「因果推論の科学」をめぐって(4)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(4)研究手順のレベル問題

 

1)レベル0とレベル00

 

日本人の有識者は、帰納法を多用します。

 

仮説作成に帰納法を用いることは間違いではありませんが、帰納法には、仮説の検証の効果はありません。

 

「因果推論の科学」の目的は、ゴールドスタンダードであるRCTにかわる研究手法を開発することです。

 

RCTは非常にコストがかかりますし、適用可能な問題は限られています。

 

因果推論は、RCTの様に、事実(fact)と虚構(fiction)を見分けます。

 

帰納法ミームに支配されている人の考え方は次のようなレベル0の手順と思われます。

 

(ST1)過去に計測されたデータを収集する。

 

(St2)データから帰納法によって、法則を導き出す。

 

(ST3)法則を使った演繹法で、将来を予測する。

 

「過去(帰納法)ー現在(法則の導出)ー将来(演繹法)」というタイムラインを前提としています。

 

日本の研究手順は、訓詁学(文献前例主義)の影響を強く受けています。

 

文献を探せば、正解が見つかると考えます。この方式は、レベル0より更に単純な次のレベル00の手順を採ります。

 

(ST1)過去に法則が記載された文献を収集する。

 

(St2)データとマッチングする法則を抽出する。

 

(ST3)法則を使った演繹法で、将来を予測する。

 

レベル0とレベル00の研究手順は、日本だけで通用するものです。(注1)




文献がみつからない場合には、過去のデータを分析して、帰納法でモデルを作ることが可能であると考えます。これが、帰納法ミームです。

 

2)レベル1

 

現在、アメリカで一般的な政策選択(研究)手順です。

 

(ST1)過去に計測されたデータを収集する。

 

(ST2)データからアブダプションによって、法則を導き出す。

 

演繹法によって複数の法則を作成します。

 

帰納法で一部の法則を作成します。

 

消去法(elimination)によって、不適切な法則を消去します。

 

(ST3)法則を使った演繹法で、将来を予測する。

 

(ST4)法則の検証に必要なデータのモニタリング計画を立てて、実行します。

 

(ST5)得られたデータをもとに、法則のバージョンアップをします。

 

(ST6) (ST3)に戻ります。

 

プラグマティズムでは、実際に、アクションを起こして、その結果を元に、行動を修正します。

 

レベル1の手順では、帰納法の出番は非常に少なくなります。

 

レベル1の手順では、過去のデータの分析でも、演繹法が活躍します。

 

(ST4)(ST5)(ST6)は、前向き研究になっています。

 

日本政府は、骨太の方針を作成しています。

 

骨太の方針は、経済産業省経済企画庁の出身者が作成しています。

 

骨太の方針は、レベル00の手順で作成されています。

 

日本では、レベル0の手順が多く採用されていますが、後ろ向き研究なので、組織的なモニタリングが必要であると考える人はいません。

 

ベンジャミン・シャロームバーナンキ氏は、2022年に、ノーベル経済学賞を受賞しています。

 

アメリカの実戦で働く経済学者は、常に、新しい理論を作りながら政策を進めています。

 

バーナンキ氏が、ノーベル経済学賞を受賞したことはこのことを示しています。

 

アメリカでは、レベル1が最低限の研究手順になっています。

 

日本人の経済学は、レベル0の手順で研究している人が多いので、ノーベル経済学賞の候補になることは難しいです。

 

日本では、アブダプションと前向き研究を多用して新しい経済法則を導き出している人は少数で、レベル0の学説紹介をしている人が多いです。

 

1970年代に、OECEの調査団が日本に入って、日本の社会科学は、現実の問題の解決に貢献していないと指摘しています。指摘された問題の原因は、レベル0の手順にあるのですが、その点は理解されませんでした。

 

骨太の方針が、レベル00またはレベル0の手順で作成されていれば、骨太の方針は、現実の問題の解決には貢献しません。

 

3)レベル2

 

過去と未来の違いは何でしょうか。

 

物理学の決定論的な世界では、過去と未来の違いはありません。時間のベクトルの意味はありません。

 

エントロピーが拡大する世界では、エントロピーの増減で時間のベクトルと向きを定義できます。

 

エントロピーが一定の世界ではこの方法は使えません。

 

筆者は、確率の問題がイメージできない場合には、サイコロの世界を考えることにしています。

 

サイコロの目は、1から6で、等確率か変化しなければ、エントロピーは一定です。

 

例を示します。

 

数字は、可能世界を示します。

 

太字数字は、実現した世界を示します。

 

過去 1  2    4  5  6

 

現在 1  2  3  4    6

 

将来 1    3  4  5  6

 

過去と将来の違いは、可能世界の実現のマーク(太字)の有無だけです。

 

過去の世界で、実現のマーク(太字)がついていない可能世界は、反事実になります。

 

反事実のデータは、経験的観察には含まれません。

 

前向き研究ではモニタリングを始める前に、モニタリング計画をたてます。

 

RCTでは、ランダム化した割付を行ない、その割付に従って、データを収集します。

 

データを取集してから、ランダム化することは不可能です。

 

前向き研究で分析するデータは過去のものです。

 

