7-1)レシピ
「論理的思考とは何か」で述べている「論理」とは、小説の書き方で述べているプロットの作り方に相当します。
小説を書くには、必ず守らなければならないルールはありませんが、売れる小説を書くための方法を検討した本が出版されています。こうしたルールを守ると効率を上げることができます。
料理には、レシピがあります。
レシピ通りに作っても、必ず良い料理ができる訳ではありませんが、初心者は、レシピに従うと失敗が少なくなります。
ITが進んでくると、レシピの市場が拡大します。
プログラミング言語は、人工言語で、文法規約で定義されています。
しかし、文法規約だけで、プログラミングが出来る人は、一部の天才に限られます。
これは、文法規約と辞書だけで、英作文ができないのと同じ現象です。
英作文のスタートは、英借文です。
150ぐらいの基本パターンの英文を暗記して、問題に対して、一番近いパターンの英文を元に、改造して作文します。
語学の天才であったシュリーマンは、50ページ程度の外国語の小冊子を暗記していました。
人工知能が、ルールベースの時代には、文法規約に従った翻訳が試みられましたが、成功しませんでした。
現在のAIの基本は、パターンマッチングです。英借文をビッグデータで行う方法です。大規模言語モデルは、パターンマッチングの問題を、虫食い算に拡大しています。それでも、パターンマッチングの要素がなくなる訳ではありません。
人間は、ビッグデータを扱えないので、今後も、150ぐらいの基本パターンの英文を暗記していくことになります。
150ぐらいの基本パターンの英文は、英作文のレシピと言い換えることができます。
プログラミング言語では、基本パターンのプログラムコードをレシピと呼びます。
「論理的思考とは何か」の主張は、作文のレシピがあるということです。
作文のレシピに対する一般的な評価は、初心者には役に立つことがあるが、限界が多いということです。
これは料理を考えれば分かります。
料理の成功は、素材が半分で、レシピが半分です。
レシピは素材をみながら修正します。
例えば、レシピは、素材の温度、硬さ(果実であれば成熟度)、キッチンの温度、キッチンの湿度、キッチンの気圧などの影響を受けます。
これらを勘案して、標準レシピを修正する必要があります。
「論理的思考とは何か」は、世の中には、4種類の作文レシピがあると主張しています。
これは、世の中には、日本料理、中華料理、フランス料理など4種類の料理しかないという主張と同じ構造を持っています。
これは、無謀な主張です。
さらに、筆者は、作文のレシピを、「論理的思考」と呼ぶことは、誤解を招きやすい表現であると考えます。
なお、「五パラグラフ・エッセイ」のような個別の作文のレシピの評価を見れば分かりますが、作文のレシピには、ほどほどの効果しか認められていません。
英語版のウィキペディアには次のように書かれています。
<
英語を学ぶ生徒は、段落にはトピック センテンスまたは「メイン アイディア」ができれば最初にあり、その後に説明や証拠を提供する複数の「サポート」または「詳細」センテンスが続くべきだと教わることがあります。エッセイを書くためのこの種のテクニックの 1 つは、シャッファー パラグラフ(Schaffer_method)として知られています。トピック センテンスは主に学校での文章作成で見られる現象であり、この慣習は必ずしも他の文脈に当てはまるわけではありません。
>
作文のレシピが文化を代表するというファクトは見られません。
作文のレシピは、料理のレシピと同じように、人気がありますが、多くの研究者にとっては、重要度が低いテーマです。
作文のレシピは、エッセイミル(essay mill)に関連しています。
エッセイミルは、顧客が特定のトピックに関するオリジナルの文章を依頼し、学術詐欺を犯すことを可能にするビジネスです。
エッセイミルの解決は、さしせまった教育の大きな問題です。
ChatGTPなどの生成AIは、エッセイミルを収入源としてあてにしている訳ではありませんが、エッセイミルを唯一の収入源としている業界が既にあります。その原因は、大学が学力評価ができないという現実を反映しています。
