テクニシャンとエンジニア(3)

3)計算科学のパラダイム

 

3-1)課題の設定

 

日経新聞の11月3日で、一橋大学の高久玲音教授は、国民民主党所得税基礎控除だけでは、インフレが加速するので、問題がおこると主張しています。

 

日経新聞の11月4日で、連合会長の芳野友子氏は、インフレは、経済成長に不可欠なので、インフレが必要であると主張しています。

 

この2つの主張は、相いれませんので、どちらかが、間違いになります。

 

問題は、どちらが、正しいかではなく、どちらが正しいかを判定する方法があるかという点になります。

 

科学は、複数の仮説からスタートします。

 

複数の仮説から、検証というプロセスを経て、正しい仮説の絞り込みをすることで、科学は成り立っています。

 

マスコミは、権威や権力者の主張を掲載しますが、「正しい仮説の絞り込み」については、何も言いません。これは、マスコミは、テクニシャンであって、エンジニア(サイエンティスト)ではないことを示しています。

 

マスコミの報道は、科学的に間違っています。

 

データがなければ、何が正しいかは分かりません。

 

データに基づかない有識者の意見は、聴くに堪えません。

 

データがないので、判断ができないというのが、まともな専門家です。

 

しかし、そのような発言では、視聴率が稼げないので、まともな専門家は排除されています。

 

このような場合に、エンジニアのメンタルモデルでは、今度、どのようなデータを集めて、仮説の検証を行うかを問題にします。



3-2)ルーカス批判

英語版のウィキペディアの「ルーカス批判(Lucas critique)」は、以下です。

 

ルーカス批判(Lucas critique)は、歴史的データ、特に高度に集約された歴史的データに見られる関係性だけに基づいて経済政策の変更の影響を予測しようとするのはナイーブすぎると主張する。より正式には、消費関数などのケインズモデルの意思決定ルールは、政府の政策変数の変化に対して不変であるという意味で構造的であるとは考えられないと述べている。

 

ルーカス批判は、1970年代にマクロ経済理論においてミクロ基礎を確立しようとする試みへと向かったパラダイムシフトの代表例として、経済思想史上重要な意味を持つ。

 

1976年の論文でルーカスは、(消費関数などのケインズモデルの意思決定ルールは、政府の政策変数の変化に対して不変であるという意味で構造的であるとは考えられないという)この単純な概念は、大規模マクロ計量経済モデルから導き出された結論に基づく政策アドバイスを無効にするという点にまで踏み込んだ。これらのモデルのパラメータは構造的ではなく、つまり政策不変ではないため、政策(ゲームのルール)が変更されるたびに必然的に変化する。したがって、これらのモデルに基づく政策結論は、誤解を招く可能性がある。この議論は、動学的経済理論の基礎を欠いた当時の大規模計量経済モデルに疑問を投げかけた。ルーカスは批判を次のように要約している。

 

計量経済モデルの構造は経済主体の最適な意思決定ルールで構成され、最適な意思決定ルールは意思決定者に関連する一連の構造の変化に応じて体系的に変化するため、政策の変更は計量経済モデルの構造を体系的に変更することになります。

 

この批判の重要な応用例の 1 つは (提案されたミクロ的基礎付けとは無関係に)、インフレと失業の歴史的な負の相関関係 (フィリップス曲線として知られている) が、金融当局がこれを利用しようとすれば崩れる可能性があるという含意である。失業率が永久に低下することを期待してインフレ率を永久に引き上げると、最終的には企業のインフレ予測が上昇し、雇用決定が変わることになる。言い換えれば、20 世紀初頭の金融政策下では高インフレが低失業率と関連していたからといって、あらゆる代替金融政策体制下で高インフレが低失業率につながると期待できるわけではない。

 

英語版のウィキペディアの「数理経済学(Mathematical economics)」には次のよう書かれています。

数理経済学の予測の検証

哲学者カール・ポパーは1940年代から1950年代にかけて経済学の科学的立場について論じた。彼は数理経済学トートロジー的であるという欠点があると主張した。言い換えれば、経済学が数学理論となったことで、数理経済学は経験的反証に頼らなくなり、数学的証明と反証に頼るようになったのである。ポパーによれば、反証可能な仮定は実験と観察によってテストできるが、反証不可能な仮定はその結果や他の仮定との整合性について数学的に調査することができる。

この2つの指摘は、基本的に同じです。

 

3-2-1)反事実の問題

 

建築の例を考えます。

 

建築家が家を設計します。数学的に最適な家を設計するために、過去の建築のデータは不要です。

 

これは、飛行機の設計をするために、鳥のデータが不要であることと同じです。

 

エンジニアの最適設計は、数学的な最適化で求められます。そこには、経験的反証は不要です。

 

計量経済モデルによる最適な政策も同じで、経験的反証は不要です。

 

ルーカスは、計量経済モデルによる最適な政策は、経験的反証に耐えられないといいます。

 

だからといって、計量経済モデルが使えないことにはなりません。

 

ポパーは、帰納法では科学の検証にはならないと主張しました。

 

しかし、ポパーは、反事実には、踏み込んでいません。

 

実験は、基本的に反事実を扱います。

 

経済学では、反事実の実験はできません。

 

ルーカスは、「歴史的データ、特に高度に集約された歴史的データに見られる関係性だけに基づいて経済政策の変更の影響を予測しようとするのはナイーブすぎる」といいます。

 

これは、計量経済モデルは事実を扱っていると考えていることを示しています。

 

