フィリップス曲線とエビデンス(1)

フィリップス曲線には、エビデンスはありません。

 

1)経済学は科学か

 

日本語のウィキペディアの「実証経済学」には、次のように書かれています。

実証経済学とは、経済学方法論の考え方の一つ。

 

理論的仮説に基づいて、論理的、演繹的方法を持って命題を導き出し、経験的分析、実証的分析を通じることによってこれらの命題が正しいかどうかを検討するという経済学。経済学は規範的分析と事実解明的分析に分ける事ができ、実証経済学は後者に含まれる。経済学はこの実証を経ることによって反証可能性を有し科学として成立し得ることとなる。

 

つまり、経済学には、科学である「事実解明的分析」と科学ではない「規範的分析」があることになります。

 

英語版のウィキペディアには、次のように書かれています。

実証的経済学と規範的経済学(Positive_and_normative_economics)

 

実証経済学は経済における事実の研究であり、規範経済学は経済における価値の研究である。経済学の哲学では、経済学は実証経済学と規範経済学に分けられることが多い。実証経済学は、経済現象の記述、定量化、説明に重点を置いている。規範経済学は、公平性や経済の結果や公共政策の目標はどう あるべきかについての議論や、(意思決定理論における)合理的選択に関する規定の形をとることが多い。

 

実証的/規範的区別の方法論的根拠は、哲学における事実と価値の区別に根ざしている。実証的陳述は世界の事実についての主張であり、規範的陳述は価値判断を表現する。前者は世界をあるがままに描写し、後者は世界がどうあるべきかについて語る。

 

宇沢弘文氏が、「改訂新版 世界大百科事典」に書いている記述は、規範的経済学は科学ではないと言わないための配慮が見られます。

実証経済学 (じっしょうけいざいがく)

positive economics

 

経済学の方法論に関する一つの考え方。経済学は、ある理論的仮説にもとづいて、論理的・演繹的方法によって、理論的命題ないしは政策的命題を導き出し、経験的ないしは実証的分析を通じて、これらの命題が正しいかどうかということを検討する。実証経済学は、理論的仮説に関して、それが正しいか否か、あるいは良い仮説か悪い仮説かということを判断することは困難ないし不可能であって、その仮説から演繹的に導き出された諸命題が実証的な分析によって正しいか否かということがわかってはじめて、最初の仮説の正否、良悪についての判断が可能になるという考え方をとる。

 

もともと経済学は、現実の経済制度に関する歴史的・実証的分析を通じて得られた数多くの知見を積み重ねて、経済の基本的な特性を的確にとらえて、経済循環の特徴を単純にして明快な理論的図式にし、その枠組みのなかで思考を進め、実証的に意味をもち、政策的な含意を包摂した結論を導き出そうとするものである。経済学に関する理論的前提としてどのようなものをとるか、という点が経済学研究にさいして最も基本的な役割を果たす。経済学者が経済をどのようにみるかということは、いわばビジョンとして、経済理論の根幹をなすものである。実証経済学の立場に立つとき、このようなビジョンの形成は必ずしも〈科学的な〉根拠をもちえないものとしてむしろ否定され、理論的結論が現実に起こっている現象をどこまで的確に説明でき、まだ起こっていない将来の現象をどこまで正確に予測できるかということによってのみ、理論的前提ないしは命題の正否が決められると考える。

→経済学

執筆者:宇沢 弘文

<< 引用文献

改訂新版 世界大百科事典 

https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-1171813

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ところで、科学としての実証経済学の検証は、統計学的手法(相関の方法)に偏っていて、因果が無視されてきました。

 

経済学の実証分析は、エビデンスに基づく検証にはなっていません。

 

2)フィリップス曲線は科学か

 

日本銀行は、フィリップス曲線(図1、縦軸がインフレ率、横軸が失業率)について次のように言っています。

中央銀行が、インフレ動向を分析、予測する際に、フィリップス曲線は欠かすことのできない存在となっている。近年、フィリップス曲線の関係は実用にたるほど安定的なものではないとして、「フィリップス曲線はもう死んでしまったのではないか」との議論も多々聞かれる。しかしながら、各国中央銀行の公表物では、日本銀行も含め、物価決定のメカニズムについては、フィリップス曲線の考え方に基づく記述が中心になっている。フィリップス曲線が疑わしいと言っても、それに代わる有力な物価決定メカニズムが見つかっていない以上、フィリップス曲線パラダイムから移行することはできない、現状はそういったところにあるようにもみえる。

 

 

