「因果推論の科学」をめぐって(39)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(39)事実の呪い

 

1)新しい言語

 

パール先生は、いいます。

私は科学論文を読んでいても、つい文章を読まずに式だけを拾い読みしてしまうような人間である。私にとっては、文章はまだオーブンで調理中の料理のようなもので、式こそが焼きあがった料理なのだ。

>(p.509)

 

つまり、パール先生は、式をみるとメンタルモデルができます。

 

インスタンスとオブジェクトの関係を正確に記述するためには、式を使う必要があります。

 

文章では、この2つは常に混乱します。その典型は普遍論争です。

 

式を使わないと正確な議論はできません。

 

パール先生は、新しい概念を記述するためには、新しい言語が必要であるといいます。

 

この場合の新しい言語とは新しい数式表現になっています。

 

式(数式言語)は、日常言語の拡張になっています。

 

筆者は、概ね次のように考えています。

 

日本では、文字は万葉集のころから、漢字を借用して使われ、平安時代にひらがなとして確立しました。1000年前のことです。

 

文字の読み書きが、知識の基本でした。書くことは、読むことより、高い技術が必要でした。

 

数式言語が広く使われるようになったオイラーの時代から、300年前のことです。

 

数式言語がなければ、物理学の成功はなかったと思われます。

 

70年前に、コンピュータ言語が発明されました。

 

コンピュータ言語の基本特性は、数式言語と同じですが、計算して、数値例が出せる点が大きく異なります。

 

また、コンピュータ言語は、キーボード入力を原則としていましたので、式の用いられる記号は、キーボードにあるものに限定されました。

 

20年前に、数式言語とコンピュータ言語の相互乗り入れが可能になりました。

 

2024年現在では、数式言語とコンピュータ言語のどちらか片方だけでしか記述できない内容は例外であり、通常は意識する必要がなくなりました。

 

リテラシーとは文字を読み書きする能力です。

 

日本語だけなく、英語も読み書きできれば、リテラシーは拡大します。

 

同様に数式言語のリテラシーがなければ、理解はできません。

 

パール先生は、新しい(数式)言語を問題にしていますので、その先の議論をしています。

 

2)比喩の力

 

比喩で考える手法は、ソクラテスプラトンが愛用した手法です。

 

イソップ物語も多用しています。

 

大変古い手法ですが、一見すると、幼稚な手法に見えて、筆者は。今まで封印してきました。

 

現在の教科書で、イソップ物語のような比喩で説明をしているケースは、思いつきません。

 

しかし、筆者は、「因果推論の科学」を読んで、比喩を軽視することは間違いであることを理解しました。

 

比喩には、次の長所があります。

 

第1に、因果構造(因果ダイアグラム)が同じであれば、比較する2つの因果構造について、同じエスティマンドをつくることができます。これは、比喩の対象を分析すれば、問題解決の糸口が見つかることを示しています。

 

第2に、伝統的に比喩が使われる理由は、メンタルモデルが簡単に形成できるからです。因果思考の基本は、メンタルモデルができることです。メンタルモデルを共有することで、はじめてコミュニケーションが可能になります。

 

パール先生のように数式言語のメンタルモデルが一番簡単に作れるのは、達人のレベルです。エンジニアでも、数式言語のメンタルモデルが作れなくて苦労している人は多数います。まして、数学のリテラシーがない人は、数式言語のメンタルモデルは作れません。

 

イソップ童話は、小学生でも理解できますので、このレベルの比喩であれば、メンタルモデルの共有は容易です。

 

したがって、比喩を使う方法には、大きなメリットがあります。しかし、数式言語と異なり、比喩では正確な表記には対応できません。比喩は、メンタルモデルを共有して、コミュニケーションを開始するスタート地点としては優れています。比喩だけでは、最終目的地には到達しない(注1)という制限に注意して用いれば、比喩は有効なツールです。



注1:

これが数式が必要になる理由です。

 

3)ミニトマトの事実の呪い

 

比喩を実際に使ってみます。

 

ここで、家庭菜園のミニトマトの例を繰り返します。

 

2024年には、5月にミニトマトの苗を購入して家庭菜園に植えました。

 

8月1日には、ミニトマトが幾つか色づいています。

 

ミニトマトは、生物学の法則に沿って成長しています。

 

ミニトマト栽培の目的は、できるだけ甘いミニトマトをできるだけ沢山収穫することです。

 

このために、水や、肥料をやり、ウィルス病にかかった古い葉を取り除きます。

 

ミニトマトが赤くなってきたら、いつ収穫するかを考えます。

 

収穫が遅くなると完熟しますが、雨にあたると実割れしてしてしまいます。

 

さて、一見すると簡単な家庭菜園日記ですが、自由意思を考えると問題は複雑です。

 

ミニトマトの栽培中で、何がガーデナーの自由になる部分で、何が、科学法則に支配されていてガーデナーの自由にならないかを分離する問題です。

 

赤くなったミニトマトの収穫の適期は、3日程度です。青トマト料理を作るために、赤くなる前に収穫することもできます。食用ではなく、種をとることを目的とするために、完熟するまで放置することもできます。

 

しかし、「できるだけ甘いミニトマトをできるだけ沢山収穫する」ことを目的とすれば、そのような行為を自由意思であると考えるべきではありません。

 

赤いトマトの収穫時期に関するガーデナーの自由意思は3日の間に限定されます。

 

