「因果推論の科学」をめぐって(7)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(7)因果推論の研究手順

 

1)図1を読み解く

 

さきのばしになっていた図1を読み解きます。

 

レベル2の研究手順は、p.28の図1に書かれています。

 

この図の解説を読むと、図を見やすくするために、省略されているフィードバックループがあります。

 

実線の四角で囲まれた図の要素には、入力、出力、因果推論エンジンの3つのタイプがあります。この他に、バックグラウンドのタイプの破線の四角形で囲まれた要素があります。

 

図1のタイトルは、”「因果推論」エンジンがデータと因果知識をもとに、問いへの答えを生成する手順”になっています。

 

このタイトルの下に、「破線の四角形で囲まれた部分は、エンジンには含まれないが、因果推論エンジンを構成するのに欠かせない要素」というコメントがついています。

 

破線の四角形で囲まれた部分は、知識(バックグラウンド)です。

 

「破線の四角形で囲まれた部分は、エンジンには含まれない」を読むと、実線の四角で囲まれた図の要素は全て、(因果推論)エンジンに思えます。

 

因果推論エンジンの属性に指定さた四角は、「因果モデル」、「この問いは答えうるものか?」、「統計的推定」です。「因果モデル」と「統計的推定」が、因果推論エンジンであることは理解できますが、「この問いは答えうるものか?」を、因果推論エンジンと呼ぶことには不安があります。

 

図1の一部には、混乱(整理してバージョンアップする余地)があるように見えます。

 

パール先生が、20年来使用している大学院のテキストは、「入門統計的因果推論」として出版されています。

 

この本には、エスティマンド(Estimand)は出てきません。

 

しかし、エスティマンドは、実装可能な計算式または、コードを指しますので、実装可能な計算式にエスティマンドとラベルをつければ、手順の変更は不要です。

 

2)入カ

 

レベル0の帰納法が科学であると考えている人の場合、研究の入力はデータだけです。

 

これは、百科事典をつくれば、何にでも、答えられるという発想です。

 

マスコミが問題があった時に、有識者の意見を聞いたり、行政が、(かなり形式的で審議内容は怪しいですが)有識者会議の問題解決法を依頼するのは、レベル0の方法です。

 

2-1)レベル1

 

レベル1の方法では、アブダクションを使います。

 

これは、演繹法帰納法と消去法を使います。

 

日本では、帰納法が正しいという間違ったミームが蔓延しているので、アブダクションの例をあげます。

 

良く知られているアブダクションの例は、ホームズの推理です。

 

ここで、Xさんが殺された殺人事件があり、A、B、Cの3人の容疑者がいます。

 

ホームズは、犯人を探します。

 

現場に、犯人の痕跡が沢山残っていて、誰が犯人か自明の場合があります。

 

これは、帰納法が有効な場合です。

 

このような単純な場合は、推理小説になりませんので、現場の証拠は、帰納法で犯人を特定するには、不十分なケースになっています。

 

ここでは、ホームズは、反事実的思考をします。

 

たとえば、仮に、容疑者Aがいなかったら殺人事件がおこったかと考えます。

 

Aがいない可能世界を想像します。

 

それでも、殺人事件が起ったと考える合理的な理由があれば、Aは容疑者のリストから外れます。これは、消去法です。

 

このように、演繹法と消去法を繰り返すことで、犯人を絞りこむことができます。

 

最終的に、BまたはCのどちらかまで、絞り込んだと仮定します。

 

ここで、ホームズは、関係者に質問をして、情報を追加します。これは、前向き研究です。

 

ホームズは、質問をする前に、どのデータがあれば、犯人を特定できるかを絞り込んでいます。

 

つまり、因果モデルを考えて、モデルを完成させるために必要なピースを、質問で収集します。

 

質問で、このピースが集まれば、犯人を特定できます。

 

さて、パーティ券問題では、キャッシュバックを指示したのは誰かという犯人捜しが問題になりました。

 

この問題をホームズが推理すれば、最初に、反事実的思考をします。

 

議員がいなければ、キャッシュバックが起っただろうか。(Q1)

 

会計責任者がいなければ、キャッシュバックが起っただろうか。(Q2)

 

会計責任者がいないと会計処理はできません。

 

これから、(Q2)は次のように改訂できます。

 

特定の会計責任者がいなければ、キャッシュバックが起っただろうか。(Q2)

 

特定の議員の会計事務だけに、キャッシュバックがあれば、それは、原因が、特定の会計責任にあったことを意味します。

 

どの議員の会計事務所でも、キャッシュバックがあれば、それは、原因が、特定の会計責任にはなかったことを意味します。

 

つまり、(Q2)は、消去されます。

 

