1)はじめに
日本の洪水対策は、世界の科学的な洪水対策からは、かけはなれています。
ここでは、洪水対策の世界の常識について、筆者の理解している範囲で書いてみます。
筆者は、以前は、災害対策に関係のある仕事をしていたことがあります。
その仕事から、離れて10年以上たっていますので、最新の情報のフォローについては、落ちがあると思いますが、日本語で、世界の科学的な洪水対策を記載した文章がないので、理解している範囲でまとめてみます。
2)洪水対策の基本
洪水被害は、一般に低平地におきます。
洪水対策の基本は、低平地に資産や人命を配置しないことです。
歴史的には、オランダに見られるように、低湿地の開発がすすめられてきました。
以前は、これらの低湿地の開発が、経済的に見合うと信じられてきましたが、最近の生態学の発展によって、現在では、低湿地の開発が、経済的に見合うと判断できる場合は、非常に少ないと考えられています。
現在の生態学では、環境問題が扱うエコシステムは、動植物の自然環境のエコシステムだけでなく、人間の環境のエコシステムも含んでいます。
これは、人口が多い場合には、人間の環境が、動植物の自然環境より優先しますが、人口が減少すれば、逆転することを意味します。
深刻な飢饉に見舞われるアフリカ南部では、2024年8月に、ナミビアで、ゾウ83頭を含む野生動物723頭(シマウマ300頭、カバ30頭、インパラ50頭、バッファロー60頭、ヌー100頭、イランド100頭)を、2024年9月には、ジンバブエで、ゾウを200頭、殺処分し、食肉にする計画です。
<< 引用文献
ゾウ、ヌー、カバまで… 史上最悪の飢饉によって、アフリカ南部で大量の野生動物が食肉に 2024/9/20 courrier
https://news.yahoo.co.jp/articles/8aba541960137ed66e0466329d63120fa0c37af8
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人口が増加して、食料が不足する場合には、低湿地の開発が求められますが、現在の日本のように、人口が減少して、水田として開発された低湿地が、耕作放棄水田になって、湿地に戻っているような状況では、人間の環境と動植物の自然環境のバランスは、後者に傾いています。
繰り返しますが、洪水対策の基本は、低平地に資産や人命を配置しないことです。
2011年の東北の津波で、被災したエリアの多くは、昭和三陸津波の被災エリアに重なっています。これは、昭和三陸津波の被災エリアを氾濫原(floodplain)エリアに指定して、居住エリアから排除していれば、被害は非常に小さかったことを意味します。
それでは、どうして、リスクエリアを氾濫原エリアに指定ができなかったのでしょうか。
3)土地利用計画の不在
リスクエリアを氾濫原エリアに指定するためには、土地利用規制が必要になります。
日本には、形の上では、土地利用計画がありますが、土地利用計画は機能したことがありません。
近くに道路ができて利便性が高まれば地価があがります。
土地を安く仕入れて道路を作り、地価が上がったところで、転売すれば、膨大な利益があがります。
その結果、土地利用計画は、政治案件になり、計画は政治家の利権になりました。
欧州では、いったん、土地利用計画ができると、それを変更することは、政治家でも、容易ではありません。また、地価上昇に伴い生じた転売利益は不労所得なので、高い税率が設定されています。
しかし、こうした政治家に不都合な制度は骨抜きにされました。
どこの国にも、不動産バブルはあります。
しかし、日本のバブル経済の崩壊時期の土地バブルは、人類の歴史の中でも、例のないものです。
その原因は、政治家が土地利用計画を利権の対象にしてしまい、有権者がこれを阻止できなかった点にあります。
いうまでもなく、これは、日本列島改造以降の問題です。
その結果、日本では、諸外国ではありえない低平地に資産と人命の多くが配置されています。
リチャード・カッツ氏は、次のよういいます。(筆者要約)
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気候変動がもたらす激しい洪水が避けられない国のリストでは、日本はトップに近い位置にいる。こうした中、政府の需要刺激策としての公的支出は、建設業界向けの無駄な公共工事に向けられるべきではない。気候が誘発する洪水が引き起こす災害の軽減など、真のニーズに資金を費やすべきだ。
3500万の人々が洪水の危険性がある地区に現在住んでおり、その多くが貧困な高齢者で避難できないが、保険で保護されていない。
にもかかわらず、日本はそれに備えていない。再保険会社のスイス・リーは、世界で最も脆弱な大都市圏として東京横浜地域を挙げている。最近建設された地下の洪水貯留施設は、1時間当たり50mmの豪雨しか想定していないが、2018年、日本の多くの都市ではその4倍の雨が降っている。
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<< 引用文献
日本がずっと「停滞」から抜けられない4つの要因 2021/20/26 盗用経済 リチャード・カッツ
