20-2)ロボット農業の社会変化
第2の「雇用と労働が、デジタル社会へのレジームシフトに耐えられるか」(社会変化)をロボット農業について、考えます。
農作業を農業用ロボットが行う場合、人間の数で農業経営規模を計測することができなくなります。
工業では、従業員数で、大規模と中小企業を分けています。
農業でも、従事者数で、規模を分けています。
しかし、Society 5.0では、従事者数と規模(生産量、売り上げ高)の間の関係がなくなります。
内閣府の「Society 5.0の農業」には、「農産地での人手不足問題の解決」ができると書かれています。
「農産地での人手不足問題の解決」とは、農家がいなくなることです。
農業従事者のうち、ふだん仕事として主に自営農業に従事している「基幹的農業従事者」の人数は、2000年が約240万人から、2023年は約116万人と、半減しています。
ビール工場では、出荷検査の部分を除くと、工場の大きさに関係なく、労働者は、10人前後で十分です。
ロボット農業になると農家数は、減ります。今までの機械化農業との大きな違いは、圃場(水田と畑)の形状の影響を受けない点です。アメリカの農業では、大規模な圃場に、大規模な農業機械を投入することで、労働生産性をあげてきました。
日本の農地は、面積が小さく、地形が急なので、大規模な圃場が作れません。そのことが、機械化の障害になっていました。AI搭載の農業ロボットであれば、大きな圃場でなくとも、道路をまたいで農作業することができます。つまり、大規模な圃場でなくとも、機械化は可能です。とはいえ、あまりに面積が小さな圃場であれば、耕作に使うエネルギーにくらべて、移動にかかるエネルギーが大きくなって、農業用ロボットの生産性が下がってしまいます。農業用ロボットは、万能ではないので、効率性の点で、耕作対象外になる農地も出て来るでしょう。
アメリカの 2016 年の農業経営体(operator)あたりの平均農地面積は、 442haです。アメリカの2017年の農業従事者は約260万人で就業人口の1.3%です。
今後の技術革新を考えて、ここでは、ロボットの農業の1経営体の平均農地面積を500haと仮定します。
令和5年耕地面積(7月15日現在)耕地面積は429万7,000haです。
仮に、ロボット農業が実用化して、500haが1経営体で、耕作できる場合を想定します。
その場合に必要とされる経営体数は。8594経営体です。1経営体が夫婦2人であると仮定すれば、17188人になります。
ロボット農業でも、経済効率から放棄される農地がでると思います。不確実性はありますが、適正な農家人口が2万人弱(17188人)というターゲットは、決して不合理ではありません。
2023年の「基幹的農業従事者」は約116万人です。これから推測すると「Society 5.0の農業」では、114万人(98%)の農家が離農します。
「Society 5.0の農業」が順調に進めば、農林水産省は、デジタル庁の一部になっているはずです。
98%が離農するのは極端に感じるかもしれません。しかし、この値が小さければ、「Society 5.0の農業」の効果が小さくなることに注意してください。ここにある問題は、雇用の構造変化を受け入れられるかという問題です。
21)全体の社会変化
第2の「雇用と労働が、デジタル社会へのレジームシフトに耐えられるか」(社会変化)の全般を考えます。
ここでは、ゴールから逆算した必要なシフト量を推定する検討方法をとります。
21-1)費用対便益分析
石破茂首相は、2025年1月の施政方針演説で、地方創生の柱に「令和版列島改造計画」を行うと表明しました。
「令和版列島改造計画」は、田中角栄氏の「日本列島改造」の焼きなおしです。
石破茂首相は、田中角栄氏が政治のメンターであるといっています。
これは、「田中政治には間違いがない(法度体制の無謬主義の表現)」か、「田中政治の間違いを継承する(科学の表現)」といっています。
表現は、2種類ありますが、内容は同じです。
田中政治の基本は、財産権と市場経済を否定して、利権の中抜き経済を実現することです。
中抜き経済では、予算配分は、政治献金または、得票数に対する寄与で決まります。
これは、法度体制の維持になります。上位者は、上位者の指示に従って、政治献金を多く集めたり、選挙の票を多く集めた組織(下位者)に、より多くの公共事業と補助金を配分します。上位者の指示に従わない下位者は村八分にします。こうすれば、上位者が指示を出し、下位者が隷属する法度体制が強化されます。
