「因果推論の科学」をめぐって(57)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(57)思考能力の課題

 

1)探究の学習

 

文部科学省は、探究の学習で、探究(思考能力)を鍛えるといっています。

 

しかし、そこには、正しい推論と間違った推論の区別がありません。

 

ノーベル賞アウトリーチ は、科学的思考のためのツールキットを配布しています。

 

一部を引用します。

すべての人のための科学的思考:ツールキット

 

情報と偽情報があふれる世界で、私たちは何を信じるかについて常に選択をしています。根深い偏見により、私たちは簡単に自分自身を騙すことができます。科学者たちは何世紀もかけて偏見を最小限に抑え、認知の罠に陥らないようにする技術を完成させてきました。しかし、これらの技術は誰でも学んで使用できます。長い間、これらの思考ツールは高校教育から欠落していました。そのため、私たちは専門家チームと協力して、すべての人のための科学的思考:ツールキットを作成しました。

 

すべての人のための科学的思考: ツールキットは、14から18 歳の生徒を対象とした 7 単位のカリキュラムです。高校生が将来の課題や機会に備えられるよう準備します。現実世界の問題に対する認知戦略のツールキットを教えます。また、意見の異なる人々が現実に対する共通の見解を確立し、集団で問題を解決できるようにする方法も提供します。世界を科学的に見る方法を学ぶことで、生徒は推論とコラボレーションのスキルを身につけ、21 世紀の課題に対処する準備が整います。

<< 引用文献

 

Scientific thinking for all: A toolkit

https://www.nobelprize.org/scientific-thinking-for-all/

>>

 

2)「因果推論の科学」

 

「因果推論の科学」は、推論の正しさを問題にしています。

 

パール先生は、因果的な推論にデータだけで対応することはできないといいます。

 

これは、データのみで因果的な推論をする推論の方法は間違いであるという主張です。

 

「因果推論の科学」は、科学的に正しい因果推論の方法を説明した本です。

 

因果推論のメンタルモデルと、探究の学習の「ともかく考えれば何とかなる」というメンタルモデルには、大きな差があります。

 

科学的な思考実験をするためには、細かな用語を暗記する必要はありませんが、基本的な概念についてのメンタルモデルの共有が出来ている必要があります。

 

3)「ブリーフの固定化法」

 

パースは、ブリーフの固定化法で、ブリーフの固定化法には、「固執の方法(前例主義)、権威の方法、形而上学、科学の方法」があるといいました。

 

科学の方法は、1つではありませんが、検証などの手法を通じて、推論が収束するプロセスをもっています。4つのプリーフの固定化法で、「科学の方法」を使って推論する場合には、専門分野のメンタルモデルがあれば、推論のプロセスを理解することができます。

 

推論のプロセスに問題があれば、質問して、問題が見つかれば、修正してもらうように依頼することができます。この修正を受け入れないと、論文は、削除されます。例えば、Natureに掲載された論文で、データの捏造疑惑が出た論文については、質問に対する修正が十分にできない場合には、論文は削除されるルールです。

 

さて、疑問は、「固執の方法(前例主義)、権威の方法、形而上学」で、ブリーフを固定化している場合です。

 

この3つの方法を使っている場合には、科学の方法では、推論をしていないことが理解できます。

 

問題は、その先です。科学の方法では、推論しなければ、どのような推論の方法があるのでしょうか。

 

予算編成は、基本は前年踏襲です。これは、世の中の変化がないという前提になるので、破綻した論理ですが、予算数値を設定するアルゴリズムは、理解できます。

 

一方では、半導体工場に補助金を出すような、先例主義ではない予算があります。

 

この増減する予算が、科学の方法で決まっているとは思えません。

 

この予算の増減は、どのような推論で決まっているのでしょうか。

 

政治献金の金額や、天下りポストの数で決まってる可能性があります。

 

その場合には、半導体国産化できることは、政策目標ではないので、どうなってもかまわない内容になります。

 

半導体国産化(結果)<=半導体工場の建設(原因)」という因果モデルが考慮されていないので、因果推論からすれば、「半導体国産化」ができることはありません。

 

「数兆年の税金をつぎ込んで、いくらなんでも、政府はそこまで、因果モデルを無視していないだろう」と期待する人は多くいます。

 

しかし、探究の学習の例と同じ問題があります。科学的な推論をするためには、科学的な推論のトレーニングを積んでいる必要があります。

 

パール先生が、要求する「因果推論の科学」の科学的な推論はできるメンタルモデルはかなりレベルが高く、有識者の90%は落第になります。

 

そこまで、ハイレベルではなくとも、少なくとも基礎的な数学や、統計学のメンタルモデルが共有できていなければ、「政府が、因果モデルに配慮している」と信ずるに足りる根拠はありません。

 

4)日銀の財務省

 

4-1)円高の影響

 

ロイターは次のように報道しています。

鈴木俊一財務相は23日の衆院財務金融委員会の閉会中審査で、掘井健智委員(維教)への答弁で、内外金利差縮小に伴う円高トレンドへの転換が日本経済に与える影響について「プラス面・マイナス面のどちらに影響が大きいか一概に言えない」と述べました。

 

鈴木財務相は一般論として、円高は海外からの所得などを下押しする方向に作用して輸出企業の業績にマイナスに寄与する一方、輸入比率の高い企業を中心とした企業業績にプラスに作用すると指摘。プラスとマイナスの両面があると説明した。

