1)外科手術
パールは、因果ダイアグラム上で、「何か出来事(event)を起こすときには、その出来事(event)に向かう矢印を全て削除せよ。そして、矢印は最初からなかったものとして、通常の論理に基づく分析を続行せよ」(「因果推論の科学」p.70)といいます。その上で、出来事(event)が介入される変数Aがであれば、「変数Aを規定値(真)に設定する」といいます。パールは、この操作を、因果ダイアグラムに対する奇妙な「外科手術」と呼んでいます。
パールは、「do表記と因果ダイアグラムの外科手術を用いることにより、相関関係と因果関係をきちんと分けることができるようになる」(「入門統計的因果推論」p.72)といいます。
パールは、次のようにいいます。(「因果推論の科学」p.70)
<
ダイアグラムにこのような奇妙な「外科手術」を施す倫理的根拠は単純である。何かの出来事を起こすということは、その出来事を他のあらゆる影響から解放して、ただ一つの影響ーそれを起こさせる影響ーの下に置くことを意味しているからだ。
>
2)問題
「トランプ関税」の影響緩和のため、与党内で国民に現金を給付する案が浮上しています。「一人5万円」という朝日新聞の報道もあるなか、給付に効果があるのかと与党内でも意見が割れています。
このような現金給付の影響は、どのように検討すべきでしょうか。
政府は、ラピダスに膨大な補助金(税金)をつぎ込む計画です。この補助金には、効果があるのでしょうか。過去のジャパンディスプレイとエルピーダは破綻しています。ラピダスも破綻する可能性があります。ラピダスには、競争優位な技術と人材はありません。ラピダスは、人材を新規に雇用して、トレーニングすれば、技術は習得できるといいます。この問題を、因果推論の科学で検討することができるでしょうか。
3)解答
因果ダイアグラムを試作してみました。

これは、ラピダスのような工場建設をイメージしています。
左の因果ダイアグラムは、補助金のない通常の企業の活動です。
企業が工場を建設するか否かに影響する(原因となる)変数を書いてみました。
因果ダイアグラムは、因果の方向のついたベイジアンネットワークです。
矢印の強さは、条件付き確率になります。
自己資金が多ければ、工場建設はより容易になります。
借入が多ければ、工場建設はより困難になります。
ブランド価値があれば、工場建設はより容易になります。
市場競争力が強ければ、工場建設はより容易になります。
予想市場規模が大きければ、工場建設はより容易になります。
新技術があれば、市場競争力が強くなります。
DXなどで、生産性が高ければ、市場競争力が強くなります。
製品の歩留まりが高く、コストが低くなれば、市場競争力が強くなります。
さて、右の因果ダイアグラムは、工場が、補助金によって建設される場合(外科手術)です。
工場は、補助金という介入によって建設されます。
つまり、工場の建設は、「自己資金、借入、ブランド価値、予想市場規模新技術、生産性、コスト」の影響を受けませんので、矢印が消えます。
代わりに、政府補助金というたった1つの矢印が、工場建設の有無を決定します。
つまり、それまであった技術がなければ、企業はつぶれるという因果関係は、政府補助金によって破壊されます。
その結果、社内の技術開発はストップします。
技術開発は、工場に反映されないので、無視されます。
因果ダイアグラムの外科手術は、非常に大胆な仮定です。
しかし、日本の生産性の低下、技術力の低下、DXの遅れを説明することができます。
「因果ダイアグラムの外科手術」は、非常に大胆な、しかし、因果と相関を区別する有力な手法です。
読者は、企業は、政府補助金を受け取っても、技術開発は可能であると考えるかも知れません。
しかし、パール流にいえば、読者が、そのように考える原因は、因果と相関を区別できないからです。
コメの価格はさがりません。経済学者は、農業補助金が、農業の生産性を低下させた可能性があるといいます。
図1が正しければ、高等学校の授業料の無償化が進んでいます。高等学校の授業料の無償化は、高等学校の教育を破壊します。
筆者は、高等学校の授業料の無償化に反対している訳ではありません。
政府は、行政指導と天下りの確保のために、税金を業界に補助金として投入します。
この方法では、図1と同じ問題がおき、教育の質の向上が阻害されます。
同じ高等学校の授業料の無償化でも、バウチャーをつかう方法であれば、図1のような問題はおきません。
税金と補助金の使い方の問題点は、因果ダイアグラムに外科手術を施してみるだけでも、検討可能です。
少なくとも、どこに介入すべきかという問題の整理ができます。