 

<< 引用文献

フィリップス曲線日本銀行 2020/04/30

https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/rev_2020/rev20j03.htm

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フィリップス曲線の死」は議論の対象になっています。

セントルイス連銀のブラード総裁は15日、フィリップス曲線の死を巡って元同僚のフレデリック・ミシュキン氏と論戦を交わし、この現象が消えたかどうかで意見を対立させた。

 

  ブラード総裁が20年にわたる経験的証拠で失業率とインフレ率に相関関係がないことが示されたと先に主張した点について、米連邦準備制度理事会FRB)元理事のミシュキン氏は州と地方のデータはその逆を示唆していると指摘。

 

  ロンドンで開かれたマネタリー・ファイナンシャル・ポリシー・コンファレンスで発言したミシュキン氏は、「フィリップス曲線がこれまでと同様に強力であることが実際に示されている」と指摘した。フィリップス曲線が死んだと想定するのは危険であり、「景気を良くし続けても、それについて心配することはない」という見方を助長すると付け加えた。

<< 引用文献

フィリップス曲線は死んだのか、ブラード総裁とミシュキン氏が論戦  2019/10/16 Bloomberg

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-10-16/PZG1NDDWX2PS01

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インフレ目標フィリップス曲線の関係について、野口 悠紀雄氏は、次のように書いています。

インフレ目標は世界の多くの中央銀行が採用してきたものだが、その基礎になっていたのは、「フィリップスカーブ」である。これは、失業率を横軸に、物価上昇率名目賃金上昇率)を縦軸にしてグラフを作ると、物価が上がる/下がるほど失業率が下がる/上がる曲線を描くことができることを表している。つまり、物価上昇率と失業率との間には一定の関係があるというものだ。 

 

 物価上昇率が高ければ失業率が低く、経済活動が活性化している。逆に物価上昇率が低ければ、失業率が高く、経済は低迷している。ただし、この関係は、単なる相関関係にすぎない。

 

 つまり、「物価上昇率を高めれば経済が活性化する」ということでは必ずしもない。一方で「経済が活性化すれば、失業率は低くなり、それに伴って物価上昇率も高くなる」という解釈も可能だ。

 

 後で見るように、日米経済の比較から導かれるのは、後者の関係だ。 

<< 引用文献

インフレでも日銀が「異次元緩和」をやめないワケ、物価上昇ではない“真の目的”とは 2022/08/01 ビジネス+IT 野口 悠紀雄

https://www.sbbit.jp/article/fj/92365

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野口悠紀雄氏は、フィリップス曲線は、因果関係ではないといいます。

 

これは、フィリップス曲線には、エビデンスがないと言い換えることができます。

 

野口悠紀雄氏の説明のジャンクションを矢印で書けば次になります。

 

物価上昇率<-経済の活性化ー>失業率の低下

 

このジャンクションは、「因果推論の科学」(p.181)のフォークになります。

 

フォークの説明の要点は、以下です。

 

フォーク(分岐) A<ーBー>C

 

この場合のBは、共通因子あるいは交絡因子と呼ばれる。

 

AとCの間には、因果関係はないが、統計的な相関関係が生じる。

 

具体例

 

靴のサイズ<-子供の年齢ー>読解力

 

「靴のサイズが大きければ、読解力が高い」という相関関係はあるが、「子供に大きなサイズの靴を与えても、読解力が高まる」という因果関係はない。

 

つまり、「インフレになれば、失業率が下がるという」信念は、「子供に大きなサイズの靴を与えれば、読解力が高まるという」信念と同じ形の因果ダイアグラムをしています。

 

これは、破綻した推論です。

 

フィリップス曲線は死んだ」のではなく、最初から間違っていたのです。

 

このような破綻した推論が起こる原因は、相関と因果を取り違えているためです。

 

データレベルで言えば、ファクトとエビデンスを取り違えているためです。

 

世界中の経済学部で、相関と因果を取り違えた結果、「インフレになれば、失業率が下がるという」というトンデモない理論が跋扈してきたことがわかります。

 

物価上昇率<-経済の活性化ー>失業率の低下」をみれば、「物価上昇率<-経済の活性化」であって、「物価上昇率->経済の活性化」ではありません。

 

インフレ目標は、「物価上昇率->経済の活性化」を主張していますので、原因と結果を取り違えていることになります。

 

「靴のサイズ<-子供の年齢」は正しいですが、「靴のサイズ->子供の年齢」(大きい靴をはけばー>子供の年齢が増える)ことはありません。