帰納法の悲劇(1)

1)はじめに

 

因果推論の科学は、過去30年の間に、劇的に進歩しました。

 

最近の因果推論の概要は、パール氏の「因果推論の科学」で知ることができます。

 

「因果推論の科学」が、今まで行なわれてきた科学研究の半分以上は間違っていたという衝撃的な内容ですが、残念ながら、日本では、「因果推論の科学」が、受け入れられていません。

 

その原因には、次の3つが考えられます。

 

第1は、エンタープライズの欠如です。

 

第2は、メンタルモデルの共有の欠如です。

 

第3は、帰納法に関する誤解の蔓延です。

 

ここでは、第3の帰納法に関する誤解を取り扱います。

 

第2のメンタルモデルの共有の欠如は、非常に広範な課題なので、別途論じることにします。

 

2)エンタープライズ

 

第1のエンタープライズの欠如は、比較的単純な問題なので、本論の帰納法に関する誤解の検討に入る前に、簡単に整理しておきます。

 

エンタープライズ(Enterprise)」は、「 (大胆なこと・困難なことをする)企て、進取の気性、冒険心、困難への挑戦」といった意味をもち、この意味から派生した「企業」も意味します。

 

エンタープライズの派生語には、「起業家精神(Entrepreneurship)」があり、英語版のウィキペディアは次のように説明しています。

起業家精神とは、一般的には(従来のビジネスが想定する)最小限のリスクを超える方法で経済的価値を創造または抽出することであり、単に経済的な価値以外の価値も伴う可能性があります。

21世紀において、各国政府は経済成長と競争を改善または刺激することを期待して、起業家精神と企業文化を促進しようとしてきました。サプライサイド経済学の終焉後、起業家精神は経済を活性化させると考えられていました。

 

このように、各国政府は経済成長と競争を改善または刺激するためにベンチャーを立ち上げることは、重要な政策課題であり、幾つかの理論(仮説)が提示されています。

 

さて、話を日本のエンタープライズに戻します。

 

2024年現在の日本には、エンタープライズがなくなっています。

 

前例主義で、新しいことを提案した場合に、失敗したらどうするのかと反論する人がいます。エンタープライズが企業文化になっている場合には、そのような発言は、エンタープライズの欠如として、却下されます。

 

生成AIが普及したら、フェイク情報が拡大する、生成AIでレポートをつくる学生がいるので、生成AIの使用を禁止すべきであるという主張は、エンタープライズの欠如として、却下されます。

 

エンタープライズは、生成AIを放置することを主張している訳ではありません。

 

新しい技術には、プラス面とマイナス面があります。新しい技術を導入した場合と従来技術を使った場合について、比較対照試験を行なう必要があります。しかし、新しい技術を全面的に否定すれば、社会の進歩は止まってしまいます。

 

政府のベンチャー対策は、起業家精神の理論を無視した科学的な根拠のないものです。

 

官僚は、エンタープライズを否定した年功型組織に洗脳されていますので、起業家精神が理解できません。官僚には、エンタープライズの企業文化はありません。

 

年功型組織でも、人口が増加して、組織が拡大している場合には、例外として、新規組織では、エンタープライズが活かされる可能性があります。しかし、2024年時点では、人口が減少していますので、年功型組織を解体しない限り、エンタープライズの企業文化はできません。

 

自動車の自動運転や遠隔診療、AIによる自動診療などの新しい技術が生まれた場合に、(どこまで普及させるか別にして、)ともかく新しい技術を試してみないと落ち着かないという気性がエンタープライズになります。

 

2024年の日本では、エンタープライズは絶滅寸前になっています。

 

高度経済成長期には、日本には、エンタープライズが溢れていました。ソニーやホンダの企業文化はエンタープライズ文化でした。

 

エンタープライズの欠如は、安定経済成長期とバブル期以降の特徴です。

 

高度経済成長期の日本は、発展途上国であり、先進国ではありませんでした。

 

発展途上国の日本は、遅れているという認識が国民に浸透していました。

 

高度経済成長期の末期の1970年に日本万国博覧会大阪万博)が開催されました。大阪万博の最終的な総入場者数は約6422万人で、2010年中国・上海で開かれた上海万博に抜かれるまでは万博史上最多でした(上海万博は約7309万人)。

 

この入場者数は、日本が世界に遅れないことが大切であるという認識が国民の間で共有されていたことを示しています。高度経済成長期の日本は、エンタープライズが溢れていました。

 

中世史が専門の故脇田晴子氏は、日本の歴史学が遅れているので、西欧の歴史学に追いつくことが、学会の共通した目標であったといいます。

 

