3-1)レイテ沖海戦
ウィリアム・ハルゼー(William Frederick Halsey, Jr.)氏は、太平洋戦争中は、南太平洋方面軍司令官、第3艦隊司令官として戦っています。
1944年10月17日のレイテ沖海戦で、ハルゼー氏は航空戦力を持たない栗田艦隊に対しては護衛空母部隊で対抗できると判断し、栗田艦隊を攻撃せずに、小澤艦隊を追撃し、4隻の日本の空母を撃沈しました。この追撃の判断が、小澤艦隊のおとりに引っかかったと疑われ、ハルゼー氏は、尋問をうけています。
アメリカ軍は、レイテ沖海戦に勝利していますので、成果主義で考えれば、成果を出したハルゼー氏には、何の問題もないことになります。
しかし、アメリカ軍の幹部は、小澤艦隊を追撃したハルゼー氏の判断能力に問題があったのではないかという疑問を抱き、尋問が行われました。
能力主義では、誰がその判断をしたか、その判断には、判断能力の問題がないかが常に問われます。
能力主義では、最終的な判断を下した責任者が明確になっています。
この判断は、情報(データ)に基づいて、行われます。
この判断をする場合には、パラグラフの形式でできた戦術の提案書が使われます。
全ての戦術をハルゼー氏のような司令官が組み立てるわけではありません。
参謀が複数の作戦提案を作成して、司令官は、討議をへて、その中から、ベストと思われる作戦提案を抽出します。
その意思決定プロセスのデータは、記録に残っており、尋問では、その記録を元に、判断能力に問題がなかったかが問われます。
これは、組織が、パラグラフの表現で動いている場合(パラグラフの世界)の基本になります。
3-2)日本の不祥事
こうしたパラグラフの世界から見れば、日本は、異常です。
不祥事があるとトップは責任をとるといって辞任します。
しかし、パラグラフの世界でみれば、不祥事の原因が判断の誤りにあるのであれば、責任とは、その判断に誤りによって生じた損害額になります。年功型雇用を少し早く卒業し、その結果もらえるはずの給与がもらえなかった損失(機会費用)は、責任の大きさ(損害額)とは無関係です。
責任が、辞任で済むのであれば、CEOは、ローリスクでハイリターンなポストになってしまいます。
また、判断の誤りを放置すれば、同じ間違いが繰り返されます。
CEOが辞任しても、年功型雇用で、繰り上がる次のCEOに能力がある可能性は低いです。
日本の人事は、成果主義ですから、次のCEOになるためには、能力や責任は問われていないのです。
恐らく、また、不祥事が繰り返されるはずです。
年功組織で使われる稟議制は、責任を回避するシステムに過ぎません。
筆者は、大阪万博に価値があるとは思いません。
理由は、簡単で、大阪万博には、見るべき技術がないからです。
大阪万博で、見るべきものは、火星の石であるという人もいます。
しかし、With-Withoutで考えれば、火星の石があっても、火星の石がなくても、日本経済に与える影響はありません。
大阪万博は、段落の世界で決まっています。
誰が、大阪万博を行うという意思決定をしたかは、不明です。
恐らく、大きな赤字が出て、税金で補填することになると思いますが、誰も、責任をとらないでしょう。
これは、パラグラフの世界ではありえません。
3-3)段落と無責任
段落の世界は、無責任な世界です。
段落の世界では、上位者(権威者)は、結論だけを発言します。
背景の論理とデータを示すことはありません。
段落の世界は、権威が最優先の無謬主義の世界です。
地方再生対策は、田中内閣の時代から、50年続けられています。
少子化対策は、1990年から35年続けられています。
どちらも、十分な効果が出ていません。
先日、ある大臣が、これから、少子化対策を本格的に考えないと日本は大変なことになるといいました。多くの県庁は、なくなると言いました。
これは、パラグラフの世界ではありえません。
パラグラフの世界では、少子化対策について、誰が責任を持つかは自明です。
こども家庭庁は、少子化対策について、責任があります。
こども家庭庁は、少子化対策を本格的に考えた提案を出していません。
こども家庭庁が出来る前にも、少子化対策担当大臣がいました。
少子化対策担当大臣は、少子化対策を本格的に考えた提案を出してきていません。
パラグラフの世界では、責任を果たさない少子化対策担当大臣はクビです。
パラグラフの世界では、責任を果たさないこども家庭庁は解体です。
これが、能力主義の世界です。
担当者に能力がないのであれば、能力のある人材に入れ替えなければ、先に進みません。
ジョブ型雇用とは、能力主義です。
年功型雇用では、CEOは、能力のない人材を抱えていても、海外企業と競争できると考えています。リスキリングで、職員をトレーニングすれば、DeepSeekに勝てると考えています。
そのような無茶苦茶な論理は、段落の世界でしか通用しません。
法度体制の問題点を指摘した水林章氏は、太平洋戦争の時には、天皇制を信奉している日本には、アメリカ軍の爆弾が落ちることはないと言われていたといいます。
2025年の現在、政府は、リスキリングすれば、DeepSeekに勝てると言っています。
2025年に、高度人材は、日本の愛想をつかして、海外流出しています。能力主義でない組織では、能力があっても、給与が増えませんので、能力を獲得しないで、楽な生活をするか、能力を獲得して、海外に流出するかの2択になります。
少子化問題が明らかになった1990年から35年たっても、大臣ははこれから解決策を考えなければいけないといいます。
あるいは、石破首相は、これから地方再生を本格的に行うべきであるといいます。
これは、段落の世界でしか通用しない論理です。
ハルゼー氏の事例を思い出して下さい。
35年前に、日本が、段落の世界を拒否して、パラグラフの世界で生きていれば、少子化問題が、ここまで、無責任に放置されることはありませんでした。
パラグラフの世界(能力主義の世界)で生きていれば、35年前に、戦略としての少子化対策が作られ、データをもとに、戦略はバージョンアップされてきたはずです。戦術レベルで、達成できた項目と、達成できなかった項目が評価されているはずです。
段落の作文は、国語教育に組み込まれています。
日本以外の国では、母国語教育にパラグラフの作文が組み込まれています。
これは、水林章氏が、法度体制は、日本語に組み込まれているので、日本語を使うかぎり、法度体制から逃れることは難しいと指摘した点に対応してます。