関税化のエビデンス

1)関税化の効果

 

トランプ次期大統領は、関税化を進める計画です。

 

関税化によって経済成長が減速するという主張が、氾濫していますが、この主張には、エビデンスがありません。

 

今回は、この点を考えます。

 

2)計算の前提

 

評価対象を全世界にして、全体の経済規模を評価対象した微分方程式をつくれば、自由貿易の場合に、経済成長が最大化します。

 

関税化によって経済成長が減速するという主張は、このモデルに基づいています。

 

地球の温暖化の予測のように、モデルは、実世界の近似です。

 

モデルの精度が十分でない可能性があります。

しかし、今回は、この点は、無視して、検討を先に進めます。

 

3)平等関数

 

経済学の大きな欠点は、平等関数をもっていないことです。

 

経済成長を優先すれば、貧富の差がつきます。

 

貧富の差があまりにおおきくなり、生活できない人が増えると、社会不安になって、経済活動ができなくなります。

 

平等関数とは、筆者の造語で、貧富の差を補正する関数を指します。

 

つまり、安定した経済成長のためには、平等関数が必要です。

 

トリクルダウンによって、平等関数は不要であると主張する人もいますが、過去のファクトは、この主張を否定しています。

 

驚くべきことに、社会主義を提唱するマルクス経済学は、平等関数の提案をしていません。

 

現在、採用されている平等関数は、生活保護ですが、これは、うまく機能しません。

 

ベーシックインカムは、生活保護型の平等関数を目指しています。

 

しかし、金額の過多はともかく、多くの人にとって、収入は、働くこと(社会貢献)の対価であると考えています。

 

なので、生活保護型の平等関数がうまく機能するかはわかりません。

 

例えば、1時間働いて、500円の経済価値しか生み出せない場合に、1000円の所得をえれば、差額の500円は、平等関数になります。

 

このような労働は、生産性がマイナスの労働なので、経済モデルでは、存在できないと考えます。

 

生活保護型の平等関数では、生産性がマイナスの労働はやめて、生活保護を1000円受け取るべきであるという主張になります。

 

そもそも、平等関数は、生産性を最大にするという最適化条件にはのりません。

 

平等関数を、経済モデルで、どのように定義することが合理的であるかという問題すら、クリアされていません。

 

皆が賛同できる平等関数があれば、103万円の問題は存在しません。

 

筆者には、経済学者が平等関数を論じないことは、怠慢に見えます。

 

4)所得移転の課題

 

国の中であれば、生活保護のように、所得移転が行われます。

 

しかし、国をまたいだ場合には、所得移転が行われません。

 

EVを関税化しない場合、中国が貿易黒字になり、アメリカは貿易赤字になります。

 

アメリカの工場は閉鎖されて、生活保護が増えます。

 

この増えた生活保護のコストを中国政府は支払ってくれません。

 

所得移転は起きません。

 

それどころか、貿易赤字国が、貿易黒字国に対して、所得移転を要求するにしても、要求額の算定基準の平等関数がありません。

 

これは、COPで、先進国が、開発途上国に支払う費用の根拠がなかったことでも確認できいます。

 

仮に、所得移転ができないのであれば、トータルの生産性を最大化するという目的関数(評価関数)は、間違いになります。

 

たとえば、アメリカの工場で働く労働者は、1時間あたり500円の経済価値しか生み出せないのに、1000円の所得を得ていたとします。差額の500円は、平等関数です。この500円は、関税化によって、アメリカの製品価格が高くなることによって補われてます。

 

しかし、関税化は生活保護とは異なり、アメリカの政府は、差額の500円分の歳出を準備する必要はありません。

 

5)日本の課題

 

関税化戦略をとるためには、エネルギーと食料の自給ができる必要があります。

 

アメリカは、この条件をクリアしているので、関税化政策に、障害はありません。

 

日本の場合、エネルギーと食料の自給ができません。

 

したがって、日本は、関税化戦略をとることができません。

 

1990年頃まで、日本は、工業が生み出した膨大な貿易黒字を抱えていました。

 

税制上は、この貿易黒字による法人税だけでなく、1972年から、国債の積み上げと世代間所得移転による債務の先送りをしていました。

 

つまり、大きな再配分の財源(所得移転の元)がありました。一方で、所得移転先の高齢者と競争力のない産業(農業)の経済規模が小さかったので、所得移転が可能でした。

 

政治の目的が、所得移転に特化し、その結果、補助金期待の金権政治が政治の本流になりました。

 

2024年の現在では、自動車産業を除けば、デジタル産業、工業、農業ともに、貿易赤字です。国債の積み上げと世代間所得移転(社会保険料)による財源は、限界に達しています。

 