田中政治の社会保障は、社会保険料をつかって、若年層から高齢者への所得移転システムの構築になっています。
社会保険料の改訂は、法律に基づかない財産権の侵害ですから、ロック流の民主主義に違反します。ロックは、財産権の確保が、民主主義の基本であるといいます。アメリカのようなリバタリアンのいる国で、財産権の侵害をすれば、内戦になります。日本で、内戦がおこらなかった原因は、国民が、法度体制のミームに洗脳されていたからです。ここには、太平洋戦争の特攻と同じ精神構造があります。
田中政治は、それまでの都市に集中した道路などの社会本整備を地方に分散させました。
道路などの社会資本整備では、税金の無駄遣いを避けるために、計画段階で、費用対便益分析を行います。また、社会資本整備後も、実際の費用対便益の値を計測します。
費用対便益分析という名前は難しいですが、目的は、代替市場の作成です。
スマホを買い替える時には、価格と性能のバランスを考えます。同じ価格であれば、性能の良い機種を選びます。同じ性能であれば、価格の安い方を選びます。つまり、性能対価格が指標になります。経済学では、この性能に対する満足度(便益)を費用対便益に一般化します。経済学では、便益対価格のよい製品が優れた製品であると表現します。
道路建設に費用対効果分析を適用する場合を考えます。ここでは、単純化して、予算規模(商品の価格、費用対便益分析の費用)は、一定の金額の場合を考えます。この同じ事業費に対して、2つのプランを考えます。
プランA
都内の渋滞を緩和するために、道路を建設します。
プランB
過疎地域の交通アクセスを改善するために、道路を建設します。
費用対便益分析で、費用が同じ場合には、便益が大きな事業が採択されます。
道路の経済効果(便益)の基本は、通過交通が生み出す便益です。通過する車両の数が少なくなければ、経済効果(便益)は少なくなります。
つまり、費用対効果分析をすれば、2つのプランでは、プランAが選択されます。
1970年頃、東京都は、美濃部都知事の時代(1967年から1979年)でした。マルクス経済学者の美濃部氏は、レーニン主義を信奉するファノン氏の橋の哲学を採用していました。これは、一人でも反対者がいれば、橋をかけない、あるいは、道路をつくらないというものです。その結果、東京都内の土木工事は、宙に浮いていました。予算執行ができないのです。
マルクス経済学は、市場原理よりも、中抜き原理を優先します。
田中角栄氏は、美濃部都政にヒントをえて、公共事業を地方に移転する方法を考えつきました。それが、日本列島改造であり、均衡ある国土の発展であり、地方再生(地方創生)でした。
日本列島改造の結果、農業から工業(農村から都市)への人口移動を減速させ、高度経済成長が終わりました。田中政治の経済的なダメージは非常に大きいです。
費用対効果分析を適用すれば、地方再生のプランBではなく、都市開発のプランAが採択されます。しかし、美濃部都政では、仮に、プランAが採択されても、工事をすることは困難でした。これは、建設土木企業にとっては死活問題になります。官僚にとっては、天下り先の喪失になります。費用対効果分析よりも当面の生活困難を解決したい人がいました。
田中政治は、こうした生活困難者の救済と利権の拡大を進めました。
費用対効果分析は形骸化され、値が1を超えればよい、あるいは、値を算出しておけば問題がないというレベルに歪曲化されました。
田中政治は、費用対効果分析を形骸化して、利権を優先する政治主導によって成り立っています。
地方再生は、経済合理性(費用対効果分析)を封印するための寓話です。
経済合理性から見れば、地方再生という解決可能な問題はありません。
「均衡ある国土の発展」は最初から実現不可能な寓話でした。
これは寓話ですから、全総を何回もバージョンアップしても、問題解決には至りません。
地方には、費用対効果分析ではありえない経済効果のない公共施設が建設されました。
地方に、経済効果のない公共施設を建設をし続けるためには、問題が解消されないことが必要です。これが、筆者が、「均衡ある国土の発展」が、寓話であるという理由です。
寓話が、解決可能な場合には、寓話が解決した時点で、利権が消滅して、経済合理性(費用対効果分析)が復活してしまいます。そうすると、政治主導はできなくなり、議員は、選挙で落選してしまいます。
費用対効果分析ではありえない地方の施設には、経済価値はありませんので、これから、維持管理や更新をせずに、朽ち果てるのを待つ以外に、対策はありません。維持管理と更新をしたら、国がつぶれます。
