注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。
(3)帰納法の問題
1)事例
ある著名な経済学者が、アップルのデータを元に、スマホの製造を分析しました。
その目的は、「日本のスマホメーカーが、国際競争力がなくて、ほぼ全敗になった原因をさぐる」ことにありました。
アップルのデータを分析した結果、アップルは、水平分業をしていることがわかりました。
分析結果から、経済学者は、「日本のスマホメーカーが撤退した原因は、水平分業をしなかったことにある」と結論づけました。
「水平分業(原因)=>低コスト製品(結果)」(H1A)
「水直統合(原因)=>高コスト製品(結果)」(H1B)
経済学者の分析は、実際に部品の製造元の割合のデータを引用していて、詳細なものです。
マスコミやWEBや書籍に出て来る経済評論家は、さらに、大胆に帰納法をつかっています。
「ユニクロが成功した原因はなにか」のようなテーマを設定して、帰納法によって、それらしい仮説を選択します。
仮説作成に帰納法を用いることは間違いではありませんが、帰納法には、仮説の検証の効果はありません。
スマホの分析は、帰納法の利用としては、非常に良心的なものです。さらに、問題の多い帰納法の使用例が多く見られます。
事例の帰納法には、2つの問題があります。第1は、メンタルモデルの問題であり、第2は、因果推論の問題です。
2)メンタルモデルの問題
比亜迪(BYD)は、垂直統合モデルで成功しています。工場の建設時間が異様に短いので、工場をモジュール化して、モジュールを並行して建設していると思われます。
「垂直統合業(原因)=>低コスト製品(結果)」(H2)
つまり、ここでは、(H1B)は成り立ちません。
媒介変数を使えば、次のように、書けます。
「垂直統合業(原因1)=>高い生産効率(結果1、原因2)=>低コスト製品(結果2)」(H2X)
分解することもできます。
「垂直統合業(原因1)=>高い生産効率(結果1)」(H2X1)
「高い生産効率(原因2)=>低コスト製品(結果2)」(H2X2)
2番目の「高い生産効率(原因2)=>低コスト製品(結果2)」は、検証するまでもなく自明です。
1番目では、「垂直統合業」が高い生産効率の原因になっていますが、スマホでは、「水平分業」が高い生産効率の原因でした。
つまり、「垂直統合業」が、「水平分業」のどちらが、高い生産効率の原因になるかは、ケースバイケースで異なります。
更に、この2つのベストミックスもありえます。
「垂直統合業」と「水平分業」の一方を選択すれば、バイナリーバイアスが生じます。
売れる商品・サービスは、安価で、高品質なものであるというメンタルモデル(安価・高品質メンタルモデル)があれば、演繹法で、次の因果モデルがつくれます。
「効率高い生産方法の比較選択(原因)=>高い生産効率(結果)」(H2W1)
「品質管理の容易な生産方法の比較選択(原因)=>高品質の製品・サービス(結果)」(H2W2)
これは、自明なので、検証する必要はないと思われます。
安価・高品質メンタルモデルに従えば、製品・サービスの問題は、効率と品質の媒介変数をつかえば、集約できると言えます。
「日本のスマホメーカーが撤退した原因は、水平分業をしなかったことにある」と結論づけた原因は、メンタルモデルを使って、分析の前に、因果モデルの原案を作成しなかったことになります。
因果モデルの原案を作成し、演繹をすれば、現実に合わない(反例)が多く見つかります。
その時点で、反例をクリアできるように、不要な仮説を取り除く消去法(elimination)を使って、因果モデルをバージョンアップすることができます。つまり、メンタルモデルがあれば、演繹法で、因果モデルの絞り込みができます。
こう考えると、メンタルモデルで躓くと、先に進めないことがわかります。
筆者は、安価・高品質メンタルモデルは、企業経営の基本であると考えますが、日本のスマホメーカーが撤退した原因は、経営の基本である安価・高品質メンタルモデルがなかったことになります。
これを、メンタルモデルで書けば次の減税・円安・補助金メンタルモデルになります。
「減税・円安・補助金(原因)=>低コスト製品(結果)」(H4)
メンタルモデルは、企業文化(ミーム)です。
経営者は、減税・円安・補助金メンタルモデルに支配されてしまうと、安価・高品質メンタルモデルは受け付けなくなります。
3)パール先生の帰納法
「因果推論の科学」で、帰納法が出て来る箇所は1つしかありません。(p.150)
「実に簡単なことだよ、ワトソン君。」で始まる、ホームズの推理の説明で出てきます。
ホームズの推理は、演繹法(deduction)と帰納法( induction)を組み合わせたアブダクション(abduction)になっています。
その時に、不要な仮説を取り除く消去法(elimination)を使っています。
「When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.(不可能なものを排除したら、残ったものは、どんなにありそうもないことであっても、真実であるに違いない)」が有名なセリフです。
パール先生は、何故か、アブダクションという単語を使っていません。
ホームズの推理(deduction、演繹法)で説明されています。つまり、deductionは推理と演繹法の2つの意味で使われています。
訳者は、原文にない次のような解説を追加しています。
<
英語では、「推理」と「演繹法」は同じ単語だが、実のところ、ホームズの推理はただの演繹法ではない。仮説を立てて、それをもとに、結論を導き出すだけではないのだ。ホームズの見事な推理の腕前は、それとは逆の方向、つまり、証拠から仮説を導く帰納法の上に成り立っている。
>
パール先生は、「帰納法( induction)は、演繹法より神秘的である」といいます。
パール先生は、AI研究者で、研究の基本的なツールは数学です。数学的帰納法(実態は演繹法)が例外になるくらいですから、数学は、100%演繹でできています。
ですから、パール先生の因果推論とは、演繹法になります。
「因果推論の科学」に出てくる「演繹法」に最も近い事例は、「症例比較研究」(p.264)です。この方法は、「時系列の変化をただ比較するだけよりはよい」が、「後ろ向き研究」の欠点があるといいます。
パール先生の因果推論には、単独の帰納法はありません。「時系列の変化をただ比較するだけ」の帰納法は、問題外になっています。
パール先生が、「帰納法( induction)は、演繹法より神秘的である」という意味は、ほとんど見かけないという貴重種であるというイメージであると思われます。
日本では、演繹法と消去法は使われません。
教員不足に対して教員採用試験を「前倒し」しています。
安価・高品質メンタルモデルと同じように、教育の媒介変数をつかったメンタルモデルを考えることができます。
次のような対応が考えられます。
安価<=>教育の効率
高品質<=>理解度の改善効果
こうして、効率・理解度メンタルモデルができれば、演繹法によって複数の仮説(対策)を作成して、不要な仮説を取り除く消去法(elimination)を使って、筋の悪い対策を取り除くことができます。
例えば、「教員採用試験の前倒し(原因)」は、「効率・理解度の改善(結果)」につながるかを演繹で考えればよいことになります。この因果モデルが、筋が悪そうであれば、消去して、別の因果モデルを考えます。
推論は、基本的に演繹法(deduction)です。
前例主義(「時系列の変化をただ比較するだけ」の帰納法)のミームに支配されている人が、99%ハ演繹法の「因果推論の科学」を理解することは困難に思われます。