筆者は、計量経済モデルは、反事実を扱っていると考えています。

 

計量経済モデルは、経済の設計ツールではあるが、経済の予測ツールではないと考えます。

 

計量経済モデルが経済予測に使えないことは、問題ではありません。

 

経済政策の効果予測には、マクロ経済モデルを使うことができます。

 

マクロ経済モデルは、ルーカスのいうように、ナイーブすぎて、バイアスを扱っていません。

 

ここで指摘したいことは、ルーカスは、計算科学の前の世代のメンタルモデルの持ち主ではないかという疑問です。

 

3-2-2)計算科学

 

産業活動に基づく、地球温暖化については、温暖化と寒冷化の主張があります。

 

地球物理学は、1ボックスモデルのエネルギー収支の計算で、温暖化すると主張しましたが、科学者から、大きな支持を得ることはできませんでした。

 

地球温暖化が、科学者の支持を得るようになった原因は、GCMの予測精度があがったためです。

 

眞鍋淑郞氏は、1969年に大気大循環モデルと海洋大循環モデルを組み合わせた「大気海洋結合モデル」(GCM)を世界で初めて発表しています。1970年代以来、眞鍋氏のモデルをプロトタイプあるいは手本として、GCMが開発されています。眞鍋淑郞氏は、2021年ノーベル物理学賞を受賞しています。

 

計算科学がで出現するまで、微分方程式で、解析解が求まる割合は、1割以下でした。

 

計算科学の発達によって、微分方程式の9割以上で、数値解を求めることができます。

 

1976年のルーカス論文の時代には、コンピュータは非常に高価で、計算科学は発達していませんでした。

 

1976年に、ルーカスは、計量経済学の前提はナーブすぎると批判しました。

 

2024年現在であれば、ナイーブでない計量経済学のモデルをつくることは簡単にできます。

 

インフレになれば、経済成長するかは、モデル検証が可能です。

 

それは、GCMによって、地球温暖化の議論ができることと同じです。

 

もちろん、ナイーブでない計量経済学のモデルが万能ではありませんが、解析解を前提とした定性的な議論よりは、ずっとましです。少なくとも、エンジニアのメンタルモデルであれば、今時、解析解を前提とした定性的な議論をすることは非常識に見えます。

 

その理由は、解析解を求めるためには、非現実的な単純化の仮定が必要になるので、現実には、あわないからです。

 

なお、ナイーブでない計量経済学のモデルは、最適化をしません、

 

ナイーブな計量経済学のモデルは、実際のデータにはあいませんが、経済成長を最大化する条件を示します。

 

ナイーブでない計量経済学のモデルは、非効率な経済現象を再現することになります。

 

筆者には、何が正しいかはわかりません。

 

計算科学のメンタルモデルで考えれば、評価関数を揃えることができれば、どの仮説が正しい(妥当である)かは、計算科学で、決着がつけられるということです。経済理論(解析解)で白黒がつくことはありません。

 

ですから、疑問は、なぜ、経済学では、学説の検証ができないのかという点になります。

 

3-3)エビデンス

 

計算科学の次のステップで問題になるメンタルモデルは、データサイエンス(統計学、因果推論)です。

 

エビデンスに基づいた経済政策は、政策の効果を評価します。

 

疫学では、3種類の薬があります。

 

第1は、エビデンスに基づいた効果のある薬です。

 

第2は、エビデンスはないが、他のエビデンスを流用する薬です。

 

あるいは、薬が効いたという症例報告が、このレベルになります。

 

第3が、エビデンスの全くない薬です。民間療法や代替療法の多くがここに含まれます。

 

コロナウイルスのワクチンの副反応は、第2に属します。

 

ワクチンには、日本人を対象にした大規模なエビデンスデータは、ありません。

 

ワクチンを開発した米国のデータ(エビデンス)を流用しています。

 

現在の医薬品で、第1レベルのエビデンスがある薬の割合は、2割以下と思われます。

 

ガンの治療では、エビデンスのない民間療法で命を落とす人があとを絶ちません。

 

インフレになれば、経済成長するという理論は、第3の民間療法のレベルの信頼度しかありません。

 

統計学(疫学)のメンタルモデルが共有されていれば、政府は、経済政策を、エビデンスのない民間療法に委ねているように見えます。

 

3-4)エンジニアの習慣

 

エンジニアには、縦割りの専門分野は存在しません。

 

使えるツールはなんでも使うことが前提です。

 

計算科学も、データサイエンスも、使えるものは使います。

 

1990年頃に、データサイエンスという言葉が、初めて使われた時に、筆者は、統計学が既にあるのに、新たに、データサイエンスをつくる余地があるのか疑問を持ちました。

 

コンピュータサイエンティストは、統計学(数学)に、喧嘩を仕掛けているようにすら見えました。

 

それから30年たった現在、「データサイエンス.VS.統計学」では、データサイエンスの圧勝です。統計学では、GPUチップをつくることができませんでした。GPUチップがなければ、生成AIは存在しません。

 

前⽥裕之氏の「経済学はどこに向かうのか」を読むと、現在の経済学者の立場は、30年前の統計学者の立場に重なって見えます。

 

<< 引用文献

経済学はどこに向かうのか 前⽥裕之

https://www.mof.go.jp/pri/research/seminar/fy2023/lm20231102.pdf

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なお、「使えるツールはなんでも使うことが前提」は、エンジニア(サイエンティスト)の基本で、テクニシャンに止まらないためには、このルールは原則で、生物学や生態学にもあてはまります。