経済宇宙船日本号

(科学者の使命と原則を考えます)

 

1)チャレンジャー号爆発事故

 

ウィキペディアの「チャレンジャー号爆発事故」の一部を引用します。

 

チャレンジャー号爆発事故は、1986年1月28日、アメリカ合衆国スペースシャトル"チャレンジャー"が打ち上げから73秒後に分解し、7名の乗組員が全員死亡した事故です。

 

予報によれば、1月28日の朝は異常に寒く、発射台周辺の気温は打ち上げを実施可能な下限値である−1℃の近くまで下がるとされました。

 

全ての結合部は、固体燃料の燃焼で発生した高温・高圧の燃焼ガスが正常にノズルから噴出されるよう、密封してガスの漏出を防ぐ必要がある。サイオコール社の技術者は、もしリングの温度が12℃以下になった場合、気密性を正常に保つだけの柔軟性を有するかを判断するのに十分なデータを持っていないと論じました。これが重大な懸念だったのは、Oリングが「致命度1」に指定されていたからである。これはもし主および副リングが故障した場合はバックアップはなく、その故障は軌道船や乗組員を破壊しうることを意味していました。 

 

以前にも同様の懸念を表明したロジャー・ボージョレーは、SRBの接合部を密封するゴム製Oリングの弾力性が異常低温によって受ける影響について不安を表明しました。

 

低温により発射台の整備塔にはおびただしい量の氷が貼りつき、50cmを超える氷柱がつきました。

 

氷対策班は徹夜で氷を除去しました。

 

シャトルの主契約企業であるロックウェル・インターナショナルの技術者たちは引き続き懸念を表明した。カリフォルニア州ダウニーにあるロ社本部から発射台を監視していたロ社の技術者たちは氷の量を見て戦慄しました。彼らは打ち上げの際にSRBの排気ガスの噴流が引き起こす吸引力によって氷が振り落とされ、シャトルの耐熱タイルを直撃するのではないかと恐れました。ロ社の宇宙輸送部門責任者であるロッコ・ペトローン(Rocco Petrone)と彼の同僚たちは、この状況を打ち上げに対する障害と見なし、ケープ基地にいた同社の幹部たちにロ社としては打ち上げを支持できないと伝えました。ところがケープ基地のロ社幹部たちはこれらの懸念をしっかりとは伝えず、結局ヒューストン基地の計画責任者アーノルド・アルドリッチ(Arnold Aldrich)は打ち上げを決行することにしました。アルドリッチは氷対策班に今一度検査させるため打ち上げを一時間遅らせました。この検査では氷は溶け始めている様子だったので、午前11時38分、チャレンジャーはついに打ち上げを許可されました。

 

事故の主な原因は、Oリングの弾力性が異常低温によって受けたことです。

 

このような事故は、再発を防ぐ必要があります。

 

事故の原因を取り除く必要があります。

 

ここで、倫理が問題になります。

ロジャー・ボージョレーは、SRBの接合部を密封するゴム製Oリングの弾力性が異常低温によって受ける影響について不安を表明しました。

 

シャトルの主契約企業であるロックウェル・インターナショナルの技術者たちは引き続き懸念を表明しました。

 

ロ社の宇宙輸送部門責任者であるロッコ・ペトローン(Rocco Petrone)と彼の同僚たちは、この状況を打ち上げに対する障害と見なし、ケープ基地にいた同社の幹部たちにロ社としては打ち上げを支持できないと伝えています。

 

「ロジャー・ボージョレー、ロックウェル・インターナショナルの技術者たち、ロ社の宇宙輸送部門責任者であるロッコ・ペトローン(Rocco Petrone)と彼の同僚たち」は。スペースシャトルの打ち上げに対して懸念を表明していますが、スぺースシャトルの打ち上げを中止させることはできませんでした。

 

技術者の倫理では、「懸念を表明したが、打ち上げを中止させることができなかった」これらの技術者の行動が問題になります。

 

スペースシャトルの打ち上げは、政治判断なので、懸念を表明した技術者には、事故に対する責任はないと言えるのでしょうか。

 

技術者たちは、懸念を表明するだけでなく、打ち上げを中止させるより効果的な行動を選択する余地があったのではないでしょうか。

 

2)オッペンハイマー

 

1945年7月16日、オッペンハイマーたち開発チームが多大な労力を費やした研究は遂に実を結び、人類史上初の核実験「トリニティ」を成功させます。

 

映画「オッペンハイマー」では、研究所から運び出される原爆をオッペンハイマーは複雑な面持ちで見送っています。

 

原爆の投下は、政治判断でしたが、オッペンハイマーは、技術者として、より、倫理的な行動の選択ができたのではないかという疑問がつきます。

 