日本では、作文のレシピが教育評価の対象になっていませんので、エッセイミル業界が小さいですが、「論理的思考とは何か」にしたがって、作文のレシピを教育評価の対象にすれば、アメリカのように、エッセイミル業界が拡大すると思われます。
日本のエッセイミル業界の実体は、よくわかりませんが、アメリカでは、エッセイミル企業は、インターネット検索を引き付けるために、人気のあるトピックに関する無料のサンプル エッセイを提供することがよくあります。日本では、検索にヒットするレベルでは、無料のサンプルエッセイの提供は少ないです。
日本の私立大学は、1クラスの学生数が非常に多い場合もあります。1クラスの人数が、200人のある私立大学の教員は、実験レポートは、提出の有無を評価するが、内容は見ていないと言います。
日本の学生のエッセイは、「五パラグラフ・エッセイ」のように、統一された形式でかかれていないので、ほとんどは評価が困難と思われます。これは、結論の位置には、関係しません。すべてのエッセイの結論が、最初ではなく、最後に書かれていれば、その場合でも、採点は容易です。最初に書かれていないとページをめくる手間が増えますが、それは、小さな差です。
多くの学生のエッセイでは、結論の置かれている位置がわからないか、結論が書かれていません。その結果、評価は困難を極めます。
大学入学統一テストの論文の採点をコンピュータで行う計画がありましたが、実現しているのでしょうか。コンピュータ以前の問題として、人間が採点することが困難なエッセイが多いと思われます。
7-2)バイナリーバイアス
「論理的思考とは何か」が、世の中には、4種類の作文レシピがあると主張する原因は、バイナリーバイアスを無視しているからです。
言葉を使った人間の思考は、バイナリーバイアスの制約を受けます。
例えば、論理学で、確率を無視すれば、全ての問題の確率は1か0になり、現実問題を全く扱えなくなります。
これが、ルールベースシステムのAIが失敗した原因です。
この問題は、古典的な論理学も抱えています。
このバイナリーバイアスをさけるには、確率の言葉、つまり、数学を使うことになります。
これが、正しいバイナリーバイアスの回避法です。
とはいえ、文章は、頭の中で展開できますが、数式を頭の中で展開することの出来る人は少ないです。(注1)そこで、当面の便法として、筆者は、白、黒、グレーで考えることを推奨します。グレーは、バイナリーバイアスを回避するための保険です。確率1と確率0の他に、確率0.5の場合を考えます。確率0.5は、アバウトで完全ではありませんが、バイナリーバイアスの弊害をかなり回避できます。
この方法は、パレート分布の上位20%、中位60%、下位20%にも対応します。
例えば、ある課題の教育をした場合の成果を、次のように考えます。
教育前の上位、中位、下位の生徒(インスタンス)を考えます。
上位は、既に、自分で理解が出来るので教育が不要な生徒です。
中位は、問題が理解できるが、解法がわからない生徒です。
下位は、問題が理解できない生徒です。
こうすると、教育とは、中位の生徒の何人を、上位の生徒に変換できるかという問題になります。
俗に小学校、中学校、高等学校で、授業についていける生徒の割合は、7割、5割、3割であると言われます。
これは、問題が理解できない下位グループの生徒の割合が、小学校、中学校、高等学校で、3割、5割、7割になっていることを示しています。
これは、膨大な無駄な教育投資が行われていることを示しています。税金の無駄遣いです。
教育が、エビデンスに基づく科学の方法を使わない弊害は、膨大です。
問題が理解できない生徒が、成人になった場合、問題が理解できるAIに、完敗します。
こう考えると、2024年の時点で、7割の人材は、AIに負けているはずです。
注1:
数式を頭の中で展開出来ることは、典型的な論理思考です。
数式の展開の難易度は高いですが、プログラム言語のコーディングであれば、難易度はずっと低くなります。
初等教育の3年生からプログラミング教育をしているインドでは、プログラミング言語を頭の中で展開出来る人材が多いと予想されます。
つまり、日本のDXの遅れは、プログラミング言語による論理的思考教育の遅れに、原因がある可能性が高いです。
7-3)エコリージョン
経済学には、リージョンの概念がありません。
