1)生きる意味
「君たちはどう生きるか」は、2023年(令和5年)公開のスタジオジブリ制作による日本のアニメーション映画でした。
「なんのために生きるのか」は、アンパンマンや乃木坂46が歌っています。
ひろゆき氏は、「生きる意味」を次のように言っています。
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結論みたいなものを言ってもしょうがないですかね。そしたら、「死ぬまでにできるだけ楽しく暮らす」ってのを目標にするといいんじゃないかと思っています。
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<< 引用文献
ひろゆきに「生きる意味」を聞いたら意外な答えが返ってきた 2021/05/14 Diamond ひろゆき
https://diamond.jp/articles/-/270716
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2)シーシュポスの神話
自由に職業や生活環境を選べない時代もありました。
典型は、第2次世界大戦ですが、その後も、朝鮮戦争、ベトナム戦争がありました。
そのような世界では、理性を保つのが最大の課題になります。
ヴィクトール・フランクル氏は、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法(ロゴセラピー)を「夜と霧」で紹介していいます。
アルベール・カミュ氏は、エッセイ「シーシュポスの神話」で「不条理」の哲学を打ち出しました。
神話の概要は、ウィキペディアによれば、以下です。
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神を欺いたことで、シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けた。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのだった。カミュはここで、人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出した。
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カミユ氏は、「シーシュポスの神話」では、不条理が受け入れられることにより世界が意味を持たないことに気づき、個としての我々はシーシュポスさながらの世界に対する反抗によって自由になりえると結論づけました。
このような実存主義の目標は、正気を保つことです。
フランクル氏は、ナチスの強制収容所で生き延びた人の体験を元に、ロゴセラピーを構築しています。
脇田晴子氏は、太平洋戦争の特攻は、中世から続く、天皇制の文化に原因があるといいます。文化が人を殺すことがあると主張します。
数学で、ある関数の性質を調べる場合に、最大や最小のような極端な値を見ることで、複雑な関数の性質を調べることがあります。
極値に本質が宿るというメンタルモデルです。実存主義も、脇田晴子氏の天皇制の文化も、この極値のメンタルモデルです。
この方法では、ひろゆき氏の「できるだけ楽しく暮らす」といった価値観は無視されます。
筆者のメンタルモデルは統計学に準拠していますので、極値のメンタルモデルには、サンプリングバイアスの問題があると考えます。
脇田晴子氏は、皇制の文化がなければ、特攻はおこらなかったと主張しています。
しかし、太平洋戦争は、日本政府が経済的に追い込まれて開戦しています。
反事実を考えます。
仮に、日本で、石油に変わるような自然エネルギー技術が開発されていれば、太平洋戦争は起こらなかったと推定できます。
あるいは、原子力発電でもよかったかも知れません。
つまり、天皇制の文化があっても、特攻が起らない条件があります。
統計学でみれば、文化や哲学の問題は、薬の開発におけるプラセボ効果に相当すると思われます。
実体の経済が上手く機能していれば(衣食足りていれば)、実存主義や天皇制の文化が問題になることはありません。
3)ブルシット・ジョブの話
実存主義や天皇制の文化で、「何のために生きるのか」が問題になるケースは、生存の危機に面した場合です。リアルワールドをかえることが出来なくなれば、最後は、プラセボ効果しかのこらなくなります。
末法思想は、リアルワールドの改善ができないという前提に立っています。
リアルワールドをかえることが出来なくなれば、最後は、文化(プラセボ効果)が残ります。
プラセボ効果があれば、自殺を回避したり、やる気がでるかもしれませんが、その効果が、実際の経済活動に優先することはありません。
それでは、「なんのために生きるのか」という問題は、どうでもよい問題でしょうか。
おそらく、ひろゆき氏のように、富裕層で、仕事に縛られない生き方をしている人の場合には、「なんのために生きるのか」という問題は、どうでもよい問題であると思われます。
しかし、富裕層で、仕事に縛られない生き方ができる人は限られています。
橘玲氏は、次のようにいわれたことがあるといいます。
