Society 5.0は永久に来ない(1)

1)科学技術基本計画

 

政府は、Society 5.0とは、第5期科学技術基本計画で提唱された、「持続可能性と強靭性を備え、国民の安全と安心を確保するとともに、一人ひとりが多様な幸せ(well-being)を実現できる社会」で、我が国が目指すべき未来社会の姿と表現しています。

 

<< 引用文献

Society 5.0 内閣府

https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/

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内容は、意味不明なインスタンスのない言葉が並んでいる形而上学であり、あまりに、馬鹿馬鹿しいので取り上げません。

 

筆者は、法度体制を信奉しませんので、「第5期科学技術基本計画」は、間違いであると考えます。

 

「第5期科学技術基本計画」が間違いであると考える根拠は、第4期科学技術基本計画の問題点の分析と改善がなされていないからです。

 

つまり、「第5期科学技術基本計画」は、無謬主義(法度体制)の産物であり、科学とは無縁だからです。ここには、因果推論はありません。

 

第5期科学技術基本計画は、予算ありきで、逆算して作成された、利権を守る文書にすぎません。

 

Society 5.0には、どうでもいいことが書かれていますが、議論のポイントは、「デジタル社会へのレジームシフトができるか」という点につきます。

 

この問題は、次の2点に分解できます。

 

第1は、「デジタル社会を構築するシステム構築ができるか」です。

 

第2は、「雇用と労働が、デジタル社会へのレジームシフトに耐えられるか」です。

 

第1点については。2025年の成功例には、2つのタイプがあります。

 

タイプ1は、アメリカ・中国タイプで、ビックデータとAIを自力で開発しています。

 

タイプ2は、アイルランドタイプで、ビッグテックを誘致して、経済発展をしています。

 

2025年現在、世界の国は、この3国のモデルから、自国の現状を見て、もっとも実現性の高い方法で、デジタル社会へのレジームシフトを図っています。

 

インドは、アメリカ・中国タイプを目指していますが、アイルランドタイプを目指している国も多いと思われます。

 

中国の成功は、「中国製造2025」の効果が大きいので、各国は、「中国製造2025」を分析して、利用可能なパーツを探索しています。

 

これをまともに行っていない国は、日本だけであると思われます。

 

2)人口減少



イカ・マッカートニー氏は、「政策立案者の間では切迫感が高まっている。彼らはこれまでも、人口減少傾向を覆すために残された時間は2030年前後までしかないと警告してきた」と言います。

 

<< 引用文献

日本の「人口減少」に海外注目...米誌が指摘した「深刻な問題点」とは?2025/01/08 Newswek マイカ・マッカートニー

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2025/01/531599_1.php

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Society 5.0は、2050年ごろの社会の“あるべき姿”だとされ、2030年をメドに具体化するのが1つの目標です。

 

しかし、このままでは、Society 5.0が来る前に、日本人がいなくなります。




3)雇用と労働のシフト

 

ここでは、第2点の「雇用と労働のデジタル社会へのレジームシフト」を考えます。

 

統計学のメンタルモデルでは、分野別の労働者は、労働者の分布(確率変数)になります。

 

労働者の総数と労働者の分布を同時に考える必要があります。

 

たとえば、ドライバーが、自動運転に切り替える場合、ドライバーの事前分布と事後分布を考えるという推定問題を解くことが課題になります。

 

この切り替え問題が全ての労働分野で発生します。

 

労働者の分布のヒストグラムの縦軸は、人数または、確率になります。

 

労働者の分布のヒストグラムの横軸には、スキル、収入など、複数の候補があります。

 

4)AIの評価

 

AIのレベルを「人間と同等のレベルの仕事ができる能力」と定義する人がいます。

 

これでは、AIの定義にはなりません。

 

AIの開発者は、「人間と同等のレベルの仕事ができる能力」を考えていません。

 

AIの開発者は、ビッグデータアルゴリズムで、何ができ、どうすれば、有益なアプリになるかを考えています。

 

AIの能力が、人間の能力を超えたら、そこで、開発を中止するわけではありません。

 

したがって、「人間と同等のレベルの仕事ができる能力」という定義は間違いです。

 

「人間と同等のレベルの仕事ができる能力」という問題設定は、「雇用と労働のデジタル社会へのレジームシフトはいつ起こるか」という問題の不適切な書き換えであると思われます。

 

人間を中心に、AIを定義する表現には、「雇用と労働のデジタル社会へのレジームシフトを止めたい」という隠された意図があります。

 

「デジタル社会へのレジームシフト」は、個人の利権を侵害します。

 

「デジタル社会へのレジームシフト」を受け入れるか、阻止するかは、個人の自由意思の問題であり、筆者には、各段の意見はありません。

 

しかし、日本以外の国が、「デジタル社会へのレジームシフト」を受け入れ、日本が、「デジタル社会へのレジームシフト」を受け入れない場合、そこには、大きな副作用が生じます。経済が破壊され、日本は、貧困国に墜落します。これが、現在進行形の事実です。

 

こうした副作用を理解した上で、敢えて、「デジタル社会へのレジームシフト」を阻止するのであれば、それは、価値観の問題なので、筆者は、口を挟みません。

 

しかし、副作用を知らないで、意思決定をしている人がいるのであれば、筆者は、一言、注意を促したいのです。

 

「雇用と労働のデジタル社会へのレジームシフトを止めたい」と主張する人(AIに反対する人)は、「汎用AIの利用上の課題」があるといいます。

 

 社会的な観点では、汎用AIは法律・倫理的な問題を生じさせる可能性が高く、社会が受容できない可能性があるといいます。

 

しかし、この主張には、根拠がありません。