4)ポスト・テクニシャン時代
4-1)エンジニアの基本アプローチ
エンジニアの基本アプローチは、課題(評価関数)を設定して、課題を解くためのツールを構築することです。課題は、解かれていいので、検討対象は、反事実になります。
飛行機をつくる(空飛ぶ機械をつくる)ことが、課題であれば、問題を分解したり、課題の達成度を評価するための数値の計測法を設計します。数値の計測法の設計は反事実です。反事実の場合には、帰納法は使えません。
大阪万博で、空飛ぶクルマを運行する計画がありましたが、結局、乗客を乗せての運行は見送りになりました。筆者は、エンジニアのメンタルモデルで考えるので、空飛ぶクルマの事例は理解できません。
ドローンは、普及しています。空飛ぶクルマは、コストと安全性の評価関数を無視してよいのであれば、開発すべき技術はありません。エンジニアのメンタルモデルでは、空飛ぶクルマは、コストと安全性の評価関数が、目標値にたっするドローンになります。空飛ぶクルマというオブジェクトのインスタンスは、コストと安全性の値になります。
空飛ぶクルマの乗客を乗せての運行が見送りになったということは、コストと安全性の値が、目標値を達成できなかった場合になります。
テクニシャンのメンタルモデルであれば、ドローンが、普及しているので、パーツをかき集めれば、空飛ぶクルマができると考えるのかもしれません。
しかし、パーツをかき集めれば実現できるのであれば、技術開発は不要なので、エンジニアは、関心がありません。
評価関数の有無は、大きなポイントです。
筆者は、何台かオーブンレンジを購入しています。焼き芋の焼き方は、どのオーブンレンジのメニューにもあります。見た目が、美味しそうで、食べられる焼き芋をつくることはできます。しかし、温度と焼き上げ時間のレシピは、すべて異なります。筆者の焼き芋レシピの評価関数は、甘いことです。この基準で判断すると、オーブンレンジに付属するレシピは、すべて間違っています。
これから、オーブンレンジの開発者は、テクニシャンであり、パーツをかき集めれば、オーブンレンジができると考えています。
エンジニアの視点で見れば、調理とは、化学反応です。同一の化学反応を再現するためには、温度と継続時間をそろえる必要があります。しかし、庫内の温度ではなく、食材の温度を評価関数に設定して、調理設定ができるオーブンレンジは、1つもありません。
事例は、ここまでにとどめますが、日本国内には、テクニシャンがあふれていますが、エンジニアは絶滅危惧種になっています。
4-2)人工テクニシャン
パール氏は、「因果推論の科学」の中で、近い将来、因果推論の科学が進歩すれば、人工科学者が作れるかもしれないと、夢を語ります。
「因果推論の科学」には、明示的に書かれていない前提が多数あります。それらは、アメリカに住んでいる科学者にとっては、自明で、誰も問題にしない常識です。しかし、日本では、常識ではないので、読み解く必要があります。
パール氏が、人工科学者(人工エンジニア)の夢を語る前提には、人工テクニシャンをつくるためにクリアすべきハードルはもうすくなくなるというメンタルモデルがあります。
2024年時点で、人工テクニシャンがまだ実現していない分野があります。たとえば、ドライバーというテクニシャンを置き換える人工テクニシャンは、まだ、完成していませんが、90%は目処がついていて、時間の問題です。
政府は、リスキリングが重要であると主張しますが、日本には、エンジニア養成のカリキュラムがありません。つまり、リスキリングは、テクニシャン養成です。
デジタル社会では、エンジニアは、確実に失業します。人工科学者が出現すれば、エンジニアの一部も失業します。しかし、エンジニアの失業リスクは、テクニシャンの失業リスクに比べれば、はるかに小さいです。これは、人工テクニシャンを開発するエンジニアと、人工テクニシャンに仕事を代替されるテクニシャンを比べれば分かります。
あるいは、次のような思考実験でもわかります。
企業Aは、巧みの技のあるテクニシャンを多数抱えて、製品を製造しています。
新興企業Bは、人工テクニシャンを多数抱えて、製品を製造しています。
この場合、当初は、「テクニシャンの技能>人工テクニシャンの技能」であると思われます。
しかし、時間が経過すると「テクニシャンの技能<人工テクニシャンの技能」になります。
その原因は、2つあります。
第1に、人工テクニシャンのソフトウェアは、バージョンアップによって、機能更新が可能です。改善は、カメの速度かも知れませんが、改善が停止すると考える理由はありません。
第2に、人工テクニシャンのソフトウェアには、理論的には、時間的・空間的な制限がありません。
時間的な制限とは、人間と違って、ソフトウェアには、寿命がない点を指します。
ただし、古いデータの利用価値が低下する場合には、この制限には、制約にはなりません。
空間的な制限とは、並列処理によって、複数のエージェントがリアルタイムで情報を交換できることを指します。
人間であれば、10人のテクニシャンが、並列してスキルを習得しても、習得結果のノウハウ情報を共有することは容易ではありません。
しかし、人工テクニシャンは、情報の形式が基準化されて、通信プロトコルが共有されていれば、ノウハウ情報は瞬時に共有できます。
したがって、企業Aは、企業Bに、勝てず淘汰されます。
企業Aが、人工テクニシャンを導入して、テクニシャンをレイオフする場合、労働組合が反対します。
しかし、アメリカのように、産業別労働組合が形成されている場合でも、人間の労働者がいない企業Bが、人工テクニシャンを導入することを阻止することは困難です。
4-3)テクニシャンの終わり
ここでは、大半のテクニシャンが絶滅した時代を「ポスト・テクニシャン時代」と呼ぶことにします。
「ポスト・テクニシャン時代」は、人類史上、前例のない状況になります。
企業単位で考えれば、「ポスト・テクニシャン時代」の到来を回避することは困難です。
つまり、「ポスト・テクニシャン時代」を受け入れ、それに、合わせて、社会システムを再構築する必要があります。
ポスト・テクニシャン時代には、人間は、エンジニア(サイエンティスト)とテクニシャンに分かれてしまいます。
これを分断であると非難しても、何ら問題解決にはなりません。
人工テクニシャンを受け入れない企業や国は、経済成長から取り残されます。
高等教育には、エンジニアやサイエンティストの学科がありますが、それらの学科では、エンジニア(サイエンティスト)だけでなく、大量のテクニシャンが養成されています。
ネットのエンジニア(サイエンティスト)の人口比率は、多く見積もっても20%以下と思われます。
つまり、「ポスト・テクニシャン時代」には、エンジニア(サイエンティスト)以外の人の役割を再構築する必要があります。
橘玲氏は、「テクノ・リバタリアン」の中で、サム・アルトマン氏や、イーロン・マスク氏が、「ポスト・テクニシャン時代」の検討をしている事例を紹介しています。
もちろん、筆者の造語である「ポスト・テクニシャン時代」という単語は、そこには、出てきませんが、内容をみれば、「ポスト・テクニシャン時代」に合わせた社会システムの再構築が、重要課題になっていることがわかります。