https://toyokeizai.net/articles/-/463987
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土地利用計画が機能して、リスクエリアを氾濫原エリアに指定ができていれば、東京横浜地域の洪水安全度ははるかに高くなっていたはずです。
地下水貯蔵場は、建設費は高いが、効果は小さいです。
洪水対策に、地下の洪水貯留施設を使っている国は、日本以外にはありません。これは、土地利用計画によって、リスクエリアを氾濫原エリアに指定する方法は、土木工事が不要なので、費用はかかりませんし、絶大な効果があるからです。
読者は信じられないかも知れませんが、都市化した東京横浜地域の周辺に拡がる水田エリアの洪水安全度は、200㎜の豪雨にも耐えることができます。
2015年9月に茨城県常総市で鬼怒川が氾濫して15人(災害関連死を含む)が亡くなる「常総水害」が生じました。これは、エリアの外からくる洪水(つまり、河川氾濫)によって生じた被害であり、エリアの中で生じる洪水(つまり降雨が原因)の洪水安全度は、200㎜でも耐えられました。
カッツ氏は、降雨によるエリアの中で生じる洪水を問題にしています。
河川が氾濫する(破堤する)原因は、破堤地点より上流の流域が水を十分にため込まないためです。土地利用が、森林や低湿地の場合には、200㎜程度の降雨をため込むことは容易です。自然の土地利用の性質を使って洪水を防止する方法は、自然洪水管理(natural flood management)と呼ばれ、欧米の洪水対策の基本になっています。
日本では、土地利用計画が、骨抜きなので、この方法は使えません。
かんべえ氏は、2019年に風水災等による保険金の支払いのうち、歴代トップ10のうち3件が2018年に起きているといいます。
温暖化が進行すると、風水災の規模が大きくなると、従来の対策では、容量がオーバーします。
「リスクエリアを氾濫原エリアに指定」しなかったツケが表面化します。
かんべえ氏は、英保険組織のロイズが、ケンブリッジ大学と共同で行っている都市リスクの指標(紛争や災害の脅威を試算)を紹介していますので、引用します。スイス・リーと似た結果になっています。
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脅威リスク都市ランキング(英ロイズ)
1位 東京
2位 ニューヨーク
3位 マニラ
4位 台北
5位 イスタンブール
6位 大阪
7位 ロサンゼルス
8位 上海
9位 ロンドン
10位バグダッド
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<< 引用文献
東京が「世界一危ない都市」と断定されたワケ 2019/10/26 東洋経済 かんべえ(吉崎 達彦)
https://toyokeizai.net/articles/-/310832
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英ロイズのランキングは、土地利用計画による「リスクエリアを氾濫原エリアに指定」した都市も含んでいます。
4)科学と文化
ガリレオは裁判で、「それでも、地球が動く」といった話があります。恐らく、この話は創作でしょう。
ジュ―ディア・パール氏は、「因果推論の科学」(p.286)で、次のように主張します。
「科学の新発見による文化の動揺は、その発見に合わせて文化の方を再調整しない限り収束しない」
「洪水対策の基本は、低平地に資産や人命を配置しないこと」は、科学の発見です。
これに対して、政治家は、利権を優先して、リスクエリアを氾濫原エリアに指定せずに、開発して、そこに人が住みます。これが、利権という文化です。
しかし、科学を無視して、文化を優先すれば、ツケがきます。
ジュ―ディア・パール氏は、「因果推論の科学」(p.286)で、次のように主張します。
「再調整に必要なのは、社会の怒りを買う前に科学と文化をきちんと線引きすることだ」
2011年の津波被害の半分以上は、土地利用計画(科学、リスクエリアの氾濫原エリア指定)を無視して、開発利権(文化)を優先したことに原因があります。
その後に起こっている洪水被害の多くも、土地利用計画(科学、リスクエリアの氾濫原エリア指定)を無視して、開発利権(文化)を優先したことに原因があります。
この原因を放置すれば、カッツ氏の予測のように、3500万の人々が住む都市エリアや東京横浜地域でも、洪水被害が発生します。
国土交通省は、レジリエンスの向上をキーワードに、過去10年、防災公共投資をすすめてきました。
自由民主党の総裁選の候補者の中には、「防災省」をつくる提案をしている人もいます。
しかし、これらの政策には、効果はありません。
筆者がそのように断定する理由は、筆者は、反事実に基づく因果推論をするためです。
仮に、「リスクエリアが氾濫原エリアに指定されていた場合」(反事実)を考えれば、その効果が絶大であることは自明です。
このように無駄な公共投資を判別する上で、反事実の推論は、非常に有効なツールになります。
洪水対策の評価は、リスクエリアに住んでいる人口がどれだけ、減ったかを指標にすればよいことがわかります。