読者が、シムファームのようなソフトウエアを使って、ガーデナーがいつトマトを収穫するかを予測する場合を考えます。ソフトウェアの精度が高ければ、ミニトマトが赤くなる3日間を予測できます。しかし、その先に、3日の間のいつ、ガーデナーが収穫するかは予測できないと考えます。これは、自由意思の部分は、科学法則にのらないというアイデアです。

 

つまり、ガーデナーの家庭菜園日記のデータには、科学法則にのる必然的な部分と、自由意思があって、法則性がない部分があると考えます。

 

しかし、パール先生が、サール氏の「自由意思は、哲学におけるスキャンダル」(p.549)という発言を紹介しているように、この区分の問題は避けられない問題であるにもかかわらず、糸口すら見つかっていません。

 

ミニトマトの問題は、ミニトマトの苗を購入した時点で、話が始まります。

 

ミニトマトの苗ではなく、スイカの苗を購入すれば、スイカの問題になります。

 

ミニトマトにするか、スイカにするかは、自由意思の問題に見えます。

 

しかし、スイカまたはミニトマトの苗を購入できる予算がなければ、選択問題は発生しません。家庭菜園の畑がなければ、選択問題は発生しません。

 

経済学のモデルが精緻になれば、家庭菜園の畑を購入したり、借りることができるかという問題には、答えを出すことができるかもしれません。しかし、仮に、ミニトマトとスイカの苗の価格が同じであれば、経済学では、どちらの苗を購入するかという法則(予測モデル)はつくれないと思われます。(注2)

 

2024年に筆者は、ミニトマトの苗を購入して育てています。

 

この原稿を書いている8月2日には、庭では、ミニトマトが赤くなっています。

 

赤いミニトマトは、事実です。

 

この事実は、科学法則によって支配される必然の部分と自由意思の部分があります。

 

自由意思に対応する事実は、変更することが可能です。

 

例えば、筆者は、もし、生きていれば、2025年にスイカを植えることができます。

 

この場合には、2024年はミニトマト、2025年はスイカになりますが、入れ替えた場合、2024年はスイカ、2025年はミニトマトにすることも可能でした。

 

サール氏の可能世界で考えれば、「ミニトマト世界」と「スイカ世界」があり、2024年は、「ミニトマト世界」を選択したことになります。

 

この選択が自由意思で行われていれば、そこには、科学法則は及びません。

 

ミニトマト世界」は、事実ですが、そのすべてを科学法則で説明すべきではありません。

 

このような可能世界を考えられなくなると「事実の呪い」にとらわれてしまいます。

 

注2:

 

パール先生は、「必要原因と十分原因を区別する」(p.450)必要があるといいます。パール先生は、因果モデルについて述べていますが、必要条件と十分条件の区別は、因果モデル以外でも重要です。

 

経済成長、少子化対策についても、必要条件と十分条件があります。

 

この2つを区別しなければ、推論は混乱してしまいます。

 

識者と呼ばれる人の数学のリテラシーが怪しいことがわかります。

 

2%のインフレは、スタグフレーションでも起こりますので、経済成長の必要十分条件ではありません。

 

経済学や社会学で、必要条件と十分条件の議論を聞いたことがありませんが、筆者が不勉強なのでしょう。

 

4)応用問題

 

ミニトマトの比喩を考えます。

 

4-1)法度制度

 

筆者は、5月に、ミニトマトの苗を購入してきました。

 

日本では、1500年くらい前に、中国から法度制度の苗(儒教)を購入してきた人がいます。

 

法度制度の木は、太平洋戦争の敗戦までは、外圧がなく、育ち続けました。

 

敗戦の影響はよくわかりません。

 

女性天皇の議論では、過去の実績を論じていますので、その人は、筆者が、ミニトマトを植えたのは、運命であって、自由意思ではないと考えています。

 

王権神授説の木は、フランス革命で切り倒されています。

 

過去の実績を論じる人は、王権神授説が正しく、フランス革命は間違いであったと考えています。

 

意見は、色々あって構いませんが、根拠を示して、メンタルモデルの共有をしないとコミュニケーションが成り立ちません。

 

自由意思と法則の部分を区別して論じる必要があります。

 

4-2)異次元緩和

 

アベノミクスでは、異次元緩和の木の苗が購入されました。

 

次元緩和の木は、大変たちが悪い雑草で、一度導入すると廃絶は困難です。

 

ミニトマトの世界」で自由度の高い部分は、苗の種類を選ぶ時でした。

 

同様に考えれば、経済政策の自由度が高い部分は、次元緩和の木の苗を購入するときでした。

 

自由意思の視点でみれば、本当のクリティカルな意思決定の場面は、限られています。

 

本当のクリティカルな意思決定の場面では、周知を集めて、議論すべきです。

 

異次元緩和の木の苗が購入時に起きたことは象徴的です。

 

安倍前首相は政治主導によって日銀法を変えることができると主張して、日銀を恫喝しています。

 

自民党は、議論を封印しました。

 

この問題に対して、異議を述べたマスコミや有識者はいませんでした。

 

ここでは、安倍前首相の発言を問題にしているのではありません。

 

行き過ぎた発言があった場合には、それに対して、ブレーキをかける調整能力がないシステムは異常です。ブレーキのない自動車は、暴走します。

 

英国のトラス政権を思い出してください。

 

トラス政権のときには、ブレーキが機能しました。

 

日本の政治システムには、致命的な欠陥があったことがわかります。

 

松本剛明総務大臣武見敬三厚生労働相が、政治資金パーティーを開いたようです。

 

政治主導とは、ブレーキ不在で、三権分立がないことを意味しているようです。

 

三権分立で言えば、政治資金パーティーを阻止する権力が必要です。

 

これは、合法・非合法以前の問題です。