一方、自動車産業を除けば、デジタル産業、工業、農業ともに、貿易赤字なので、法人税の財源は増えません。海外投資のリターンがありますが、投資国で納税しているので、上乗せ課税できる余地は小さいです。

 

結局、2024年現在では、政治の中心は、所得移転であるというモデルは破綻しています。

 

103万円の議論に対するネットの書き込みをみていると、明らかにリバタリアンの発想が広がっています。

 

政府は、年金も100年安心といってましたが、実際には、生活不可能な金額にまで、年金を切り下げています。

 

100年安心が実現できないのであれば、公的年金はいらないから、その分を減税すべきであるという主張が出ています。401Kの方がよいという主張になります。

 

103万円の壁を崩せば、税収が7兆円減りますが、その分は、民間の可処分所得が増えるので、経済活動が盛んになります。税収が7兆円減れば、その分、歳出を減らせば良いので、税収が減ることは良いことであるという主張が出ています。実際に、歳出の効率に対するエビデンス数字は、一切でてきませんので、膨大な無駄な歳出があると考えることが出来ます。

 

日本は、アメリカとは異なり、関税化戦略をとることができません。

 

日本の雇用が存続する唯一の方法は、海外の企業に比べて、競争優位を保つことです。これは、リバタリアンでないと実現できません。

 

リバタリアンには、平等関数がありませんので、平等関数の課題は残ります。

 

アメリカは、関税化による平等関数の実現を図ることが可能です。

 

しかし、日本では、その選択ができません。

 

国民民主党の103万円問題は、依然として、所得移転の政治の範疇にあります。

 

ただし、ネットの議論の経過を見ていると、リバタリアンの議論が急拡大しています。

 

2024年12月の補正予算は、予算額が拡大しています。

 

現状では、補正予算案は、国会審議ではなく、財務省主導で決まっています。

 

リバタリアンの主張は、予算案決定のプロセスを問題にしています。

 

予算員会でも野党の影響力が強まった結果、選挙の結果では、財務省主導の予算案決定のプロセスが変わるというメンタルモデルが有権者にできつつあり、今後、政治家のロールモデルが大きく変化すると思われます。

 

6)ジム・ロジャーズ氏の指摘

 

リバタリアニズムで、日本経済は、復活するのでしょうか。

 

ジム・ロジャーズ氏は、2024年の日本と、1979年のイギリスを比べています。(筆者要約)

日本のように、低金利政策が35年近くもの長年にわたって続くという状況は、世界的に見てもこれまでに例がなく、間違いなく“異常”な状況、政策だと断言できる

 

この(日本の、筆者注)ように国が衰退していく状況も、歴史を学べばわかる。ポンドが急落したイギリスの事例だ。

 

イギリスは、そのまま沈没することはなかった。1979年に首相に就任したマーガレット・サッチャーが、政策を転換。「小さな政府」を掲げ、国営企業を民営化するなどして歳出を削減。さらには、北海油田の開発を進めるなどして復活を遂げていく。

<< 引用文献

ジム・ロジャーズ「日本経済は歴史的に見て異常」  20224/12/15 東洋経済 

https://toyokeizai.net/articles/-/845374

>>

 

つまり、リバタリアニズム以外処方箋はありませんが、それだけでは、十分でなく、「北海油田」のようなものが必要であるという意見です。

 

ジム・ロジャーズ氏は、2024年12月に、<「日銀」が日本を滅ぼす 世界3大投資家が警告する日本の未来>という本を出版しています。

 

これは、「日銀」あるいは、「財務省」が、日本経済をダメにしたという主張です。

 

103万円の壁に対して、「日本が滅びる」といった税調委員がいましたが、ジム・ロジャーズ氏の主張では、ここまで、日本を滅ぼしたのは、税調であるいうことになります。

 

サッチャー政権では、歳出の削減が行われました。2024年に、日本で稼げる産業は、自動車産業だけです。日本の「北海油田」が見つかる可能性は低いですが、リバタリアニズムで、歳出を削減する以外に方法はありません。一方、現実は、補正予算の増額のように、利権を優先して、逆向きに走っています。

 

なお、ジム・ロジャーズ氏は、正規には経済学を学習していません。「低金利政策が35年近くもの長年にわたり続いた」ことは、政策決定には、エビデンスはなく、ファクトも無視していることを意味します。

 

前⽥裕之氏は、「エビデンスに基づく新⼿法では、経済理論は不要である。経済学部はデータサイエンス学部になる可能性がある」と言います。(筆者要約)



<< 引用文献

経済学はどこに向かうのか 前⽥裕之

https://www.mof.go.jp/pri/research/seminar/fy2023/lm20231102.pdf

>>

 

因果推論の科学があれば、エビデンスを無視した経済学は不要とも考えられます。