注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。
(12)帰納法と時系列と因果推論
1)帰納法と時系列は因果ではない
時系列は、因果律ではありません。
上昇している株価は、どこかで下がります。
過去のデータを集めて仮説を作っても、将来にその仮説があてはまる保証はありません。
帰納法は、仮説をつくるプロセスに間違いはありませんが、出来た仮説が将来にあてはまると考えることは間違いです。
多くの場合、帰納法を使う目的は、将来にあてはまる仮説を作ることにあります。
この目的が達成できるかという視点で判断すれば、帰納法は間違いであると言えます。
官僚は、前例主義を主張します。
マスコミは、成功例をコピーする記事であふれています。
例えば、お金持ちになる方法という本では、成功者の体験談を聞いて、帰納法で、成功法則を導き出そうとします。
少子化対策では、人口が増加した自治体の事例を集めて、帰納法で、成功法則を導き出そうとします。
多くの学会は、科学的な方法が理解出来ていないので、帰納法で書かれた論文を受理します。一方では、演繹法で書かれた仮説の論文は、思いつきに過ぎないとして掲載拒否しています。科学の方法では、この2種類の仮説は、どちらも検証されていないという点では、同じ信頼性であるにもかかわらず、科学的に間違った査読基準が採用されています。
帰納法が正しいと考えることは、2種類の間違いを犯すことになります。(注1)
第1に、検討する対象が同一の場合、帰納法は、トレンドが変化しないという前提に立っていることになります。
これは、株価が上昇すれば、上がり続けることになります。
社人研の人口予測では、日本の人口は減り続けることになります。
株価は、上がり続けることがないので、さすがに、トレンドモデルは、信頼されません。
そこで、切り替えスイッチのついたトレンドモデルであるテクニカル分析が使われます。
テクニカル分析には、科学的な根拠はありません。
株価の時系列解析で、唯一、科学的な根拠がある手法は、ブラック・ショールズ方程式です。
ブラック・ショールズ方程式は、ランダムプロセスを前提にしています。
皆が、ブラック・ショールズ方程式を使えば、ランダムプロセスの前提は崩れてしまいます。
したがって、現在では、ブラック・ショールズ方程式では、大きなリターンが得られません。
ランダムプロセスの崩れ方をモデル化すれば、改良ブラック・ショールズ方程式を作って運用することが可能です。
しかし、手間に見合うだけのリターンが得られるかは不明です。
第2に、検討する対象が異なる場合、交絡条件の違いがあり、帰納法による推論は破綻しています。
これは、前例主義の間違いです。
2)未来の予測と因果モデル
時系列データで未来を予測することはできません。
物理学では、物理方程式によって、未来を予測できます。
ロケットも、衛星も、物理方程式による未来予測なしには、成立しません。
物理学でできる未来予測が、どうして、金融(株価)ではできないのでしょうか。
そもそも、金融では不可能に思われる未来予測が、どうして物理学では可能になるのでしょうか。
物理法則は因果モデルです。現在の因果構造が、将来も変化しなければ、将来予測が可能になります。
一般には、物理法則は、客観的な真理であると考えられています。
しかし、科学哲学者のポパーは、いくら検証を繰り返しても、検証の回数と法則の信頼性の間には、関係がないといいます。反例が1つでも見つかれば、法則を書き換える(改訂する)必要があります。
例えば、2024年に反例が見つかった場合を考えます。
この場合、物理法則には、物理法則(2023年以前版)と物理法則(2024年版)に分かれることになります。
物理学の法則では、改訂は頻繁には起こりませんが、生物学、進化、生態学では、法則は頻繁に改訂されます。
ブラック・ショールズ方程式は、ブラック・ショールズ方程式を使った投資をする人が少数派の時には、高い適合度がありましたが、皆が、ブラック・ショールズ方程式を使った投資をするようになって、ランダムの前提が成り立たなくなっています。
この場合には、法則の使用率と法則の適合率の間には関係があります。法則の使用率は、法則の適合率の交絡条件になっています。
ポパーは、いくら検証を繰り返しても、反例が1つでも見つかれば、法則を書き換える(改訂する)必要があるといいました。
この発言は、パール先生の因果法則は主観であるという主張に対応しています。
3)未来を予測する唯一の方法
未来を予測できる唯一の方法は、因果推論です。
帰納法と時系列解析では未来を予測することができません。
因果推論が未来を予測できる根拠は、因果モデルが変化しないと考えることです。
ここでは、2つのステップで構成されています。
第1は、因果モデルを作るステップです。因果モデルには時間順序が含まれますが、特定の時間には依存しないように、モデルを作ります。
第2は、因果モデルが将来も有効であると考える信念(主観)です。
政府は、就労時の50%以上の収入があれば、年金生活できるという因果モデルを提示しています。しかし、筆者には、1ドルが、300円になった場合には、この因果モデルが有効であるとは信じられません。1ドル100円の時代に作らえた因果モデルは、為替レートという交絡条件を無視しています。
