1)正しい推論と間違った推論
推論には、科学的に正しい推論と科学的にまちがった推論があります。
科学的に間違った推論では、問題解決ができません。
1-1)コレラ
例えば、ウイルスに感染した時に、お祈りをしても治りません。
東南アジアでは、エルトール小川型コレラが発生する国があります。
エルトール小川型コレラの第1の死亡原因は、脱水です。
軽傷の場合には、経口で水分を補給します。
症状が悪化すれば、点滴を使います。
多くのケースでは、点滴ができれば、死亡することは少ないです。
しかし、伝統的には、コレラの感染の原因を悪い精霊がのり移ったと考えます。
病人に近付けば、悪い精霊にとりつかれると考えて、病人は放置されます。
この場合、病人は死んでしまいます。
科学的に正しい推論をしなければ、問題は解決しません。
1-2)エビデンスの基本
エビデンスに基づく判断の基本は、処置と未処置の比較です。
ある薬を投薬した場合と、しなかった場合を比較します。
この場合に、交絡因子の影響を排除するために、RCTを使います。
しかし、RCTに入る前に、エビデンスを使う動機は、処置と未処置の比較である点が重要です。
これは、処置Aと処置Bの比較に一般化できます。
政策であれば、政策Aと政策Bの比較に一般化できます。
仮に、RBPMで、政策Aを選択するのであれば、政策Aは政策Bより、確実な効果を見込める場合になります。その判断は、因果モデルを使ったエビデンスに基づきます。
2つの政策を比較して、効果のある政策を選択することは、エビデンス以前の基本的な前提になります。
実は、いくつかの場合では、2つの政策の比較は容易です。
1-3)比較をする
11月26日に政府と経済界、労働界の3者による「政労使会議」が開かれ、石破総理大臣は来年の春闘で大幅な賃上げが行われるよう協力を求めました。また、最低賃金を引き上げる目標の達成に向けて来年の春までに対応策を取りまとめるよう関係閣僚に指示しました。
この政策は、「春闘で大幅な賃上げの協力」です。
これを政策Aとすれば、他の政策Bを考えて比較すればよいことになります。
たとえば、アベノミクスの10年で、消費税をあげて、法人税を下げました。
これから、政策Bに、「消費税を下げて、法人税をあげる」が考えられます。
エビデンスに基づく考えでは、「春闘で大幅な賃上げの協力」をとることが、「消費税を下げて、法人税をあげる」より、賃上げに効果があることを示す必要があります。
このレベルであれば、RCTをするまでもありません。
「消費税を下げて、法人税をあげる」は一例ですから、何でもかまいません。
ある政策をする場合には、かならず、対抗馬の政策を考えて、効果のある方を選ぶべきです。
あなたが、もしも、がんであることがわかれば、治療法を選択します。
医師は、複数の選択肢の中から、最も費用対効果の高い方法を推奨します。
これが、科学の方法です。
「春闘で大幅な賃上げの協力」は、どうみても、言霊の世界であり、宗教に近いと言えます。
資本主義では、賃金は労働市場で決まります。
年功型雇用で賃金労働市場で決まらなければ、社会主義になります。
ロバート・マクナマラ氏は、1940年8月にハーバード大学に戻り、ビジネススクールで会計学を教え、当時同大学で最も高給取りで最年少(24歳)の助教授となっています。
日本の大学には、高度人材の労働市場がありません。日本の大学は、社会主義になっています。その結果、学問の新陳代謝が起きません。
マクナマラ氏は、1940年当時の最先端学問のORの専門家でした。
おそらく、現在のアメリカでは、AIの専門家の大学教師の給与は、他の分野より、高いはずです。そして、大学教師より、GAFAMの給与の方が高いはずです。このあたりの兼務の許容範囲はよく理解できていません。
保育士の処遇改善などを、青森方式で行うことが検討されています。
青森方式には、エビデンスはありません。
がんの治療では、エビデンスのない民間療法にたよって、命を落とす人があとを立ちません。
これは、エビデンスに基づく判断という科学の方法を受け入れられないために、生じます。
エビデンスのない政策の比較では、誰もが、かならず間違いをします。
人文科学と社会科学の有識者の中には、自分は正解を知っていると主張する人がいますが、その主張は、科学的な間違いです。
エビデンスがなければ、誰も正解には到達しません。
日本が、経済成長しなかった原因は、エビデンスのない政策を繰り返した結果です。
筆者も正解は知りません。しかし、筆者は、エビデンスという正解にたどり着く道筋を知っています。
日本政府も、また、エビデンスのない民間療法にたよっています。
日本の余命が短くなっても、不思議ではありません。