オッペンハイマーはその後、水爆反対活動にたずさわり、公職追放になっています。

 

研究所から運び出される原爆に対する自分の行動について、オッペンハイマーは、改善の余地があると考えていたのかもしれません。

 

オッペンハイマーは、1960年に初来日した際、バークレー時代の弟子・日下周一の両親に会い、弔意を表しています。



3)アベノミクスの顛末

 

自民党の議員の中には、アベノミクスは成功であったと考えている人もいますが、2024年5月現在、アベノミクスが成功であったと考えている経済学者や経済評論家は少数です。

 

アベノミクスでは、第3の矢は全く機能せず、生産性が上がりませんでしたので、賃金は下がり続けました。3本の矢の中で、中期的に実体経済に影響を与えられる政策は、第3の矢だけです。

 

第3の矢が機能しませんでしたので、アベノミクスは、当初の目的を達成できませんでした。計画が未達の場合には、計画は成功したと評価はできません。

 

第3の矢は、構造改革を伴いますので、既存産業構造の企業からの政党への寄付金の大小によって、補助金の額を調整する利権の政治とは相いれません。なので、第3の矢は、アベノミクスの当初から失敗が確定していたと判断することも可能です。

 

経済宇宙船日本号は、アベノミクス(特に第3の矢)というOリングの故障のために、失速して、爆発寸前になっているようにみえます。

 

映画「オッペンハイマー」を見て、オッペンハイマーの行動や、映画でのオッペンハイマーの描きかたを批判する人は多数います。

 

しかし、経済宇宙船日本号が失速した責任は、誰にあるのでしょうか。

 

アベノミクスは、スペースシャトル同様に、政治判断で行われました。

 

政治判断の責任は、第1には、政治家にあります。

 

アベノミクスという事故の再発を防ぐためには、「チャレンジャー号爆発事故」と同じように、中立の第3者員会を作って、原因と対策を検討する必要があります。

 

しかし、与党には、「アベノミクス事故対策検討員委員会」をつくる計画はありません。

 

与党は、アベノミクスは成功だといっています。

 

岸田政権もアベノミクスを継承しています。

 

岸田政権は、構造改革による生産性の向上なしに、政府がお願いすれば、賃金があがると主張していますので、アベノミクスの正統な継承者です。

 

問題は、オッペンハイマーのような科学者の責任です。

 

政治判断の責任は、政治家だけでなく、科学者にもあるのです。

 

学術会議は、アベノミクスについて、何ら公式の発言をしていません。

 

アベノミクスに、批判的な論調をしてきた経済学者、経済評論家もいます。

 

発言には多様なレベルがあります。

 

紳士的に問題点を指摘した人もいますし、アベノミクスを「アホノミクス」と呼んだような過激な表現をした人もいます。

 

しかし、スペースシャトルの事故では、技術者倫理は次のフェーズで評価されます。

 

第1は、「プラスとマイナスの双方を含んだ技術的な評価を伝達あるいは、公表したか」です。

 

第2は、「技術的な評価をもとに、企業や社会の意見を変える努力をしたか」です。

 

第2は、容易ではありません。

 

アベノミクスに、批判的な論調だけでは、倫理的に不十分なのです。

 

オッペンハイマーは、原爆の破壊力や人道的影響、倫理的問題に関心をもち、核兵器は人類にとって巨大な脅威であり、人類の自滅をもたらすと考えたため、核軍縮を呼びかけ、原子力委員会のアドバイザーとなってロビー活動を行い、かつソ連との核兵器競争を防ぐため働いています。 

 

2017 年、国際科学評議会( ICSU)が、142 か国と 31 の国際的な専門分野の科学連合を代表する 122 の学際的な国内科学会員、準会員、オブザーバーで構成されました。 

 

2018 年 7 月、ICSU は国際科学会議(ISC) になりました。

 

ウィキペディア英語版によれば、ICSUは、次の「使命と原則」を設定しています。

ICSU の使命は、社会の利益のために国際科学を強化することでした。これを実現するために、ICSU は国際科学コミュニティの知識とリソースを結集して次のことを行いました。

 

1:科学と社会にとって重要な主要な問題を特定し、それに対処します。

 

2:あらゆる分野およびあらゆる国の科学者間の交流を促進します。

人種、市民権、言語、政治的立場、性別に関係なく、すべての科学者の国際的な科学的取り組みへの参加を促進します。

 

3:科学界と政府、市民社会、民間部門との間の建設的な対話を促進するために、独立した権威あるアドバイスを提供します。

 

活動は、国際研究協力、政策のための科学、科学の普遍性の 3 つの分野に焦点を当てました。

 

日本の学者とエンジニアは、科学者の「使命と原則」を守っているか問われています。