現実の世界は、冷戦にみるように、リージョンによって異なります。
エコリージョンは、国単位だけではありません。
社会主義市場経済の中国には、市場経済のエコリージョンと、社会主義のエコリージョンが混在しています。
共産党が経済を制御すれば、社会主義のエコリージョンが広がり、市場経済のエコリージョンが縮小します。
2024年の日本では、政府主導の(市場経済以外の、社会主義の)エコリージョンが広がっています。
毎日新聞は、次のように伝えています。
<
過疎地などで地域医療が崩壊する一方で、自由診療を中心とする美容医療クリニックが増加している。臨床研修を終えた直後から美容医療に従事する若手医師も相次いでおり、こうした動きを指す「直美(ちょくび)」という言葉まで生まれた。放置すれば医師偏在をさらに深刻化させかねないとして、国は規制強化に乗り出す。
>
<< 引用文献
好待遇だけが理由? すぐに美容医療に走る「直美」若手医師たち 2024/12/19 毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/80190f8c28a5baf949533fb1bb5886e71c916d61
>>
法律を使って規制すべきというルールをつくることができますが、ルールを守らせることは困難です。中国では、国民番号とAIを使って、高度な監視を実現していますので、法律を作れば、ある程度ルールを守らせることが可能です。
日本には、そのようなモニタリングシステムがないので、法律が増えれば増えるほど、法律を守らせることが困難になります。
法律を増やすことは、統治能力の低下につながり、無法状態が放置されるようになります。
近代経済学は、市場原理が原則ですが、すべてが市場原理ではなく、公共財という市場経済以外のエコリージョンを想定しています。
近代経済学は主に、市場経済のエコリージョンを対象にした理論であり、市場経済以外のエコリージョンの理論は貧弱です。例えば、現状では、環境問題は、市場経済以外のエコリージョンの問題になっています。この問題に対しては、自然資本の経済学の構築が試みられています。これは、市場経済以外のエコリージョンの経済学を整備するのではなく、市場経済のエコリージョンの経済学のグレードアップを目指す方向です。
リバタリアンは、市場経済のエコリージョンを最大化する思想で、自然資本の経済学も同じ方向を目指しています。
政府の活動は、市場経済以外のエコリージョンになります。政府の経済規模(エコリージョン)が大きくなることは、市場経済以外のエコリージョンの拡大になります。市場経済以外のエコリージョンでは、市場原理が使えませんので、市場原理中心の経済学の理論は無効になります。市場原理中心の経済学は、微分方程式で記述でき、制御が可能です。市場経済以外のエコリージョンでは、経済の制御は出来ません。経済の制御ができない状態の典型は、封建主義であり、ロックが問題にしたように、財産権が確保されません。封建時代には、財産権はなく、政府が財産をピンハネしていました。
封建時代の日本でも、現代の日本でも、徴税があります。同じ徴税が財産権の侵害になるか、否かは、税収の使途の違いになります。税収が、「企業への補助金=>政治献金=>議員の会食費」というルートで使われていることがわかっています。このルートには、納税者への還元がありませんので、財産権の侵害にあたります。これでは、封建時代との違いがありません。すくなくとも、リバタリアンは、そのように考えます。財産権の保全のないエコリージョンは、リバタリアンにとっては、民主主義の崩壊になります。国家を維持するために、徴税は不可欠です。これは、封建時代も、現代も変わりません。違いは、支出が、有権者に還元すること、還元にプロセスで、ピンハネ(中抜き経済)が行われていないことにあります。この点が確保されなければ、民主主義が崩壊していると言えます。
この節をまとめます。
人間の活動は、生態学で説明できます。
生態系は、リージョンで異なります。リージョンに棲む生物とリージョンの生態系の間には、相互作用があります。
人間活動について考察する場合に、リージョンの視点を点検することで、見落としを回避できます。
7-4)AIの時代