交絡条件の影響を評価する方法には、「コーンフィールドの不均衡」(p.268)や感度分析(因果推論の科学のp.269で言及されているが、説明はない)があります。
政府の説明は、交絡条件を無視していますので、数学的に間違った推論になっています。財政審議会には、数学の出来る人がいません。(注2)
2つのステップをまとめると、原因と結果を推測する能力、因果モデルの構造が将来も変化しないと考える信念は、主観になります。
この主観は、人類の叡智の根幹をなしています。
パール先生は、「因果推論の科学」の出だしで、次のように、言っています。
<
因果推論では、この「なぜ?」という問いをすべて真剣に取り扱う。この分野では、人間の脳を、原因と結果を扱うためにこれまでに作られた道具の中では最高のものであると仮定する」(p.13)
>
4)時系列と因果モデルの構造
スイスのビジネススクールIMDが、2024年の世界競争力ランキングを6月17日に発表しました。世界の67カ国・地域中で、日本は昨年の35位からさらに順位を下げ、38位になっています。
<< 引用文献
日本が「4年連続1位→38位」に転落した国際的指標 2024/07/07 東洋経済 野口悠紀雄
https://toyokeizai.net/articles/-/771901
>>
このような時系列データは、因果推論ではありません。
時系列データは、因果推論には使えないのでしょうか。
時系列には、因果の要素(原因と結果)が含まれていませんので、時系列データから、因果モデルをつくることはできません。
ただし、時系列データが因果構造を反映している可能性があります。
インデックス型のETFでは、株価の高い優良企業をバスケットに入れます。
株価が高いことと、企業経営が合理的に行なわれていること(企業が成長のための因果モデルを持っていること)の間には、直接の関係はありません。
ここには、4つの組合せがあります。
タイプ 企業経営の合理性 株価
T1 高い 高い
T2 低い 低い
T3 高い 低い
T4 低い 高い
多くの企業は、T1かT2に分類されるはずです。
T3の企業があれば、今後、株価が上がる可能性が高いので、お買い得かも知れませんが、そのような企業は多くは見つかりません。
企業のタイプと株価の間には、アバウトな対応しかありませんが、複数の企業をバスケットに入れることで、対応のバラツキは小さくなります。
インデックス投資の運用利回りが高いことが、このことを示しています。
もしも、読者が、企業経営の合理性を独自に判断できるのであれば、インデックス投資よりも、T3タイプの個別株を購入すべきでしょう。
しかし、企業経営の合理性を判断するには、膨大な情報が必要になるので、T3タイプが判断できる分野は限られます。これが、企業投資家が、インデックス投資を併用している理由です。
さて、話題を、世界競争力ランキングに戻します。
因果推論で考えれば、時系列データから、因果推論につながる論理が重要になります。
簡単にいえば、ある因果構造があり、その結果がランキングに反映していると考えることが重要です。
このような視点に立てば、インデックス投資と同じように、世界競争力ランキング上位の国の企業には、合理的な企業経営が出来る因果システムが組み込まれているが、ランキング下位の日本には、合理的な企業経営が出来る因果システムが組み込まれていないと考えることができます。
インデックス投資との比較では、ランキングの位置が問題であり、ランキングの経年変化のデータは使っていません。また、インデックス投資は、ランキング下位の企業は切り捨てる(入れ替える)だけですので、問題解決を目指してはいません。
ランキングの経年変化のデータから、合理的な企業経営が出来る因果システムの構築を推測することもできます。
第1に、ランキングの下がる変化速度です。これを止めるには、人並の改善が必要です。
各国は、合理的な企業経営が出来る因果システムに向けて毎年改善をしています。
日本のランキングが低下し続けていることは、人並の改善ができていないことを意味しています。
第2に、ランキングの位置です。ここまで下がると上位集団をめざすためには、ソフトランディングで対処できる範囲を超えています。
時間がたち、ランキングが下がるほど、問題解決が困難になります。(注3)
企業や大学の倒産、労働者の解雇、自治体の倒産なしに、ランキングをあげることはできないと思われます。
「合理的な企業経営が出来る因果システム」は、競争力ランキング上位になるための目標(結果)です。それを生み出す原因が何かという因果モデルを作る必要があります。あるいは、「合理的な企業経営が出来る因果システム」(結果)の達成を阻害する原因を取り除く必要があります。
この原因は、競争力ランキングのデータを帰納法で分析しても見つかりません。
法度制度によって、帰納法以外の推論が封印されているのは、日本だけの特殊事情です。
これは、ウィキペディアをみれば、確認できます。
英語版は、科学の論理(仮説と検証)で書かれていますが、日本語版は、翻訳記事を除けば、訓詁学のルール(権威者と発言内容)で書かれてます。
