」や「個別最適な学び」には、表現形式がないので、インスタンスをコンピュータの内部メモリに保存することはできません。つまり、AIは、「可能性」や「個別最適な学び」について推論することはできません。

 

だから、中央教育審議会は、AIより賢いのでしょうか。

 

科学の基本はデータに基づく判断です。

 

したがって、間違っているのは、AIではなく、中央教育審議会です。

 

これは、意外でしょうか。

 

段落の論理とパラダイムの論理が理解できれば、これは必然的な結果であることがわかります。

 

日本以外では、議論は、パラグラフの論理で進められます。

 

パラグラフのトピックセンテンスは、データに対応してます。

 

なので、中央教育審議会のような、データを無視した答申がまかり通る国は、日本だけです。

 

政府は、AIを使って教育することは危険であるというキャンペーンを張っています。しかし、中央教育審議会の答申には、リアルワールドとのリンクがありませんで、答申に従って教育すること、実態は、答申なしで教育することと同じになります。

 

答申なしで教育することと、AIに従って教育することでは、後者の方が、問題点のブロックが入っている点で優れています。

 

この問題は。法治主義とリンクしています。法治主義は、法律の条文を守るという形式主義です。

 

法の支配では、人権と憲法が、法律の条文に優先します。人権と憲法が守られえていない場合には、法律の条文を守るよりも、法律の条文の改定をすべきであると判断します。

 

法の支配では、リアルワールドのデータのフィードバックがありますが、法治主義では、このフィードバックがありません。

 

日本では、法治主義が、法の支配より優先しています。そのようになる原因は、段落の論理にあります。



7)教育と予算の段落の論理

 

財務省が2025年4月15日の財政制度等審議会財務相の諮問機関)の分科会で、「大学なのに義務教育のような授業だと主張しました。定員割れに陥っている私大の授業例として、四則演算や方程式の取り扱い(数学)、現在形と過去形の違い(英語)などを挙げました。大学の公開情報から抽出したといいます。

 

 その上で、「メリハリを強化していくべきだ」として、大学を評価する今の認証評価制度を見直すなどして、教育内容の質や人材育成の観点で私学助成額を検討する仕組みへの転換を唱えました。

 

 財務省の主張に対し、文科省幹部は「目指すべき方向は同じ」としつつ、「定員割れしていたり、基礎的な学びを採り入れたりしている大学の教育の質が一概に低いとは言い切れず、一面的で粗い考え方だ」と指摘しました。

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一部私大「義務教育のような授業」 財務省が指摘 文科省幹部は異論 2025/04/15 朝日新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/cb559baa6db0159c5e0d3a8b455e0297c7b80f01

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この議論は、段落の論理になっています。

 

財務省は、私学助成の予算を査定しています。パラグラフの論理で考えれば、査定には、データと論理展開が必要になります。

 

今回、財務省は、大学の公開情報から抽出してデータを取り上げています。ということは、今までの私学助成の予算の査定では、データを求めて来なかったことになります。

 

それでは、今までは、いったい何を基準に予算の査定をしてきたのでしょうか。

 

この議論ではデータは無視されています。

 

定員割れに陥っている私大の授業例として、四則演算や方程式の取り扱い(数学)、現在形と過去形の違い(英語)などを挙げていますが、ここには、データの分布の情報がありません。

 

文部科学省の反論である「定員割れしていたり、基礎的な学びを採り入れたりしている大学の教育の質が一概に低いとは言い切れず、一面的で粗い考え方だ」はデータに基づいていません。

 

「一面的」はデータがなければ判断できません。

 

この議論は、データを無視しています。

 

つまり、段落の論理になっています。

 

アメリカの教育では、パラグラフの論理ができないと大学も高等学校も卒業できません。

 

文部科学省は、履修主義で、高等学校の生徒の理解度のデータをもっていません。

 

「定員割れしていたり、基礎的な学びを採り入れたりしている大学の教育の質が一概に低いとは言い切れず」は、「四則演算や方程式の取り扱い(数学)、現在形と過去形の違い(英語)」の教育の質が一概に低いとは言えないという反論です。

 

しかし、履修主義では、カリキュラムの習得を教育の目的にしていません。だからといって、他の目的はありません。カリキュラムの習得を教育の目的でないのであれば、基準化された教科書には、価値はありません。

 

要するに、パラダイムの論理でいえば、財務省も、文部科学省も、発言は支離滅裂で、科学を無視しています。

 

冷泉彰彦氏は、グーグルへの公取の「排除命令」をしても、民族資本のデジタルプラットフォームが成立しないといいます。

その理由に、次をあげています。

 

第1に、巨大なサーバなどのインフラを用意する資金力がない。

第2に、電力の供給やコストに制約がある。

第3に、最先端のセキュリティ水準を実現するだけの技術力と人材の厚みがない。

 

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グーグルへの公取排除命令」は、日本のデジタル赤字対策になるか 2025/4/16 Newsweek 冷泉彰彦

https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2025/04/post-1388.php

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四則演算や方程式ができなければ、「最先端のセキュリティ水準を実現するだけの技術力と人材」にはなれません。

 

これが、デジタル赤字の原因になっています。

 

この反例に対して、「基礎的な学びを採り入れたりしている大学の教育の質が一概に低いとは言い切れず、一面的で粗い考え方だ」と主張することは、パラグラフの論理では不可能です。

 

教育に税金を投入する場合には、経済活動にプラスになることが要求されます。

 

学生も、大学を卒業できれは、生涯賃金があがると考えているはずです。