プラグマティズムの研究(4)

5-3)鮨職人

 

堀江貴文氏の鮨職人の発言が話題になりました。

2014年12月の「ホリエモンチャンネル」の中で、鮨職人になるには10年くらいかかると言われてきたが、今や半年でプロを育成する専門学校もあり、長い修業が必要なのは「1年間ずっと皿洗いをしていろ」などと言って寿司を教えなかったからだと語った。

 

これに対して、2015年4月の「求人@飲食店.COM」の記事が、「寿司は日本の伝統食であり、美食の象徴でもあります。やはり一流を目指すとなると、現在第一線で活躍する巨匠たちの辿ってきた道、つまり『飯炊き3年、握り8年』を実践するのが一番確かな道です」と反論した。

 

ホリエモンは、2015年10月のツイッターで再反論して、「バカなブログだな。今時、イケてる寿司屋はそんな悠長な修行しねーよ。センスの方が大事」とつぶやき、フォロワーから、シャリを握るのもご飯を炊く時の水分調節もそう簡単ではないと意見されると、「そんな事覚えんのに何年もかかる奴が馬鹿って事だよボケ」と返し、巷にはびこる「下積み原理主義者」を痛烈に批判した。笑

 

まぁ、ここだけ見ていると確かにそうだよね。と僕も納得しました。寿司職人になるだけなら皿洗いを一年とかさー。マジで無駄だよね。って思ったわけです。

<< 引用文献

「鮨職人になるだけなら皿洗いをする必要はない」の結論。2020/07/26 FIRST MASE

https://firstmade.jp/blogs/thought/sushi-syugyo

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修行は暗黙知の獲得で、科学ではありません。

 

ポランニーの考えでは、最も低いレベルの知識です。

 

言葉がなければ、考えることもできません。

 

ソムリエは、ワインの視覚、嗅覚、味覚に、言葉をつけます。

 

調香師は、香りに言葉をつけます。

 

紅茶のブレンダーは、紅茶の味、香りに、言葉をつけます。

 

ソムリエが、ワインに、言葉をつければ、同じようなワインに出会ったときに、同じ言葉で、表現することができます。

 

鮨職人が、鮨の味や、香りに言葉をつけた例を知りません。

 

鮨には、言葉がないので、鮨職人は何も考えられません。

 

フィギュアスケーターは、技に名前を付けます。運動技能は、暗黙知に分類されますが、技に名前を付けて、採点基準にします。

 

名前をつければ、経験の価値はなくなります。

 

フィギュアスケートを何年練習していても、経験には価値はありません。

 

経験があれば、オリンピックに出場できる訳ではありません。

 

フィギュアスケートに例えれば、『飯炊き3年、握り8年』を実践しても、1回転ジャンプしかできない人も、4回転ジャンプができる人もいます。あるいは、一度は、4回転ジャンプをできるようになったが、その後、4回転ジャンプを飛べなくなった人もいるはずです。

 

『飯炊き3年、握り8年』を実践という意味は、言葉がないので、1回転ジャンプも、4回転ジャンプも区別ができないことを意味しています。

 

ユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin)氏というアメリカ合衆国出身のバイオニストがいました。身体が柔らかい若い時には、どんな難曲も簡単に弾きこなしました。歳をとると、上手く弾けなくなります。日本では、メニューイン氏は、技術が良くないという点で、高い評価をしない評論家が多くいました。しかし、欧米の評価は非常に高いものでした。

 

クラシック音楽は、徹底した論理の世界です。暗黙知の技術があれば、それにこしたことはありませんが、論理が、技術を優先します。オーケストラの指揮者は、楽器を演奏しません。指揮者は、オーケストラの音を揃えたり、演奏の意図を的確に伝える技術をもっていますが、楽器の演奏の技術は必須ではありません。

 

メニューイン氏は、高齢になって身体が硬くなって、きれいな音をだすことが困難になります。しかし、クラシック音楽の論理が理解できる聴衆は、メニューイン氏が表現したいことの論理が理解できれば、多少の音の悪さは問題ではありません。

 

鮨職人でいえば、いつも最上のネタが入手可能とは限りません。

 

これは、ベストのネタでなくとも、鮨職人の表現したい味の論理が理解できれば、それで、十分満足するといった理解に相当します。

 

「寿司は日本の伝統食であり、美食の象徴でもあります」という表現にも根拠はありません。

 

あるラジオ番組では、子供が集まって、ママの得意料理の話をした事例が取り上げられていました。そこで、ある子供は、うちのママの得意料理は、おさしみであるといったそうです。得意料理は、おさしみであると言われた母親は、困惑したそうです。

 

「寿司のネタは日本の伝統食であり、美食の象徴でもある」と思いますが、「鮨料理」は、シャリを除けば、おさしみと変わらないと思います。

 

西洋料理のシェフは、和包丁を使いません。

 

「寿司のネタ」の目利きが、鮨料理の本質であるとするのであれば、現在のような漁業資源の崩壊を放置する鮨職人はいないはずです。

 

シェフは、よい食材の入手に、膨大な労力を使います。

 

漁業資源の崩壊を放置する鮨職人は、二流ではないでしょうか。