2)経済政策と移民政策
ここでは、経済政策と移民政策を考えます。
2-1)選挙結果の分析
2024年11月7日の日経新聞に、アメリカ大統領選挙の結果をうけて、2名の大学教授がコメントを掲載しています。
1番目の論者は、次のように言います。
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トランプ氏は、「分断」を利用して票を積み重ねてきた。選挙結果は必ずしも国民からの信託を受けたものとは言いがたい。
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2番目の論者は、次のように言います。
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民主党のハリス氏の敗北は長引いたインフレ下で、国民の中に生活を直撃する痛みがあったことを示す。(中略)民主党の失政はリベラルな政策に振れすぎてしまった戦い方に原因がある。(中略)トランプ氏がハリス氏との2回目のテレビ討論会を拒否したのも有効だった。
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前⽥裕之氏のエビデンスの階層に照らし合わせれば、この2人の論者のコメントは、「専門家のエビデンスに基づかない意見」になります。
<< 引用文献
経済学はどこに向かうのか 前⽥裕之
https://www.mof.go.jp/pri/research/seminar/fy2023/lm20231102.pdf
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2022年の小学生の流行語ランキングの1位になった「ひろゆき」こと西村博之氏の「それってあなたの感想ですよね」は、「非専門家のエビデンスに基づかない意見」になります。
エビデンスの階層では、エビデンスに基づかない意見には、非専門家と専門家の間の区別はありません。非専門家の意見は、「個人の体験談」に該当します。
例えば、1番目の論者は、「選挙結果は必ずしも国民からの信託を受けたものとは言いがたい」といいます。
2016年の大統領選挙では、トランプ氏は、選挙人の過半数をとりましたが、有権者の投票総数では、過半数に達していませんでした。今回の2024年の大統領選挙では、トランプ氏は、選挙人の過半数と有権者の投票総数の過半数をとっています。
エビデンスは、「国民からの信託を受けた」ことを示しています。
つまり、1番目の論者の意見は、エビデンスに基づかない意見ではなく、エビデンスを無視した意見(科学的に間違った意見)です。
朝香豊氏は、トランプ氏が選挙不正があったという主張が正しく、選挙不正がないという報道が間違いであるといいます。
つまり、1番目の論者の次の主張には、根拠(エビデンス)がないといいます。
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トランプ氏は、「分断」を利用して票を積み重ねてきた。
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<< 引用文献
「歴史的に稀に見る大激戦」はどこへ行った…トランプ「圧勝」が明らかにした、主要メディアの「印象操作」 2024/11/07 現代ビジネス 朝香豊
https://gendai.media/articles/-/140942
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2つの意見は対立していますが、筆者は、エビデンスデータを持っていないので、どちらの主張が正しいか判断できません。
2番目の論者の主張は、次の3つです。
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主張1:民主党のハリス氏の敗北は長引いたインフレ下で、国民の中に生活を直撃する痛みがあった。
主張2:民主党の失政はリベラルな政策に振れすぎてしまった戦い方に原因がある。
主張3:トランプ氏がハリス氏との2回目のテレビ討論会を拒否したのも有効だった。
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この3つの主張には、エビデンスがありませんので科学的な主張ではありません。
特に、主張2と主張3には、その傾向が強くあります。
2)経済的困窮
以下では、第1の主張(経済的困窮)を考えます。
この問題は、サンダース氏も取り上げています。
議会では民主党の会派に所属しているサンダース氏は、民主党の選挙結果について11月6日に次の厳しい声明を発表しました。
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「労働者層を見捨てた民主党が労働者層に見捨てられたという結果は、さほど大きな驚きではない。民主党はまず白人の労働者層の支持を失い、それからさらにラティーノ(中南米系)と黒人の労働者層の支持を失った」
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<< 引用文献
「ハリス大敗は当然の帰結」──米左派のバーニー・サンダース上院議員が吠える 2024/11/07 Newsweek アンドリュー・スタントン