因果モデルの基本は、メンタルモデルです。
競争力ランキングが下がる原因は、メンタルモデルに基づいて、演繹法とアブダクションで推論することになります。
先進国の中では、日本だけが、ランキングを下げ続けていますので、日本にあって、外国にないものは、原因の容疑者になります。
文系と理系の区別、年功型雇用、年功型雇用とセットになった天下り制度、中抜き経済、解雇規制など、原因になりそうな要素は疑ってみるべきです。
反事実的思考をして、これらの要素がなかった場合を考えれば、何が、原因になりそうかを判断できます。
野口悠紀雄氏は、次のように書いています。(筆者要約)
<
第1位だった日本の凋落は、ただごとではない。何でこんなことになるのかを真剣に検討し、対策を考えなければならない。
このランキングの日本の実態をみれば、日本企業に投資することは合理的ではない。
今年の初めから2月初めにかけて日経平均がバブル期の最高値に近付いていく局面では、「これからは日本株への投資の時代になる」と言われた。そうした見方は、このランキングで見られる日本の姿とは明らかに矛盾する。
(そうした見方は)第2次世界大戦で、実際の戦場で敗戦と撤退が続いているにもかかわらず、華々しい戦果を国民に報道し続けた大本営発表と同列のものだ。
(中略)
日本の評価はなぜこのように低いのか?それを知るには、いかなる要因・指標について評価がなされているのかを知る必要がある。
(中略)
日本の競争力が低いと評価されるのは、こうした項目についての評価が低いからだ。
(中略)
この問題の解決は、決して簡単ではない。しかし、日本衰退を食い止めるためのカギがここにあることを、認識すべきだ。
>
野口悠紀雄氏は、「何でこんなことになるのかを真剣に検討し、対策を考えなければならない」と書いています。
「何で(Why)」が問題であれば、本来は、因果推論の科学に進むべきですが、野口悠紀雄氏の考察は、世界競争力ランキング・データに基づく帰納法の推論の周りをまわっています。
碩学の野口悠紀雄氏をもってしても、法度制度によって、帰納法以外の推論の封印から、逃れることは難しいように見えます。
5)追記
野口悠紀雄氏の類似の記事があったので、追記しておきます。
<< 引用文献
今年、日本は「一人当たりGDP」で韓国と台湾に抜かれてしまう~超円安ではない!その背後にある根本的な「原因と欠陥」 2024/07/07 現代ビジネス 野口悠紀雄
https://gendai.media/articles/-/133178?imp=0
>>
野口氏の記事のタイトルには、「原因」があります。
しかし、「原因」の内容は、以下です。(筆者要約)
<
1990年代の末、アジア通貨危機の中で、韓国のウォンが暴落し、IMF特別融資でかろうじて生き延びた。
この時の経験から、韓国人は、生産性を高めなければ世界の中で生き延びていけないことを、思い知らされたのだ。
そして教育に力を入れた。その結果、韓国の人材力は見違えるように高まった。
だから、日本も、高等教育改革をすべきだ。
>
これは、言うまでもなく、前例主義です。
筆者も、高等教育改革が、低い生産性の原因であるというメンタルモデルを持っています。
しかし、その仮説を作るためには、韓国のウォンの暴落からの帰納法は不要です。
演繹法の推論で、十分です。
高度人材がいなければ、情報システムは作れません。エクセルの利用者で、マクロが書ける人の割合は、2%とも、5%とも言われています。マクロ(プログラム)が書けなければ、同じ手作業を繰り返すことになります。
情報社会では、経済成長は、一部の高度人材の活躍によってきまってしまいます。
高等教育改革をしても、アウトカムが出るまでには、5年以上かかります。
日本にそれだけの時間が残されているのか不明です。
短期的には、国籍を問わず高度人材を高収入で呼び込むしか方法がありません。
GAFAM以上の給与が提示できること、給与に見合った仕事を作れること、高度人材の能力を評価できることが必要になります。
この人材の能力は、過去の実績ではなく、数学の能力であり、因果推論モデルをつくる能力になります。
もちろん、年功型雇用があれば、こうしたことはできません。
つまり、高等教育のカリキュラム以外の条件(交絡条件)を無視するわけにはいきません。
こうしてみると、最大の障害は、法度制度のミームによる帰納法の偏重であり、因果推論の欠如であると思われます。
注1:
この2つのバイアスを同時に処理するアイデアが、差の差法です。
注2:
交絡条件のこの記述は不正確です。
別途、詳しく検討します。
注3:
この問題は少子化対策でも同じです。
因果モデルは仮説なので、検証して問題があれば、修正する必要があります。
学者は、少子化対策をしなかったことが問題であるといいますが、この発言は科学的に間違っています。何が、有効な少子化対策であるかは、少子化対策が成功するまではわかりません。問題は、因果モデルで、有効と思われる原因について、その効果を実証するデータをとらなかった(対策を試してみなかった)ことにあります。
過去30年間に、効果を試してみなかった少子化対策が多数あることは、学問の怠慢です。
コロナウイルスのワクチンを思い出せば、対策の効果を試してみることの重要性がわかります。