アメリカの学問は、1930年頃までは、ヨーロッパの学問に遅れていました。第2次世界大戦の混乱時に、アメリカは、ヨーロッパの学者を多く受け入れ、20世紀後半の学問(科学)の中心になりました。

 

1990年頃の日本経済の規模は、アメリカに匹敵していました。

 

1990年頃の日本の学問は、アメリカとは異なり、世界の中心になることがありませんでした。バブルの頃には、ドルと同じように、基軸通貨になれるかも知れないと発言した人もいました。日本の学問は、世界の中心を目指すことはありませんでした。

 

日本の学問には、エンタープライズがありません。ドーキンス氏は、ダーウィン氏の進化論を書き換えています。ドーキンス氏は、ダーウィン氏の進化論の後継者であり、ダーウィン氏を乗り換えて、歴史に名前が残ることを目標に研究を進めてきました。ドーキンス氏には、エンタープライズがあります。日本の生物学の研究者で、ダーウィン越えを目指した例外は、利根川進氏ですが、利根川氏の研究は、日本国内では、受け入れられませんでした。

 

脇田晴子氏は、2018年になくなっているので、高度経済成長期、安定経済成長期、バブル期、バブル期以降の経済衰退期を経験しています。

 

脇田晴子氏は、どうして日本の歴史学が、アメリカのように、世界の歴史学の中心になることをめざななかったのかについて、何も語っていません。

 

脇田晴子氏だけでなく、日本の学者は、どうして日本の学問が、アメリカのように、世界の学問の中心になることをめざななかったのかについて、何も語っていません。

 

世界の名目GDP(ドル建て)に占める中国の比率は、2021年に18.3%と米国の24.3%に6.0%ポイントまで接近しました。中国の名目GDP(ドル建て)は、2020年代の終わりまでには米国を追い抜き、世界一になるとの見通しの実現可能性は下がっています。

 

とはいえ、中国の名目GDP(ドル建て)は、アメリカに肩を並べる水準にあります。世銀統計の2023年 購買力平価GDPでは、1位は中国の34,643,707(百万USD)、2位はアメリカの27,360,935(百万USD)です。中国は、アメリカより人口が多いので、エンジニアの数が、桁違いに多く、既に、中国の大学が、世界の大学ランキングの上位の半数を占めています。

 

以上から判断すれば、2024年現在、中国が、世界の学問の中心になっている分野が多いと思われます。中国の技術が、アメリカの技術を越えている分野も多いと思われます。

 

EVについては、アメリカとEUは、価格競争に勝てずに、関税率を引き上げる中国外しをしています。しかし、アメリカとEUが、技術力競争で、中国に負けている分野も多いので、デカップリング 政策が、どこまで機能するかは、不透明です。

 

既に、多くの開発途上国は、アメリカとEUグループと中国のどちらが、技術開発競争の勝者になるかを、冷静に見極めています。

 

企業が新製品を開発する場合には、必要条件と十分条件があります。資金や製品をつくる工場は十分条件です。一方、エンタープライズ、技術開発能力のある人材、新しい技術は、必要条件です。技術者の頭の中に、新しい設計図がなければ、新製品は、生まれません。新しい設計図は、技術開発能力のある人材がいなければ、生まれません。技術開発能力のある人材は、エンタープライズが企業文化でなければ生まれません。

 

これから、人口が減少して、規模縮小化にある年功型組織では、新製品の開発はできないことがわかります。

 

政府の産業振興政策は、エンタープライズ、技術開発能力のある人材、新しい技術は、必要条件を無視しているので、成功することがありません。

 

政府の産業振興政策は、過去に成功した例がほとんどありませんが、これは、必要条件を無視してきたので、自明な結果と言えます。

 

政府の推論は、科学を無視した事実推論なので、これは、当然の結果でもあります。

 

事実推論の問題は、第2のメンタルモデルの共有の欠如で扱うので、ここでは、触れません。

 

まとめれば、新製品を開発するには、必要条件と十分条件があります。

 

エンタープライズは、新製品開発の必要条件の基礎になります。

 

エンタープライズの延長線の新製品開発の必要条件には、技術開発能力のある人材と新しい技術があります。

 

新製品開発の必要条件において、中国の優位が明らかです。

 

日本企業が、新製品開発の必要条件において、中国に優位である確率は低いです。

 

とはいえ、「因果推論の科学」のような新しい科学を受け入れるためには、エンタープライズの文化が不可欠であり、ここから、スタートする必要があります。