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/11/523199.php
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Newsweekのジョシュア・レット・ミラー氏の記事の一部を引用します。(筆者要約)
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フロリダ州ケープコーラルで、犬の誕生パーティー用品などを取りそろえたオンラインショップ「ポーティーエクスプレス・ドットコム」を経営するジョン・オルセン(53)氏は、「政府は私たちをだまそうとしているのではないか。普通の人たちの感覚に比べて、信憑性の乏しいデータを基に発言しているように思う」と言います。
投資会社ワーニック・スピアー・ウェルス・マネジャーズのファイナンシャルアドバイザー、ジョーダン・ロドリゲスによれば、同社の顧客である投資家たちの間では、インフレが最大の関心事であり続けている。中小企業のオーナーの場合、その傾向がとりわけ顕著だという。
6月に発表されたフィラデルフィア連邦準備銀行の調査では、年収15万ドル以上のアメリカ人の約32.5%が、向こう6カ月の家計が赤字に陥らないか心配だと答えている。1年前は21.7%だったから大幅な上昇だ。
ただ、この調査で「将来が不安だ」と答えた人の割合が最も大きかったのは、年収4万ドル以下の層で、40%に上った。全調査対象者の平均は34.9%だった。
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<< 引用文献
ハリス氏惨敗の背景に「アメリカ中流階級の生活苦の悲鳴」が聞こえる 2024/11/08 Newsweek ジョシュア・レット・ミラー
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2024/11/523370_1.php
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ミラー氏は、オルセン氏のように、個人の意見を掲載します。しかし、この方法には、大きなサンプリングエラーがあるので、科学的なデータにはなりません。とはいえ、オルセン氏が、「政府は私たちをだまそうとしているのではないか。普通の人たちの感覚に比べて、信憑性の乏しいデータを基に発言しているように思う」という発言は傾聴に値します。
経済学の基本は、効率性と平等性です。効率を上げるためには、ある程度の格差は許容する必要があります。人権思想では、この点は、能力に対する平等で表現されています。しかし、一方では、生活困窮者が出ると社会は崩壊してしまいます。そのためには、結果の平等性も無視できません。
伝統的に共和党は、効率性を平等性より優先する(金持ち重視)であったのに対して、民主党は、平等性を効率性より優先する(労働者重視)でした。しかし、サンダース氏は、「労働者層を見捨てた民主党が労働者層に見捨てられた」と、現在の民主党は、「平等性を効率性より優先」していないと批判しています。
オルセン氏は、政府は「普通の人たちの感覚に比べて、信憑性の乏しいデータを基に発言している」といいます。これは、統計学では、代表値の問題です。
株価が上がっても、そのメリットを享受できる人は、株主であり、富裕層です。株をもっていない労働者には、メリットはありません。1人当たりのGDPといった平均値が代表値になる前提条件は、正規分布近似が成り立っていることです。
アメリカの所得分布は、正規分布から大きく離れていますので、平均値は代表値にはなりません。オルセン氏は、統計学のメンタルモデルがないので、政府は「普通の人たちの感覚に比べて、信憑性の乏しいデータを基に発言している」といっています。
この問題は、所得分布階層毎の変化を調べれば、解決できます。
所得分布の下から20%、40%、60%、80%というように、分布を精査すればよいだけです。
フィラデルフィア連邦準備銀行の調査は、年収階層別になっているので、分布の問題を一部クリアしています。
オルセン氏は、統計学のメンタルモデルがないのは、やむを得ないとしても、Newsweekの記者が、統計学のメンタルモデルがないのは問題であると考えます。統計学のメンタルモデルがないとエビデンスに基づく記事が書けません。
注1:
正規分布ではないのに、平均値でしか議論しないという科学的な間違いは、日本でも繰り返されています。年金の検証では、所得分布の下から20%の階層がクリアできなけば、社会不安が起こります。工業化社会の前には、農家が多かったので、現金収入がなくとも、食べるものには不自由しませんでした。2024年の日本の都市部では、現金収入がなければ、食料の入手は不可能です。にもかかわらず、コメなどの基本的な食材の価格は高騰しています。今後、高齢化が進むと農家のいない日本の都市部の治安が極端に悪化すると予測できます。
注2:
また、インフレになれば、経済成長するという因果関係はありません。今後、日本がインフレになって、アメリカと同様に、「中流階級が生活苦」になるリスクは、非常に高いです。
Bloombergは、ドイツについて、次のように伝えています。
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ドイツ連邦銀行(中央銀行)のデータによると、化学品メーカーのBASFや自動車部品のZFフリードリヒスハーフェン、家電のミーレなどの企業が国外に資源を移し、2010年以降の純資本流出額は6500億ユーロ(約107兆円)を超える。しかも、この約4割は、ショルツ首相率いる連立政権が発足した21年以降に発生した。
