検査不正とカンニング

1)検査不正

 

国土交通省が、トヨタ自動車で判明した不正行為6事例について、国の基準だけでなく日韓や欧州を含む62か国・地域が採用する「国連基準」にも反するとの見解をまとめました。

 

 歩行者をはねた際の頭部へのダメージを確認する〈2〉歩行者の頭・脚部の保護について、トヨタは3日の記者会見などで、国の定める「衝撃角度50度」ではなく、開発試験の「65度」のデータを使ったと説明。50度で再試験すべきだったと謝罪しつつ、「65度の方がより厳しい条件だ」とした。

 

 しかし、国側の関係者によると、安全面でより厳格な試験になるか否かはボンネットの形状などでも変わり、角度の違いで一概に決められない。他の「より厳しい」と主張する試験の一部も、国側は「一概に厳しいとは言えず、欧州などでも不正と判断される可能性が高い」とみています。

この説明は、力学の分力の計算ができないことを示しています。分力の値は角度で決まり、ボンネットの形状とは関係がありません。高等学校の物理学が理解できないないことを示しています。

 

これは、数学のベクトル演算になります。

 

数学のできない人とは議論はできません。

 

<< 引用文献

トヨタの不正行為6事例、「国連基準」も満たさず…国交省「欧州でも不正と判断される可能性高い」2024/06/11 読売新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/88c06a1bcb1b7165effd5f203df65231d6e49eb2

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また、国際標準は、「国連基準」ではなく、性能設計表示です。「国連基準」は、技術的には時代遅れになっています。

 

国土交通省は、実際の安全性よりも、権威を優先しています。

 

しかし、権威を降りまわしても、将来の不正はなくなりませんし、自動車の安全性はよくなりません。

 

型式認定の目的は、安全性の確保にあるはずです。検査基準の合格は、手段にすぎません。手段を目的にすり替えれば、内容を問わない形式主義が優先し問題が多発します。

 

内容を問わない形式主義の優先事例には、履修主義があります。

 

文部科学省のカリキュラムは、履修主義で、習得は進級に必要な条件ではありません。

 

内容が習得できていなくとも、進級と卒業ができます。

 

履修主義は、形式主義なので、問題が多発します。

 

本来の習得主義で教育カリキュラムを終了すれば、社会生活に必要なノウハウを習得できたことになります。

 

例えば、義務教育を習得していれば、一般の職に応募した場合、能力不足で、非採用にはならないはずです。

 

企業も、中学校を卒業していれば、一般の仕事を任せる場合に、能力不足を気にする必要がなくなります。

 

カリキュラムのレベルが、高等学校、大学と上がるにつれて、ハードルは高くなりますが、習得主義であれば、卒業証書は、一定の脳力の保証になっているので、失業するリスクが低くなります。学生が、勉強するモチベーションは、その勉強の努力に対するリターンとしての賃金の保証があるからです。

 

しかし、履修主義では、卒業生本人も、雇用する企業も、脳力がわかりませんし、学生時代に、勉強していませんので、能力不足の可能性が高くなります。

 

こうなると、脳力をあげるためには。再教育が必要になりますが、基礎数学ができない人材に、数学を教育することは非常にハードルが高くなります。再教育に失敗した場合、企業の本音はレイオフしたいのですが、雇用規制がそれもままなりません。こうなると、教育コストが膨大になる一方で、期待できる教育効果は小さくなります。

 

教育が、公共財として扱われる理由は、卒業証書が、一定の脳力の保証になっていれば、膨大な教育費用の節減が可能になるためです。

 

履修主義で、脳力を習得できた学生の授業料を無償にすることには、経済合理性があります。一方、習得主義で、脳力が習得できない学生の授業料を無償にすると、経済を破壊します。

 

新卒一括採用で、卒業証書をもっているが、脳力が習得できない学生を採用した企業の経営は破綻します。学生が、卒業証書があれば、企業に採用され、一端企業に採用されれば、能力不足でも、解雇されないと考えれば、習得よりも、履修(卒業証書の獲得)を優先します。この場合には、カンニングや代理出席が多発します。

 

カンニングや代理出席は、自動車の検査不正に似ています。

 

履修主義を取らない限り、カンニングや代理出席をすべて取り締まることは困難です。

 

2)文章形式主義

 

検査不正も、履修主義も、形式主義です。

 

日本の裁判では疑わしきは罰せずといいます。

 

しかし、これはウソです。

 

犯人をDNA鑑定で特定した場合、DNA鑑定の精度は高いですが、100%ではありません。

 

疑わしきは罰せずであれば、犯人をDNA鑑定でクロにすることはできません。

 

アメリカの民事訴訟では「証拠の優越」が認められます。これは、被告人が傷害の原因であることを立証する場合、その確率が50%をこえることを要求しています。

<< 引用文献(p.439)

ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー、因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか

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カナダでは、弁護士業務の一部をAIが代行しています。

 

日本の法律運用は、国土交通省の検査不正の摘発や、文部科学省の履修主義のように、形式主義と思われる部分が多々あります。

 

世界標準のAIは、民事訴訟の「証拠の優越」のような科学的な判断に基づいて作成されています。

 

日本では、裁判官の権威は科学より優先する、あるいは、政治家の判断が科学より優先する政治主導が採用されていますが、そのような国は少数派です。

 

政府は、権威と利権を確保するために、AIを取り締まる法律を作成していますが、科学的に判断すれば、AIが、人間よりまともな判断をしている事例が多数見られます。たとえば、アルファ碁は、人間に勝つことができます。

 

このような科学を権威で封印してしまえば、日本だけがAIを使えない国になります。そのマイナスの経済効果は、非常に大きくなります。