(Q1)は、残ります。

 

なぜなら、キャッシュバックをしていない議員がいるというエビデンスがあるからです。

 

また、次の疑問もありえますが、これを認めると、犯人捜しは出来なくなるので、ホームズは、(Q3)も消去すると思われます。

 

こうして、犯人は、議員であるという推理が完成します。

 

ここで、ホームズは、推理を確かなものにするために、前向き研究で、情報を追加します。

 

たとえば、「会計責任者の採用は、どのように人選していますか」、「過去に会計責任の不正が発覚したことがありますか」、「過去に会計責任の不正は、どのように点検しています」、「会計処理の証拠はどのように保存していますか」、「過去も記載漏れがあったことがありまか」、「記載漏れの防止対策に何をしていますは」、「記載漏れの防止対策に効果はありましたか」等です。

 

ホームズは、議員に「あなたは、会計責任者に、キャッシュバックを指示しましたか」と聞くことはありません。

 

これは、殺人の容疑者に、「あなたは、人を殺しましたか」と聞くことに相当します。

 

この質問はナンセンスです。

 

質問には、因果モデルの欠けたピースを完成させる内容が含まれている必要があります。

 

これは、地雷のようなものです。

 

質問は、質問を受けた人が、地雷がどこに埋まっているのかわからない形式で行なう必要があります。



政治資金規正法が現状でなければ、キャッシュバックが起っただろうか。(Q3)



レベル1をまとめると、入力は「データ(前向きを含む)」と「答えるべき問い」です。

 

2種類の入力が必要になります。答えるべき問いにあわせて、前向き研究で、データが追加されます。

 

「答えるべき問い」が不明確にならないように、エスティマンドを設定して、問いを固定化します。

 

2-2)レベル2

 

レベル2で必要になる入力は、次の3種類です。

 

「仮定(メンタルモデル)」

 

「答えるべき問い」

 

「データ(前向きを含む)」

 

メンタルモデルに関して、パール先生は次のように発言しています。

 

「私たちイスラエル人は別に創造論者というわけではない。生徒に創世記を読ませている先生たちですら、本心では進化論を信じている」(p.44)

 

これは、進化論のメンタルモデルを持っていることを指します。

パースは、プラグマティズムを提唱して、形而上学を否定して、科学の拡張を呼びかけました。

 

その時に、パースは、進化論を科学のモデルとしてイメージしたと言われています。

 

進化論は、生物の変化を問題にします。

 

進化論の学説も、新しい発見があるたびに、修正と改良がなされます。

 

パール先生は、因果推論の科学を科学の進化の中に位置づけています。

 

「因果推論の科学」の中には、因果で問題を考えるアプローチが次第に拡大してきたプロセスが語られています。

 

メンタルモデルに、創造論を採用している場合には、生物の進化の研究はできません。

 

「因果推論の科学」の検討を始める前に、メンタルモデルの背景となっている文化や経験などのミームを点検すべきです。

 

AFP通信は2024年6月20日、世界中のイスラム教徒がサウジアラビア西部の聖地メッカを訪れる大巡礼(ハッジ)で、巡礼者1081人が死亡したと報じました。2024年のハッジは6月19日に終了しました。サウジ巡礼省は、国内外から180万人以上が参加しています。

 

180万人の巡礼者の中には、創造論者もいると思われます。

 

創造論者のように、進化を否定したメンタルモデルを持っている場合には、生物の進化の研究はできません。

 

日本人の中には、科学は仮説(学説)であると考えない人も多くいます。

 

学校で習った科学には、間違いがないと考える人もいます。

 

この人のメンタルモデルは、進化を否定している点では、創造論者になっています。

 

日本型の創造論者は、法度制度の信奉者になります。

 

政府は、政策を決定する時に、専門家会議を使います。

 

しかし、専門家会議の答申は、間違いだらけです。

 

専門家会議の推論の方法は、レベル0で間違っています。

 

専門家会議には、明らかな利害関係者が多数参加しています。

 

パール先生は、イスラエル人は、創造論者ではなく、進化論者であるといいます。

 

これは、レベル1の推論をクリアしていることを指しています。

 

創造論と進化論に基づく2つの仮説があった場合、レベル1の手順で、創造論は、消去されます。

 

つまり、レベル2の因果推論を用いるために、レベル1の推論によって、メンタルモデルが整理されている必要があります。

 

日本では、政策提案(仮説)の是非は、実行してみなければわからないと考える人が多数います。

 

政策提案の是非は、演繹法と消去法を使うことで、絞り込むことができます。

 