米大統領選挙でトランプ前大統領が歴史的勝利を収めたことにより、ドイツ企業には関税回避の目的で米国への投資を増やすよう圧力がかかる。
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<< 引用文献
ドイツの混乱、背景に100兆円超える資本流出-競争力喪失で経済衰退 2024/11/09 Bloomberg William Wilkes、Alexander Weber
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-11-08/SML00WT1UM0W00?srnd=cojp-v2
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ドイツでは、フォルクスワーゲンが、工場の閉鎖に動いています。
2024年現在日本で、輸出競争力のある業界は自動車産業だけです。
日本の自動車産業は、EVの進んだ中国では、競争力がなくなりました。
TBSは、日産自動車は、北米でも、競争力を失ったと伝えています。
去年開催されたジャパンモビリティショーでも、社内から「売れる車がない」との声も聞こえていました。
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2024年11月7日に日産自動車が発表した決算では、2024年4月から9月までの最終的な利益は、去年より9割以上減りました。
日産は全従業員の7%にあたる9000人の人員削減を行うと発表しました。背景にあるのは、北米・中国での不振です。工場閉鎖は「日本を含め、聖域なく検討する」としています。
日産の販売台数の4割を占める北米では、充電インフラの不足や価格の高さからEVに逆風が吹いています。トヨタやホンダは、ハイブリッド車の販売で収益を出していますが、日産には北米で売るハイブリッド車がありません。
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<< 引用文献
「自分にも危険が及ぶのでは」従業員から不安の声、日産9000人をリストラへ【news23】2024/11/08 TBS
https://news.yahoo.co.jp/articles/4acb70a9476151d0d33e7068ada542a8af66cf4e
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ハイブリッド車であれば、トヨタとホンダには、競争力がありますが、EVでは、価格競争力がありません。
トヨタとホンダのハイブリッド車が売れなくなれば、日本はドイツと同じ問題を抱えることになります。
自動車産業の海外生産比率は、80%と言われています。円安や日本国内のインフレは、自動車産業の生産には、影響しません。もちろん、基軸通貨がドルなので、円安は、見かけ上の業績を改善します。
しかし、みかけを除けば、日本国内のインフレが自動車産業に影響する部分は、国内生産分の20%に過ぎません。
ドイツのように、資本流出が進む可能性が高いです。
2-3)移民問題
次に、経済問題に並んで、大きな争点であった移民問題を考えます。
まず、三好範英氏のドイツの移民問題を引用します。(筆者要約)
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ドイツは1950年代からガストアルバイターと呼ばれる移民労働者を1000万人以上受け入れ、冷戦崩壊後の混乱から東欧諸国や旧ソ連から100万人以上、2015年の難民危機でも100万人以上の難民が流入した。
すでに人口の4人に1人が移民系となっており、さらに2023年には「第3波」ともいえる35万人の難民流入があり、主に収容施設に責任を持つ地方自治体から受け入れは限界との声が上がっていた。
外国人による犯罪が人口比で高率であることや、増加傾向にあることは主要紙でも報じられるようになっている。2023年1月25日、刑務所から出所したばかりのパレスチナ出身の男(33歳)が、電車内で10代の若者2人を刺殺した事件は衝撃を与えた。
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<< 引用文献
ドイツが転向を迫られた「移民難民問題」の深刻 2024/09/19 東洋経済 三好 範英
https://toyokeizai.net/articles/-/828009
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三好 範英氏は、「ドイツでは、すでに人口の4人に1人が移民系となっており、地方自治体から受け入れは限界との声が上がっている。外国人による犯罪が人口比で高率であることや、増加傾向にあることは主要紙でも報じられるようになっている」といいます。
「外国人による犯罪が人口比で高率である」は、過去のデータに基づいています。
次に、トランプ氏の移民問題対応を引用します。
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トランプ次期米大統領にとって喫緊の課題は移民対策で、不法移民の大量強制送還命令が実際に発出される――。最新のロイター/イプソス世論調査で、国民がこうした見方をしていることが分かった。
