5)暗黙知と科学の方法
5-1)暗黙知と科学の方法
英語版のウィキペディアによれば、ポランニーのアイデアは、次のようになります。
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暗黙知または暗黙の知識は、形式化、体系化、または明示的な知識とは対照的に、表現または抽出することが難しい知識であり、したがって、書き留めたり言語化したりして他の人に伝えることがより困難です。これには、運動能力、個人的な知恵、経験、洞察力、直感が含まれます。
暗黙知は専門家でさえ必ずしも明示的に認識されているわけではなく、他の人に 明示的に伝えるのは困難または不可能です。
明示的知識(表現的知識ともいう)とは、容易に表現、概念化、コード化、形式化、保存、アクセスが可能な知識である。 形式的かつ体系的な言語で表現でき、データ、科学的公式、仕様、マニュアルなどの形で共有できる。解読に必要な構文規則が分かれば、簡単にコード化できるため、整合性を損なうことなく伝達できる。明示的知識のほとんどの形式は、特定のメディアに保存できる。明示的知識は、暗黙知を補完するものとみなされることが多い。
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日本では、Nonaka & Takeuchi (1995) SECIモデルが引用されることが多いですが、Nonaka & Takeuchi の暗黙知とポランニーの暗黙知の間には、共通性はありません。
日本人は、前例主義やベンタム流の帰納法のウィルスに感染しています。職人技の暗黙知は、科学の方法に優ると考えている人もいます。筆者は、SECIモデルは、こうした混乱を拡大したと考えます。
それでは、ポランニーのアイデアを振り返ります。以下は、英語版のウィキペディアの筆者による要約です。
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ポランニーは、すべての知識は暗黙知に根ざしていると述べました。ポランニーにとって、暗黙知は、人類と動物の進化的連続性を示す手段でもありました。ポランニーは、多くの動物は創造的で、中には心的表象を持つものもあるが、暗黙知しか持つことができないと述べています。
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ポランニーは、人類と動物には、進化的連続性があると考えました。しかし、動物の知性は、人間の知性に及びませんでした。
その原因は、知識を概念化(コード化)して、記録することができなかったからです。人間の乗馬のノウハウは暗黙知です。しかし、人間の乗馬に付き合う馬も暗黙知を蓄積しています。ポランニーは、この2つの知の間には、進化的連続性があると考えています。
明示的知識は、簡単にコード化できるため、整合性を損なうことなく伝達できます。明示的知識は、バージョンアップが可能です。科学の方法は、明示的知識に依存しています。
つまり、ポランニーのアイデアでは、暗黙知は、レベルの低い知識で、科学の方法に及ばないことになります。
ポランニーは、すべての知識は暗黙知に根ざしていると述べました。この時点では、全ての暗黙知の水準には、大差はありません。しかし、暗黙知を明示的知識にすることで、簡単にコード化できるため、整合性を損なうことなく伝達できるようになります。メンタルモデル(概念)の共有が可能になり、コミュニケーションが成立して、知識のバージョンアップが可能になります。科学の方法は、この下準備があって、始めてスタートします。
ポランニーは、明示的知識は、言葉の誕生によって起こり、文字によって強化されたと考えています。
このモデルには、文字データは、残っていないので、概念モデルによる思考実験を使って、検討することになります。
西洋音楽と日本音楽を比べた時に、圧倒的な複雑度の違いがありますが、それは、楽譜の記法に由来していると思われます。
ポランニーは、暗黙知を明示的知識に変換する基本は、効率的なコードの発明であると考えていたと推測できます。
5-2)インスタンスの問題
英語版のウィキペディアには、次のように書かれていました。
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明示的知識(表現的知識ともいう)は、 形式的かつ体系的な言語で表現でき、解読に必要な構文規則が分かれば、簡単にコード化できるため、整合性を損なうことなく伝達できる。
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しかし、この表現には、問題があります。文字(記号、コード)をインスタンスに変換できるメンタルモデルがなければ、明示的知識は理解できません。
筆者は、楽譜を見れば、楽譜が音を表していることが理解できます。しかし、楽譜を見ても頭の中で音がなる訳ではありません。
文字を見れば、頭の中で、朗読をしている音のイメージを作ることができます。
しかし、本を読むとき、頭の中で、音のイメージを作ることはしません。
頭の中で何が起こっているかを正確に表現することは困難ですが、イメージとしては、パワーポイントのように、キーワードのチャンクになっているように感じます。
暗黙知を、明示的知識にするためには、言葉(コード)が必要です。文字コードはそのまま、音声に変換することができます。これは、言語が、音声から発生して、文字の記録というステージに進化したためです。
記録と保存と転送が容易な方法は、音声より、文字コードです。文字が発明されてから、明示的知識の中心は、文字コードになっています。したがって、進化の途中で、音声の言葉はあるが、文字の言葉がなかった特殊な時代を考察する時以外では、言葉とは文字コードを指すと考えてよいと言えます。
