「因果推論の科学」をめぐって(52)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(52)運の科学

1)反事実と運

 

サイコロをまわすと1から6の目がでます。

 

サイコロには、6種類の可能性世界があり、1つが現実になり、残りの5つが反事実になります。

 

このように、確率を考えることは、可能世界を考えることになります。

 

サイコロの目を制御することはできません。

 

仮に、サイコロの目x1ドルの景品がもらえるとしたら、6が一番のあたりで、1が一番の外れになります。

 

6を引く場合を、運があるといいます。

 

これが運の科学です。

 

2)成功=才能+運

 

カーネマンの公式「成功=才能+運」(p.94)が引用されています。

 

平均への回帰は、偶然があれば、おこります。

 

パリオリンピックが、終わりましたが、メダルの色の半分は偶然の効果で説明できます。

 

簡単に考えれば、才能(実力)に差がなければ、メダルの色は、サイコロ目の違いです。

 

運があった(大きなサイコロの目を引いた)選手は、より上位のメダルを得ることになります。

 

2位と僅差で得た金メダルは、運で説明できます。

 

オリンピックの代表選考も偶然の影響を考えていません。

 

パール先生は、野球の新人王の2年目の成績がふるわないジンクスは、偶然の効果(大数のの法則)で説明できるといいます。

 

オリンピックの代表選考までの成績がよかった選手は、オリンピックの本番では、偶然の効果が働かなくって(運にみなはされて)、成績がいぜんよりふるわなくなります。

 

代表選考で、直前の成績に重みをつけて評価することには、合理性はありません。

 

オリンピックなどのスポーツ中継は、運の影響がゼロであるという説明になっています。

 

1964年の東京オリンピックのマラソンの銅メダリストの円谷幸吉氏は、ストレスが原因で、オリンピックから約3年後の1968年1月に自死しています。

 

メダルの色には、運の影響があると理解していれば、ストレスの大きさは随分とちがったはずです。

 

スポーツ中継を聞くたびに、余りに無責任な中継に気分が悪くなります。

 

運を実力で左右できると考える発想は、ギャンブルにのめり込む発想です。

 

人間は、確率をあげる努力をすることはできますが、運を制御することはできません。

 

これも、確率のメンタルモデルの有無に由来する点なので、話しても理解だれることはないと思います。

 

運は、確率(数学)のメンタルモデルができていない人には、理解できません。

 

運は、ランダムプロセスに伴う概念です。

 

一方、ベイズ統計の確率値の更新は、ランダムプロセスではなく、才能(実力)に関する統計処理です。

 

この2種類の成分を簡単に分離できるフィルタ―はないと思います。

 

つまり、この辺りは、統計学がまだ整理できていない点であると思います。

 

運の科学は、大切なのですが、取り上げられることがあまりに少ないので困ります。