調査は大統領選でトランプ氏の勝利が確定した直後から7日にかけて実施。来年1月20日の大統領就任から最初の100日で最優先に取り組むべき問題を聞いたところ「移民対策」と回答した割合が全体の25%と、次の「所得格差」(約14%)や「税制」(12%)に比べてずっと多かった。
トランプ氏が不法移民の大量強制送還を命じる公算が大きいと答えたのは全体のおよそ82%で、共和党員と民主党員の傾向に差はなかった。ただそうした命令に懸念があるとしたのは民主党員が82%、無党派が40%だったのに対して、共和党員のおよそ90%は懸念しないとの考えを示した。
選挙戦を通じてトランプ氏は不法移民によると伝えられる犯罪に注目するよう訴えた。たださまざまな調査によると、米国生まれの人々に比べて移民の犯罪率が高いという統計的証拠は見つかっていない。
移民保護団体などは、強制送還は費用がかさみ、分断を招く上に非人道的だと警告している。
しかしトランプ氏は7日のNBCニュースのインタビューで、どれほど費用がかかろうとも大量強制送還の公約を履行すると改めて明言。「これは金額の問題ではない。われわれには本当に選択の余地などないのだ」と強調した。
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<< 引用文献
トランプ次期米大統領、不法移民を大量強制送還する公算大 2024/11/08 Newsweek
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/11/523353.php
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三好範英氏は、ドイツでは、「外国人による犯罪が人口比で高率であることや、増加傾向にあることは主要紙でも報じられるようになっている」といいます。
一方、Newsweekは、「さまざまな調査によると、米国生まれの人々に比べて移民の犯罪率が高いという統計的証拠は見つかっていない」といいます。
どちらが、正しいのでしょうか。
この問題を因果推論で考えます。
犯罪を犯す原因には、多様なものがありますが、貧困で、食べられなくなれば、生きるために犯罪を犯す確率があがると考えます。これは、因果推論モデルです。このモデルをつくるためには、思考実験ができればよく、過去の実績データは不要です。
筆者がこのモデルを考えた動機は、内戦後のカンボジアの治安の変化の観察に基づいています。
難民の中には、貧困で、食べられなくなって、移民を目指す人(経済難民)がいます。その場合には、犯罪を犯す確率が高くなると思われます。
これから、外国人(移民)には、経済難民の比率が高いので、犯罪が人口比で高率であると予測できます。
この因果モデルは、外国人であるから、犯罪が人口比で高率であるという出生地に基づく因果モデルではありません。つまり、「米国生まれの人々に比べて移民の犯罪率が高いという統計的証拠は見つかっていない」には、合致しています。
ドイツは、アメリカに比べれば、人種のグループによる経済格差が小さいので、犯罪率のレンジが狭く、「外国人による犯罪が人口比で高率」という統計になっている可能性があります。
今後、新たに、移民を受け入れた場合、その移民が、経済難民である場合には、犯罪が人口比で高率になり、経済難民でない場合には、犯罪が人口比で高率にはならないと予測できます。
この因果推論モデルは、前向き研究でデータをとれば検証できます。
将来、この因果推論モデルがあてはまる(因果構造があるか)か、当てはまらないかを、主観で判断します。なぜなら、検証とはあくまで、過去のデータを対象にしているからです。
因果推論モデルは、因果構造がある場合には、将来も有効につかうことができます。
因果構造が将来も成り立つかの判断は、主観によります。
このように、因果推論の科学の出現によって、歴史主義(帰納法)を使う必要はなくなりました。
なお、犯罪の質は、別の因果モデルで考える必要があります。
トランプ氏は、「われわれには本当に選択の余地などないのだ」と強調しています。トランプ氏の人権を制約する移民対策が実施されれば、その影響はEUにも、及ぶと思われます。
イデオロギーでは、食べていけません。問題解決は、数学的に解がある必要があります。永久機関があればよいというような不毛な議論は避ける必要があります。
民主主義に数学的な解がなければ、民主主義の追及は政治的不安定を引き起こして、戦争の原因になります。
トランプ氏が言うように、人権優先(民衆主義)優先で移民を受け入れれば、社会的な不安定を引き起こします。人権優先は、移民問題の解決法にはならないのです。人権優先で、問題解決が可能かもしれません。しかし、その場合の解は、手放しで、移民を受け入れるのではなく、何らかの制約条件が必要であると思われます。問題は、その制約条件(問題解決の解)は、アメリカでもEUでも、まだ見つかっていないという点にあります。
問題は、イデオロギー(形而上学)では解決できません。データに基づく、科学の方法を使う必要があります。問題の解がないにもかかわらず、イデオロギー(民主主義)を振り回せば、問題はどんどん悪化してしまいます。筆者は、原状の社会システムが最適であるとは思いませんが、あまりに急激な変化は、多くの社会問題を引き起こします。