筆者には、「論理的思考とは何か」は、英語版のウィキペディアの基礎知識の基準をクリアしていないように見えます。
これは、「論理的思考とは何か」の執筆者の問題ではなく、執筆者の属している学会の問題です。
その点は、日本語のウィキペディアと英語のウィキペディアを比べれば、確認できます。
執筆者は、プラグマティズムの紹介に、米盛裕二著「アブダクション: 仮説と発見の論理」(2007)を引用しています。
執筆者は、「論理的思考とは何か」の終章(p.167)で、次のように言います。
<
本質論理の価値観から思想を選択する
推論に関わる形式論理のみならず、価値に紐づけられた本質論理の存在を知る最大の利点は、なんらかの決定を行わなければならない時、どの領域の論理を使って思考を判断するのか、自覚的に「価値を選択できる」ことである。
>
この文章を読んで、読者は、何かを連想しませんでしたか。
「なんらかの決定を行わなければならない時、どの領域の論理を使って思考を判断するのか」は、パースの「ブリーフの固定化法」の問題設定、そのものです。
プラグマティズムやアブダクションを引用するのであれば、「ブリーフの固定化法」のどこに間違いがあったのかを説明する必要があります。
筆者は、もちろん、パースの判断が、「論理的思考とは何か」の判断より、正しいと考えています。
また、「本質」が科学では、使用禁止用語なので、パースは使っていません。
ウィキペディア基準で、英語版のパースの項を読めば、引用文献にある「ブリーフの固定化法」にリンクが張られていて、英語の原文にアクセスできます。自動翻訳を使えば、「ブリーフの固定化法」の8割程度はすぐに理解できます。細部は誤訳になっている可能性があるので、チェックが必要になります。
執筆者は、恐らく、「ブリーフの固定化法」を読んでいないと思われます。
Google検索、ウィキペディア、自動翻訳というツールの効率と精度はあまり高くありません。
ChatGTPなどの生成AIは、Google検索、ウィキペディア、自動翻訳というツールより、効率と精度の向上を図っています。
そうでなければ、誰も、使用料金を払いません。
つまり、知的能力のレベルは、次のようになっている可能性が高いです。
生成AI > 推論A > 推論B
推論A = Google検索、ウィキペディア、自動翻訳というツールを使って、辛うじてウィキペディア基準をクリアした筆者の推論
推論B = ウィキペディア基準をクリアしていない推論
これから、AIの時代に対する対処は、既に、将来の問題ではなく、現在の問題になっていることがわかります。
7-5)反事実
教育関係の学会が、ウィキペディアの基準をクリアできなくなった原因はなんでしょうか。
筆者は、それは、業績主義にあったと考えます。
1990年代に、日本の大学に業績主義が持ち込まれました。
この業績主義は、形而上学です。
業績は、査読付き論文の本数で評価されます。
1990年には、ウィキペディアの基準はありませんでした。
そこでは、査読が、ウィキペディアの基準をクリアできているかは、問題にされません。
帰納法は、科学的な推論ではありませんが、メタサイエンスのできない学会が多いので、観察研究があふれてしまいます。
観察研究は、反事実を扱わないので、問題解決ができません。
日本の学術論文から、反事実が扱える実験室内の実験研究を除けば、日本の学術のレベルは、途上国並みと思われます。ウィキペディアの基準をクリアできていなければ、これは当然のことです。
ここに、学術レベルの低下という問題があります。
この問題の解決は、観察研究ではできません。
反事実を扱う必要があります。
1990年代に、日本の大学に、形而上学の業績主義が持ち込まれたことが、学術レベルの低下の原因であるという仮説を立てます。
ここでは、推論を簡単にするために、仮に、この仮説が正しいとすれば、何をすれば、形而上学の業績主義の導入を回避できたかという反事実に対する問いが問題解決につながります。
アベノミクスの異次元緩和が失敗であったと主張する人がいます。この場合も、問題解決とは、同じ間違いを繰り返さない方法を反事実で検討する必要があります。
残念ながら、反事実の推論がないと、問題解決ができないというメンタルモデルは、日本では、共有されていません。