2-2)構造体
日本語のウィキペディアには、次のように書かれています。
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構造体(structure)はプログラミング言語におけるデータ型の一つで、1つもしくは複数の値をまとめて格納できる型。それぞれのメンバー(フィールド)に名前が付いている点、またメンバーの型が異なっていてもよい点が配列と異なる。レコードという名前の類似機能として実装されている言語もある。
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前回は、北朝鮮のミサイルの例を取り上げました。
ミサイルを構成する要素は、飛行時間、飛行高さ、重量、推進出力、制御など多岐にわたります。
このような場合には、ミサイルという名詞は構造体であると考えることでも、問題を整理して見通しをよくすることができます。
紙の保険証は、12月に廃止になる予定です。
一方、マイナンバーカードの議論は混乱しています。
マイナンバーカードの議論が混乱する原因は、構造体が不明なためです。
つまり、構造体を無視すれば、マイナンバーカードという言葉が成立していません。
マイナンバーカードという言葉がないので、マイナンバーカードについて考えることはできません。
構造体は、変数をカプセル化しています。
カプセル化することで、思考が容易になります。
これは、人間の認知モデルがカプセル化向きにできていることを意味します。
2-3)オブジェクト構成
構造体の日本語のウィキペディアの説明には、よくわからないところがあります。
構造体の英語版のウィキペディアは、オブジェクト構成(Object composition)になっています。
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オブジェクト構成(Object composition)
コンピュータサイエンスにおいて、オブジェクト合成(object composition)とオブジェクト集約(object aggregation)は、オブジェクトまたはデータ型をより複雑なものに結合する密接に関連した方法です。会話では、合成と集約の区別はしばしば無視されます。一般的な合成の種類は、オブジェクト指向プログラミングで使用されるオブジェクト、 タグ付きユニオン、セット、シーケンス、およびさまざまなグラフ構造です。オブジェクト合成はデータ構造に関連していますが、データ構造と同じではありません。
オブジェクト構成とは、情報の論理的または概念的な構造のことであり、それを表すために使用される実装や物理的なデータ構造のことではありません
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一方、object compositionの日本語版の説明は、「構造体」ではなく、日本語版はありません。
オブジェクトとインスタンスに関する和訳には、混乱がみられます。
これは、変数(オブジェクト)と値(インスタンス)の関係が日本では、よく理解されていないためと思われます。
2-4)値はない変数は言葉ではない
アメリカでは、ジョブ型雇用をしています。賃金は能力で評価されます。
野口悠紀雄氏は、次のようにいいます。
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トヨタ自動車の従業員の平均年収は、899万円だ(Yahoo!Financeによる)。
アメリカではどうか? 転職情報サイトlevels.fyiのデータによれば、ソフトウエア・エンジニアの年収(円換算値)は、次のとおりだ(基本給の他、ボーナス、ストックオプションなどを含む)。
ウェイモ(サンフランシスコの無人タクシーを開発・運用している企業)のL5(5段階のうち、下から3番目のランク)の年収は、5795万円だ。
テスラについてみると、P3(6段階の下から3番目のランク)の年収が2997万円となっている。
以上のデータから、大雑把に言えば、アメリカのハイテク自動車会社の技術者の給与は、日本の3倍から6倍程度と考えてよいだろう。きわめて大きな差だ。
日本の場合の平均賃金を決めているのが主として工場労働者であるのに対して、上で見たのは、技術開発を行っているエンジニアであるから、対象となっている人材の質が異なり、そのために、差が生じるのだ。
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<< 引用文献
自動車技術者の年収「日米で最大6倍差」ある真因 2024/09/29 東洋経済 野口悠紀雄
https://toyokeizai.net/articles/-/830282
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ここには、混乱があります。
野口悠紀雄氏は、「工場労働者」、つまり、テクニシャンと、「技術開発を行っているエンジニア」は「人材の質が異なる」といいます。
テクニシャンの給与は、アメリカでも、エンジニアほど高くはありません。
ジョブ型雇用をするためには、テクニシャンとエンジニアの能力を評価する必要があります。
能力の評価とは、テクニシャンの能力とエンジニアの能力にスコアをつけることに他なりません。
科学の世界では、「値はない変数は言葉ではない」といえます。
テクニシャンの能力とエンジニアの能力にスコアをつけることのできない企業幹部は、能力という言葉を持っていないと言えます。
これでは、能力の検討ができませんので、過去の実績の成果主義をとっています。
しかし、エンジンの開発ができる人が、EVの開発ができる訳ではありません。
成果主義は、ジョブ型雇用の否定になります。
野口悠紀雄氏は、「高度成長期においては、新しい技術を日本で開発しなくとも、欧米諸国で開発された技術を日本に導入すればよかった。そのために、格別に高度の技術や知識が必要とされることはなかった。オンザジョブ・トレーニングで対応していくことが十分可能であった」といいます。
高度成長期は、1972年には終わっています。
オンザジョブ・トレーニングは、テクニシャンの教育であり、サイエンス(エンジニア)の能力は不要です。
金融工学がでてくると日本の金融機関には数学のできる人材がいないので、金融商品を開発できなくなっています。
数学が出来なければ、エンジニアにはなれません。
つまり、日本の教育では、科学(エンジニア)教育に失敗しています。
これは、数学(科学)を無視した文系教育の必然的な結果です。
野口悠紀雄氏は、「学歴にはこだわるのに学力を軽視する社会構造が、日本の発展にとって深刻な桎梏になっている」といいます。
しかし、学力という変数名には、値がありません。日本には、学力という言葉はありません。
文部科学省は、習得主義ではなく、履修主義をとっています。学歴があれば、学力は問題にしていません。文部科学省は、学力のエビデンスのスコアをもっていません。つまり、学力という言葉はありません。
「学歴」と「履修主義」と「成果主義」は、過去の経験を見ているだけで、能力評価ではありません。
過去の経験は、デジタル社会に合わせた、新しい技術開発とは関係がありません。