経済合理性を無視した政策は、通常であれば、数年でハイパーインフレを引き起こして、経済が崩壊します。日本が、安定経済成長になって、経済合理性を無視した政策を続けても、経済崩壊をしなかった理由は、冷戦と中国の鎖国政策にあります。
1990年以降、こうした好条件が失われたにもかかわらず、政府は、経済合理性を無視した政策を続けました。その財源は、国債と社会保険料でした。さらに、若年層の賃金を下げることがすすめられました。
費用対効果分析の基本は。複数のプランを比較する点にあります。
1990年以前の費用対効果分析にはソロバンか電卓をつかっていました。つまり、実務上、比較可能なプランは、2から3に止まりました。
1990年以降の費用対効果分析には、エクセルなどのスプレッドシートが使えるようになりました。つまり、実務上、比較可能なプランが、10プラン前後に増えました。
2025年現在では、ライブラリの充実したプログラム言語を使えば、1ページ程度のコードで、100万種類くらいのプランを簡単に比較できます。AIをうまく使えば、コーディングなしで、比較できる場合もあります。費用対効果分析を使わない理由はなくなりました。
2025年1月28日に、埼玉県八潮市で、道路が陥没する事故がおきました。原因は、道路のメンテナンス不足です。
新規道路の建設(プランA)と道路の保守修復(プランB)について、費用対効果分析をすれば、プランBの方が、費用対効果値(CB値)が大きい場合が多いです。
プランAが、地方創生の地方エリアにあり、プランBが、埼玉県八潮市のような人口密度の高い都市エリアにある場合には、ほぼ確実に、プランBのCB値は、プランAのCB値を上回ります。
ですから、公共事業選択に、費用対便益分析をつかっていれば、埼玉県八潮市の陥没事項が起きていた可能性は極めて低いです。
地方への公共投資を中止して、利用者の多い都市部の社会資本の維持管理に費用を配分することが、経済合理性のある判断になります。
道路の保守修復の事業費は小さいので、この事業による利権の中抜き経済のメリットは小さいです。田中政治の基本は、費用対便益分析を無視して、利権を優先するシステムです。これが、与党の政治システムになっています。つまり、新規道路の建設(プランA)を道路の保守修復(プランB)に優先してきました。
費用対便益分析を使うと、過去の政策選択が間違っていた(利権を優先していた)ことを認めることになります。これでは、無謬主義と法度体制が崩壊してしまいます。与党は、政権を失ってしまいます。
ですから、与党としては、地方創生の柱に「令和版列島改造計画」をすえています。
しかし、費用対便益分析を無視すれば、無駄な歳出が止まりません。際限のない増税が繰り返され、経済は崩壊します。これが、現在の日本です。
東京都の高速道路は、先進国とは言えない状況をが継続しています。渋滞による経済損失を考えると気が遠くなります。渋滞のない首都高を想像することはできません。しかも、この問題は、50年以上続いています。バンコクやジャカルタでも、渋滞問題はありますが、東京と比べると、問題可決の速度は早いです。
「均衡ある国土の発展」によって生じた経済ダメージは恐ろしくて想像したくないレベルです。
2024年12月に、欧州の国際研究機関・租税支出研究所が発表した「世界租税支出透明性指数(GTETI)」の国際ランキングでは、日本は「105ヵ国中73位」でした。東南アジアでは、「韓国1位」、「インドネシア2位」で、中国、タイなどデータのない国もあります。
G7では、「カナダ3位」「ドイツ4位」「フランス5位」「イタリア6位」「アメリカ17位」「イギリス39位」なので、日本の73位は、G7最下位です。
<< 引用文献
GETTI Version 1.1
https://gteti.taxexpenditures.org/ranking/
>>
日本では、費用対効果分析が実態としては使われていませんので、「世界租税支出透明性指数(GTETI)」の値が悪くなります。
費用対便益分析は、エビデンスに基づく政策選択(EBPM)の基本です。費用対便益分析を使わないで、EBPMに達することはありません。
租税支出の透明性をあげるためには、費用対効果分析を正しく使い、さらに、EBPMを使うことが必要になりますが、これは、政治主導(利権主導)を放棄することになるので、日本では、採用されません。
費用対便益分析を無視すれば、無駄な歳出が止まらず、際限のない増税が繰り返され、経済は崩壊します。
したがって、利権の政治には、持続性がありません。利権の政治は、SGDsに、違反しています。