<< 引用文献

円高の影響、プラス・マイナス面どちらが大きいか一概に言えず=財務相 2024/08/23 ロイター 杉山健太郎

https://jp.reuters.com/opinion/forex-forum/SKZ3ECNH3ZM33EZ3PC7EUCCI3A-2024-08-23/

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影響の感度分析(パス解析)は、構造方程式モデリングまたは、同時方程式モデル(p.138)で推定できます。

 

つまり、円高の影響のプラス・マイナス面の感度分析の答えがあります。モデルの予測値と実際の結果にすれが称することはあります。そのずれは、議論になります。

 

しかし、どちらが大きいか一概に言えないという発言は、経済学のメンタルモデルがあれば、ありえません。

 

財務相の答弁の原稿は財務省の官僚がつくっていますので、「政府が、因果モデルに配慮している」と信ずるに足りる根拠がないという仮説が正しいと思われます。

 

4-2)日銀の責任

 

ロイターは次のように伝えています。

鈴木俊一財務相は23日午後の参議院財政金融委員会で「金融政策から派生する出来事について、全て日銀に責任を押し付けるのは避けないといけない」と述べた。

 

円安や輸入物価上昇の責任を日銀に負わせていいとは思わないがどうか、との質問に対し、鈴木財務相は「金融政策そのものは日銀の独立性が大事で、そこは踏まえないといけない」としたうえで、「日銀に全て責任があるとは毛頭思っていない。そこには日ごろの意思疎通も情報共有もある」と語った。

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金融政策から派生する出来事、日銀への責任押し付けは避けるべき=財務相 2024/08/23 ロイター 石田仁

https://jp.reuters.com/opinion/forex-forum/LT6E3OL37ZIAJBFPEJH6HSIQLM-2024-08-23/

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経済学には外部不経済という概念があります。

 

例えば、水資源のために、ダムを建設すれば、魚がいなくなります。

 

ダムは、魚を排除する目的で建設されてはいませんが、ダムの影響で、魚がいなくなります。

 

この効果は、外部不経済とよびます。

 

ダムの建設主体は、外部不経済に対して責任をおいます。

 

熊本の水俣病外部不経済ですが、企業は責任を負います。

 

日銀が金融政策を行ない、その結果、生活が困難な人が生じれば、日銀は、金融政策の外部不経済の責任を負います。

 

ただし、住宅ローンの金利のように、契約時に、金利変動が見込まれている場合には、これは外部不経済にはなりません。

 

また、円安(円ドルレート)は、第1には、日米の金利差で、決まります。

 

これは、間接効果ではなく直接効果です。これが、日銀の責任でなくなることはあり得ません。

 

物価上昇は、日銀自体が目標にしていましたので、責任があります。

 

ともかく、答弁は、科学の方法を逸脱しています。

 

筆者の経済学のメンタルモデルの不足で理解できない部分もあります。

 

金利差があれば、円は円キャリーで、海外に流出します。リーマン・ショックの時に資金も円資金が流入していたと言われています。

 

金利政策は、建前上は、日本企業が資金調達しやすくなり、設備投資が回復する効果を期待しているように言われています。

 

しかし、日本企業は、内部留保を増やしただけで、設備投資をしませんでした。

 

日本企業の幹部の推論が前例主義になっている可能性があります。

 

前例主義の推論では、人口が減少し、売り上げが減少する場合には、生産をひかえる以外の推論ができません。設備投資をするためには、反事実の推論が必要になります。しかし、そのような科学的な推論のトレーニングをうけていない幹部は、反事実の推論ができません。

 

一方で、金利差があれば、資金は、海外に流出します。

 

リーマン・ショックは、住宅投資で特殊でしたが、工場建設などの資金になっている可能性もあります。円が海外に流出して、そこで、投資に使われれば、海外の経済は成長します。

つまり、低金利政策は、海外企業の生産性を向上させ、日本企業の競争力を低下させるために、使われている可能性があります。

 

金利政策は、通常は、1から2年の間の出来事なので、こうした影響は無視できます。

 

しかし長期に低金利が続けば、影響が違ってきます。

 

科学の方法では、低金利政策が、1から2年で効果がない場合には、仮説が成立していないので、仮説を修正します。

 

預金金利は、バブル以降30年間低金利に据え置かれました。これは、家計から、金融機関や企業への所得移転になります。その副作用として、内需が縮小します。

 

金利政策と円安遊遊動は、家計から企業への所得移転になり、内需中心の経済を縮小させます。一方では、年功型雇用と前例主義と許認可は、ベンチャーの出現を阻害して、競争力のある輸出企業はなくなりました。現在の国際収支は、海外投資のリターンが中心です。帰納法を考えることをやめて、演繹法で推論すれば、現在の経済は、財務省の政策通りになっています。

 

科学の方法では、低金利政策が、1から2年で効果がない場合には、仮説が成立していないので、仮説を修正します。

 

日銀は、科学の方法をとっていませんので、筆者には、推論が出来なくなっているように見えます。

 

ともかく、成分ごとに、政策の効果を点検して、問題があれば、仮説を修正することが科学の方法です。

 

財務相の答弁の原稿は財務省の官僚がつくっていますので、「政府が、因果モデルに配慮している」と信ずるに足りる根拠がないという仮説が正しいと思われます。