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オーストラリア人の若者に「日本では、新卒で入った会社に定年まで勤めることが理想とされている」と話したら「Scary(おぞましい)」と言われたことがある。
>(テクノ・リバタリアン、p.258)
ようするに、仕事に充実感を求められない場合には、問題が生じます。
この問題は、「感覚」ではなく、リアルワールドに繋がっている点が問題になります。
ウィリアム・シャンクス氏は、1873年に円周率の計算を707桁まで達成しましたが、後に、途中のミスにより実際には最初の527桁目までしか正しくなかったことが判明しています。この間違いは、1944年に機械式卓上計算機を使って行われています。
528桁目から707桁までの計算は間違っていました。
この間違った計算は、シャンクス氏の生きがいであったと思われます。
もちろん、シャンクス氏の時代には、機械式卓上計算機はありませんでしたので、シャンクス氏は、自分と同じような計算結果が出現するケースを想定していなかったと思われます。
現在でも、エベレストに登る人がいます。現在では、エベレストの山頂に立つことだけを目的にするのであれば、ヘリコプターを使うのが簡便です。エベレストに登ることは、「感覚」では生きがいになりますが、リアルワールドの経済価値はありません。
医師は、病名を診断します。機械式卓上計算機のように万能ではありませんが、幾つかの病名の診断においては、医師より、AIの方が判別精度が高くなっています。特に、画像分析の能力は高いです。
医師の誤診率が、AIの誤診率より高い場合には、医師はその分野の病気の診断をAIにまかせるべきかもしれません。
ブルシット・ジョブという言い方があります。
医師の誤診率が、AIの誤診率より高い場合には、その分野の病気の診断は、ブルシット・ジョブになってしまったのかもしれません。
もちろん、現在の医師法のもとでは、シャンクス氏のように、ブルシット・ジョブを続けることができます。医師は、それによって、収入が得られます。
しかし、患者のことを考えれば、医師が、ブルシット・ジョブを続けることは問題です。ブルシット・ジョブを続けることが、いきがいの医師がいる場合には、「なんのためにいきるのか」という問題を問わざるをえません。
共同通信は、次のように伝えています。
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トランプ氏はソーシャルメディアへの投稿で、9月10日の民主党のハリス副大統領との討論会は、民主党のバイデン大統領と実施し、相手の発言中はマイクの音を消した6月の討論会と同じルールになると説明。事前に質問は知らされず、メモの持ち込みもないとした。
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<< 引用文献
トランプ氏、討論会出席へ マイク消音ルールで合意 2024/08/28 Kyodo
https://news.yahoo.co.jp/articles/acf6671f99f7d1c5c6d267c161ffbe66d25ad2a8
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このことから、「事前に質問は知らされず、メモの持ち込みもない」ことには、問題がないことがわかります。
霞が関の官僚は、議員の国会質問の回答をつくるために、国会待機をしています。
しかし、トランプ氏に見るように、回答(メモ)は、必須ではありません。
国会議員は、質問に答えて問題解決を図るつもりはありません。
答弁の内容をみれば、それは明白です。
国会議員が答弁にたつ理由は、テレビに出て、国民に、顔を売って、次の選挙に当選するためです。
少子化問題も、性差別の問題も、国会答弁では、まったく、解決が先に進みません。
心理学によれば、そもそも、議論が成り立つためには、メンタルモデルの共有ができている必要があります。これは、簡単にいえば、同じレベルの専門の教科書を習得して、専門用語や概念の共通理解が出来ている状態をさします。
メンタルモデルの共有ができない人を集めても、議論は不可能です。
科学の世界では、メンタルモデルの共有ができていて、仮説と検証の手順が共有されています。対立する仮説がでることがありますが、対立する仮説は、検証結果によって、選抜されます。
円安政策がよいか、悪いかの意見の対立があっても、科学の方法であれば、検証の手続きを議論して、検証結果に基づいて、円ドルレートの適切な政策の収束がなされます。
このように考えれば、国会待機はブルシット・ジョブです。
国会答弁も、ブルシット・ジョブです。
ブルシット・ジョブを続けることが、いきがいの国会議員がいる場合には、「なんのために生きるのか」という問題を避けることはできません。
利権を振り回して、高い所得を得ることが目的の国会議員もいるとは思います。
しかし、そのようないきがいをもつ議員が多数になれば、問題解決はまったく進みませんし、民主主義は崩壊します。
ブルシット・ジョブの排除は本質的な問題です。
「ブルシット・ジョブは排除する」というルールが守られていれば、日本の経済や社会の問題は、解決に向かって進みます。
この「ブルシット・ジョブの排除」には、「なんのために生きるのか」という問題を避けることはできないと思います。