前向き研究で分析するデータは、分析時点で見れば、過去の(後ろ向きにある)データです。



つまり、前向き研究は2種類の現在を扱います。

 

第1は、モニタリング(介入)を始める時点の現在です。

 

第2は、分析を始める時点の現在です。

 

筆者は、レベル0のミームでは、疫学のテキストをよんで、最初は躓きました。

 

全てのデータは、分析時点では、存在する過去(後ろ向き)のデータです。

 

レベル0のミームで、分析時点を現在と考えた結果、前向きの意味が理解できませんでした。

 

アベノミクスは、劇的な円安と日本産業の国際競争力の喪失を招きました。(注2)

 

アベノミクスがなければ、日本経済はどうなっていたのでしょうか。

 

パール先生は、「アベノミクスがなければ」という問いには、経験的観察では答えられないといいます。(p.25)反事実を考えなければ、説明ができないといいます。

 

アベノミクスが何故失敗であったかがわかっても、時間は取り戻せません。

 

しかし、類似の失敗を繰り返すことを避けることはできます。

 

さて、この説の見出しは、レベル2の研究手順です。

 

レベル2の研究手順は、p.28の図1に書かれています。

 

600ページある本の最初から5%の位置に当たり前のように書かれています。

 

この図を読み解くことは、以上のレベル0とレベル1を理解することに比べれば、難解です。

 

簡単には、書けませんので、ここでは、パスして、次回にチャレンジしてみます。

 

「因果推論の科学」でも、まだ、書ききれていない問題は、過去と将来の区分です。

 

反事実や可能世界は、従来の過去と将来の区分が限界に達していることを示しています。

 

歴史は、単純には繰り返さないが、特定のパターンは繰り返すと主張する人もいます。

 

因果推論では、この問題は、トランスポータビリティの問題として定式化されています。

 

繰り返しのない部分の歴史には、利用価値はありませんので、トランスポータビリティの問題が解決すれば、歴史学の根幹は、因果推論の科学に含まれてしまいます。

 

注1:

 

本の学校の理科では、帰納法で、法則を導き出すように、実験のカリキュラムがつくられています。

 

しかし、このカリキュラムには、問題があります。

 

ニュートン力学の作用反作用の法則を検証する実験は存在しません。

 

物体Aと物体Bが接している場合、作用反作用の法則は、AからBに働く力F(A=>B)と、BからAに働く力F(B=>A)は、大きさが同じで、向きが反対であると説明します。

 

しかし、F(A=>B)とF(B=>A)を分離した計測は不可能です。

 

観察できない因果モデルのパス図の矢印の向きは、メンタルモデルに依存します。

 

同様に、力の向きは、メンタルモデルに依存している可能性があります。

 

ハンマーで釘をたたくとき、ハンマーが原因になって、釘が撃ち込まれます(結果)。

 

このとき、力は、ハンマーから、釘に伝わると考えます。これは、因果モデルです。

 

因果モデルの矢印の向きと、力の向きは一致します。

 

人間は、因果法則のメンタルモデルをもっているので、ハンマーで釘をたたくときには、ハンマーから釘に力が伝わったと考えます。

 

釘からハンマーに力が伝わったと考える人は少ないはずです。

 

作用反作用の法則は、メンタルモデルの力の向きを論じているのであれば、明快な説明です。

 

作用反作用の法則は、メンタルモデルの力の向きは、観測不可能で、意味がないという説明になります。

 

一方、観測可能な力の向きがあると考えると、検証が難しくなります。

 

マッハは、観測可能なデータで力学の再構築を試みています。

 

加速度は観測可能です。

 

物体AとBの間の力は、直接観測はできません。

 

物体Aと物体Bの間に、歪ゲージを入れれば、ゲージの変形を観測することで、力を間接的に計測することができます。

 

しかし、2つの物体の間に、何も入れなければ、力は観測できません。

 

ニュートン力学の法則は、主観的なメンタルモデルを前提にすれば、わかりやすく説明できます。

 

主観的なメンタルモデルを否定して、観測されたデータから、帰納法で、ニュートンの3つの法則を全て導き出すことは困難です。

 

力は直接観測できないので、法則は定義式にすぎないように見えます。

 

つまり、レベル0の研究方法では、ニュートン力学はできかなったと考えられます。

 

注2:

 

正確に言えば、実行されたアベノミクスは、第1と第2の矢で、第3の矢は実行されませんでした。

 

大前研一氏は、経営戦略や政策は、ポイントを1つに絞らなければ、実施されないと主張しています。

 

3本の矢で、生産性向上の直接的な因果関係があるのは、第3の矢だけです。

 

つまり、大前研一氏流に考えれば、第3の矢に絞って、アベノミクスを実施すべきであったことになり、その結果、アベノミクスの政策(第3の矢)は、実行できなったということになります。

 

第3の矢は、産業構造の入れ替えでしたので、古いタイプの企業を倒産させて、レイオフして、新産業に、労働力を移すことになります。これは、農業から工業に労働移動が起こって、高度経済成長が実現したのと同じメカニズムです。

 

因果関係が自明で、変化量が大きいので、このレベルの因果推論は、問題はありますが、従来の統計解析でも、白黒がつく分野です。