1)分数のできない大学生
「分数のできない大学生」という単語が話題になったことがありました。
しかし、より深刻な問題に、集合論ができない人の場合があります。
2)集合論の基礎
日本の数学教育では、1960年代に、新しい数学として集合論の教育が導入されています。
つまり、70歳未満の人は、集合論の教育を受けています。
ただし、教育によって集合論が、どこまで理解されたかは、疑問です。
集合論は、集合Sの定義から始まります。
S={1,2,3}
S={X|X=偶数}
定義の方法は2通りあります。
第1は、要素を並べる方法です。
第2は、要素になる条件式(関数)を書く方法です。
集合を定義する方法は、この2つだけです。
集合論が画期的だった理由は、それまで、数値だけしか扱えなかった数学が、数値以外のものを研究対象にすることができた点にあります。
集合論は、すべての基礎になっているので、意識されずに使われます。
画像認識の場合には、次のようになります。
猫={画像1、画像2,画像2、..、画像n} :学習データの要素集合の猫
猫={X|X=ニューラルネットのパラメータ} :画像認識システムの猫
画像認識は、第1の要素を並べる方法による集合の定義を、第2の条件式による集合の定義に置き換える試みです。
学習データの要素集合の猫は、データによって異なりますので、猫の絶対的な定義を示してはいません。
ハルシネーションとは、チャットAIなどが、もっともらしい誤情報(=事実とは異なる内容や、文脈と無関係な内容)を生成することを指します。
ある情報がハルシネーションの集合に含まれているか否かは、2つの集合の定義のいずれかに基づいてしか検討できません。
推論対象が、過去の事例である場合には、集合の第1の定義によって、推論の結果が、過去の起こったことに含まれているかをチェックする方法が使えます。
しかし、将来を対象にした推論には、この方法が使えません。
例えば、日本には、核弾頭が配備されているという推論は、過去については間違いです。
しかし、将来、日本には核弾頭が配備されているという推論の正誤を判定する方法はありません。
2024年のノーベル化学賞に、AIでたんぱく質の構造予測に成功した研究者ら3人に与えられました。
AIをつかって、新しい薬や物質の分子構造を予測する研究が行われています。この場合には、AIは、今まで、なかった分子構造を予測します。予測した物質は、期待した効果がない場合も多くありますが、期待した効果を発揮する場合も含まれています。
ハルシネーションを封印して、過去に存在が確認された物資に推論を限定すれば、新物質はみつからなくなります。
自然科学では、「可謬主義」が、広く当然のこととされていて、「無謬主義」は否定されています。
「無謬主義」は、形而上学で、集合名を書けば、第1、または、第2の方法を使わなくとも、要素の定義が出来ていると考えます。
これは、集合論の否定であり、数学的な間違いです。
SNSはフェイク情報を流すべきでないという主張があります。
この場合のフェイク情報が、集合論にしたがって、第1、または、第2の方法で定義されていれば、数学の問題であり、アルゴリズムで対応できますので、プロバイダーは対応できます。
しかし、集合論を無視していれば、フェイク情報が何をさすのかは理解不可能です。
集合論を無視していれば、サッカーのゴールポストを動かすように、フェイク情報の内容(要素)を後で、入れ替えることが可能になります。
これは、中国で取り締まっている反政府活動の定義が曖昧な問題と同型の問題を抱えています。
3)The Unanswered Question
「The Unanswered Question」は、アイブスが、1908年に作曲した室内アンサンブルのための音楽です。
このタイトルは、なぜか、「答えのない質問」と和訳されています。
「 Unanswered」は、「返事[答え]のない、未解決の、未回答、unresolved 、open question(未解決問題)」といった意味です。
片思いは、返事のない例です。
「 Unanswered」は、正解が存在しないという意味ではありません。
「返事のない質問」や「未解決の質問」が、正しい訳です。
昨今、学校や入試という教育の場で、「答えのない問い」という言葉が多用されています。
たとえば、「2で割り切れる奇数はいくつか」といった問が、「答えのない問い」になります。
すべての問題は、誰かが解くまでは、「unresolved question」、「unanswered question」です。つまり、「未解決の問い」という集合の定義は、その「問い」を解いた人がいるか、いないかという属性に依存しています。
「答え(正解)のない質問」という名前のアイブスの作品が存在しないように、「答えのない問い」を中心課題にして、教育を進めている国は、日本以外にはありません。
英語版のウィキペディアを見ればわかりますが、そこに出て来る用語の定義は、集合論の定義で点検して、矛盾のないものです。
未解決の問題には、答えがあります。
「答えのない問い」が、未解決の問題の意味である場合、未解決問題と表現した方が、正しい数学表現で、混乱がすくなくなります。
「地方再生」も集合論で点検すれば、その集合(地方再生)の要素は、理解不可能です。
つまり、議論は空回りするように設計されています。
少なくとも、英語圏では、集合論で、理解できないような用語の使い方はしません。