少子化対策に、政府は、養育費の補助をしていますが、若年層の所得対策(具体的には、年功型雇用の廃止)をしていません。複数の対策が考えられる場合には、どの政策を選択するのかという推理は、ホームズの犯人探しと同じ思考パターンになります。第2の殺人事件が起こるまで犯人がわからない(政策は実施してみなければ効果はわからない)と考えることは、余りに、レベルの低い推理です。ここには、法度制度による科学の進化の否定があります。

 

日本では、政治利権は科学より優先しています。

 

その結果、レベル1のメンタルモデルが出来る前でつまずいています。

 

3)メンタルモデルの改善

 

「因果推論の科学」の評価コメントをみると、この本が難解なことがわかります。

 

パール先生の主著「統計的因果推論」(2000、2009)は、余りに、独創的で難解です。

余りに、独創的で難解であると感じた宮川 雅巳氏は、2004年に解説本「統計的因果推論ー回帰分析の新しい試み」を書きましたが、この本は、偏回帰にウェイトがあり、全体像にふれていません。計算手順の理解には、パール先生の「入門統計的因果分析」が有益ですが、背景は書かれていません。

 

レベル2に、着手するには、3種類の入力を準備する志向パターンになれる必要があります。



繰り返しになりますが、最大の難関は、メンタルモデルです。

 

1990年代に、日本は世界の半導体市場で50%のシェアをもっていました。

 

この半導体は主にメモリー素子で、高価でエラー率の低いものでした。

 

高価でエラー率の低い半導体は、信頼性を求められる汎用計算機向きです。

 

パソコンの半導体は、エラー率が高くとも安価なものが求められました。

 

日本は、この市場に対応できませんでした。

 

白物家電の市場を日本の家電メーカーが失った場合にも、同じパターンがあります。

 

中国製の家電は、性能は高くありませんが、安価でした。

日本の家電メーカーは、高価でも品質が良ければ売れるという都合のよい論理にしがみ付きました。

 

商品販売の因果モデルでは、品質(性能)と価格という2つの媒介変数に集約できる場合が多いです。

 

例を示します。



図1 媒介変数の例

 

 

白物家電のような製品を考えます。

 

J1は日本製品のポジションです。

 

中国などの競合国は、最初にC1の製品を販売します。この製品は、赤い点線で示す基準性能を満たしていません。安かろう、悪かろうという製品で、競争にはなりません。

 

C1は改良されて、C2が発売されます。この時点で、性能が同じなのに、価格が高いJ1は売れなくなります。そこで、日本のメーカーは、より高価で、高性能なJ2にシフトします。

 

しかし、J2は高価なので、マーケットは小さいです。

 

競合国が、モデルチェンジをして、C3を発売すれば、J2は売れなくなり、メーカーは製造から撤退することになります。

 

青色の点線の傾きは、性能を価格で割った数字になります。

 

日本のメーカーの製品が世界市場を圧倒した時代には、日本製品は、安価で、高品質(高性能)でした。つまり、日本製品の競争力は、青い点線の傾きが大きい点でした。

 

C2の製品が出てきた時点で、日本製品は、青い点線の傾きで、競争力を失っています。

 

C2とJ2では、C2の方が販売量が多いので、利益から、技術開発に回せる資金は、J2よりもC2が多くなります。つまり、J2にシフトした高性能製品戦略をとった結果、技術開発に遅れが生じます。

 

半導体の様に技術の陳腐化の速い分野では、大きな市場をとって、利益を確保できないと、技術開発競争に勝てなくなります。

 

日本のメーカーは、コストの安い海外工場に生産をシフトしています。

 

本来であれば、海外工場に生産をシフトすれば、J1から、J2に進むのではなく、C2やC3の方向を目指すことも可能なはずです。

 

これが出来ない理由の一つは、日本人の雇用のために、海外工場の利益の一部を日本に送金する必要があることです。簡単に言えば、日本で、日本人社員をレイオフできれば、競合国と互角に低価格競争ができた可能性があります。

 

品質(性能)と価格という2つの媒介変数に集約して、経営戦略のメリットとデメリットを考えれば、家電メーカーの経営戦略は、高品質高価格に偏ることはなかったと思われます。

 

「ラピダス」については、大西康之氏は、成功できる可能性は低いと主張しています。しかし、大西康之氏の主張には、「やってみなければわからない」という判断が含まれています。

 

<< 引用文献

99%が税金の半導体会社「ラピダス」はもはや国有企業…そのウラにある経産省の「思惑」2024/06/12 現代ビジネス 大西 康之

https://gendai.media/articles/-/131072?imp=0

>>

 

「ラピダス」には、品質(性能)と価格の空間で考えたマーケットがありません。

 

なので、売れると考える根拠はありません。

 

筆者のメンタルモデルでは、この点で、推論は終了しています。