この場合、文字の読めない人は、コミュニケーションができなくなります。識字率が重要になります。
文字単体のインスタンスは、音ですが、実際には、音は、文字のインスタンスではなく、単語のインスタンスになっています。同じ文字でも、単語の中の位置で、発音が変わることがあります。単語のインスタンスは、質量のある名詞の場合には、簡単ですが、抽象的な概念になると複雑です。つまり、識字率があっても、コミュニケーションのできるメンタルモデルの共有ができる訳ではありません。専門分野の基本的な概念についてメンタルモデルができるまで理解することが必要です。
チャールズ・パーシー・スノー氏は、「二つの文化と科学革命」(1959)の中で、次のように言っています。(筆者要約)
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私は、教育の高い人たちの何人が、熱力学の第二法則について説明できるかを訊ねた。答えは冷ややかなものであり、否定的でもあった。私は「あなたはシェイクスピアの作品を何か読んだことがあるか」というのと同等な科学上の質問をしたわけである。
もっと簡単な質問「質量、あるいは加速度とは何か」(これは、「君はものを読むことができるか」というのと同等な科学上の質問である)をしたら、私が彼らと同じことばを語っていると感じた人は、その教養の高い人びとの十人中の一人ほどもいなかっただろうと、現在思っている。このように現代の物理学の偉大な体系は進んでいて、西欧のもっとも賢明な人びとの多くは物理学にたいしていわば新石器時代の祖先なみの洞察しかもっていないのである。
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これは、教育の高い人たちの物理学の知識が、動物と同じ暗黙知のレベルに止まっていることを示しています。
「質量、あるいは加速度」は、ライプニッツとニュートンが開発を始めた微分方程式の言葉で書かれています。微分方程式の言葉が理解できなければ、言葉がないので、「質量、あるいは加速度」について考えることはできません。
ポランニーは、暗黙知を動物レベルの暗黒知と考えていたのかも知れません。
パール氏は、「因果推論の科学」(pp.26-27)で次のように言っています。
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たとえば、何かを主張したいときにその主張を表現するための言語がなくてはどうにもならない。適切な言葉がなければ、その主張をもとにさらに別の主張をすることもできない。化学的な発言には、そのための言葉が必要である。すべての人が同じ言葉を共有すれば、それだけで、できることが驚くほど増える。私がこれほど言語の重要性を強調するのは、言語が私たちの思考を形作ると深く信じているからだ。問うことのできない問いに答えることはできない。そのための言葉がなければ問いを立てることすらできない。
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パール氏は、「因果推論の科学」のために、「記号言語」(数式表現)を提案しています。
「記号言語」の同じ言葉を共有することで、因果推論は、暗黙知から、明示的知識になり、「因果推論の科学」がスタートするという主張です。
日本の年功型組織では、ローテーション人事とOJTの組合せで、経験を積むことに価値があると考えています。しかし、これは無謀です。
暗黙知の特性は、次の通りでした。
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暗黙知は専門家でさえ必ずしも明示的に認識されているわけではなく、他の人に 明示的に伝えるのは困難または不可能です。
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教育やトレーニングに、暗黙知を使えば、「他の人に 明示的に伝えるのは困難または不可能」なので、知識の伝達効率は最悪になります。
ポラニーの主張が正しければ、ローテーション人事とOJTの組合せで、経験を積む日本の年功型組織は、技術革新に取り残されて、つぶれるはずです。
年功型組織では、ローテーション人事とOJTの組合せで、経験を積むことに価値があると考えている官僚組織は、暗黙知に依存していて、科学の言葉が理解できないので、問題解決に関する問いを発することができないことになります。
明示的知識は、簡単にコード化できますが、数学的言語などのコードが理解できなければ、メンタルモデルの共有ができません。そのためには、教育が欠かせません。この教育の目的は、キーワードの暗記ではなく、数学的言語などの言語が読めることです。
明示的知識のメンタルモデルの共有には、教科書の共有が欠かせません。
大学レベルの標準教科書は、英語版になっています。
日本の大学には、既に、教科書をつくる力はありませんし、教科書作りは、日本の大学では、業績になりません。ここでいう教科書とは、世界標準の教科書ですから、英語版、または、日本語版でも、英語に翻訳されて、世界で広く使われている教科書を指します。
日本の大学教育は、数学的言語など言語の理解と、メンタルモデルの共有を目指していません。
数学的言語など言語の理解と、メンタルモデルの共有は、AIの影響を受けることはありません。なぜなら、メンタルモデルの共有は、AIとコミュニケーションするために必須のスキルだからです。
パール氏は、「言葉がなければ問いを立てることすらできない」と言います。AIの回答は、共有されるメンタルモデルの言葉で、書かれています。そうでないAIは、恐ろしくて使えません。
次回に、事例を紹介します。