教育の科学と「何を教えるべきか」 (5)

(9)寺子屋の経済学

日本は、歴史的に「履修主義」であったという理解は、バイナリーバイアスです。市場経済について考えてみます。

 

日本の近代化については、明治時代の識字率の高さが指摘されています。

 

アマルティア・センは、明治時代の日本の識字率は、英国より高く、英国より多数の出版がなされていた点を指摘しています。石川英輔「大江戸生活事情」(講談社文庫、1997年)によると江戸における嘉永年間(1850年頃)の就学率は70-86%といわれており、イギリスの主な工業都市で20-25%(1837年)、フランスで1.4%(1793年)、ロシア帝国時代のモスクワで20%(1850年)などの外国に比べ就学率が格段に高かったです。

 

高い識字率は、近代化のスタートになります。

 

明治時代の学校のステータスは高く、学校を建てるにあたっては、寄付が行われることも多く、明治時代に建設された学校建築が、文化財として残っているケースも多くあります。

 

明治時代の日本の識字率には、江戸時代の寺子屋があったことが知られています。

寺子屋」の名称は上方で用いられ、江戸では「筆学所」「幼童筆学所」と呼ばれていました。

 

江戸時代に入り、商工業の発展や社会に浸透していた文書主義などにより、寺子屋は拡大します。

 

寺子屋は寺院にとっては、檀家を繋ぎとめるためのサイドビジネスでしたが、江戸末期になると単独ビジネスの寺子屋も出現します。

 

寺子屋はまったくの私的教育施設であり、一定した就学年齢は存在しない。

 

つまり、「年齢主義」、「履修主義」ではありません。

 

1872年に学制が敷かれると、明治政府は校舎建設や教員養成の追いつかない初期の小学校整備にあたって、既存の教育施設である寺子屋を活用しています。

 

戦後、GHQに従った新制教育がスタートします。

 

教師の中には、授業についていけない生徒をあつめて、学習塾を開く人も出てきます。

 

この時点では、教師も生徒も、学校は、「習得」する場であると考えいました。

 

寺子屋は、卒業証書を出しませんが、寺子屋で学ぶことで、文字が読めるようになります。

 

学習塾は、卒業証書を出しませんが、学習塾で学ぶことで、習得が各自治になります。

 

生徒が、教育の目的が「履修」であって、「習得」ではないと考えていれば、学習塾に通うことはあり得ません。

 

文部省が、「履修主義」を法律で定めるのは、形而上学です。科学では問題は、リアルワールドの状態です。リアルワールドは、1970年頃までは、「習得主義」でした。

 

高等学校では、期末試験の成績優秀者を掲示していまいた。

 

小学校の運動会は、短距離走といった順位のつく種目が採用されていました。

 

1960年から1970年代の大学の進学率は10%から20%でした。

 

「習得」できていなければ、大学に入学できませんでした。

 

これが、1964年の東京オリンピックの頃、日本が高度成長していた頃の実態です。

 

日本は、「第1回先進国首脳会議」(1975年)のメンバーになります。

 

この頃から、日本が先進国であるという意識が広まっていきます。

 

1977年に、 文部省から国公立中学・高等学校に「ゆとり教育」の方針が打ち出します。

 

これは、日本は先進国になっただから、がむしゃらに、キャッチアップする必要はないという社会の風潮を反映しています。

 

この頃には、高等学校では、期末試験の成績優秀者を掲示しなくなっていました。

 

「習得主義」は、努力して学習すれば、生徒が理解できるという信頼のもとに成立します。

 

高等学校と大学の進学率が低い場合には、全ての学生が、高い習得目標を設定する必要がありません。習得出来なかった場合には、自分にはその方面の適正がなかったと考えて、転進すればよかったのです。

 

商家では、ビジネスの役にたたない大学は不要であると考えている親もいました。地方では、大学の卒業資格よりも、地方の第1高等学校の卒業証書の方が、秀才の証として価値がありました。

 

落ちこぼれが増えてしまうと、「習得主義」には頼れないので、「履修主義」を支持する生徒と親が増えます。

 

フィードバックループが一旦、このマイナスのループに入り込めば、後は、劣化が止まりません。



1994年のバブル崩壊頃から、1970年から1990年まで、40%前後であった大学の進学率が増加します。

 

小学校の運動会は、短距離走といった順位のつく種目が採用されていました。

 

形而上学であった「履修主義」が、リアルワールドを圧倒します。

 

明治時代に、ビジネスを行うために必要な知識は、読み書きソロバンでした。

 

これは伝統的な人文的文化の範囲です。ビジネスの範囲はローカルで、製品輸出や材料輸入は例外的でした。

 

この状態は、日本が、先進国入りする1975年頃まで続きます。

 

2023年現在、ビジネスは、国際化して、ITの影響を無視してはすすめられません。

 

英語、経済学、データサイエンス、ITなどの習得が必須です。

 

例えば、生成AIがこれからのビジネスに影響を与えます。生成AIの中身は、データとアルゴリズムです。サンプルコードが読めなければ、生成AIの利用限界は理解できません。

 

オープンAIのCEOのサム・アルトマン氏(38歳)は、プログラマーです。ジェフリー・ヒントン氏(75歳)は、MATLAB言語で、AIのアルゴリズムを書いています。

 

日本のIT企業のCEOで、自社で、生成AIを開発するといっている高齢のCEOの方がいます。筆者は、そのプロジェクトは成功しないと予測します。

 

理由は簡単で、CEOが、サンプルコードを読めているとは思えないからです。生成AIの成功は、デーやとコードにかかっています。基本コードは公開されていますが、実装にはノウハウが必要です。これは、サンプルコードを読めるレベルのリテラシーななければ、対応できません。新しいアルゴリズムが、毎月のように提案されます。それも、どれを採用するか、テストの結果を見ながら判断します。この判断が遅れれば、企業がつぶれます。

 

並立処理ができるハードウエアは高価で資金が必要です。しかし、良いアルゴリズムを実装できるという実績ががれば、資金調達はできます。

 

政府が補助金をつけても、補助対象が、良くないアルゴリズムの実装であれば、生き残れません。

 

このリテラシーの問題は、全てのITとビジネスの基本になっています。

 

マイナンバーカードの失敗は、トップが、良いアルゴリズムと良くないアルゴリズムの区別ができないためです。ここで、良いアルゴリズムとへエラーリカバリー、セキュリィティチェックを含んでいます。

 

ビジネス教育市場は、英語、経済学、データサイエンス、ITなどの習得に対応している必要があります。

 

現在は、人文的文化中心の「履修主義」ですので、日本経済の劣化は、起こるべくして起こっている状態です。

 

世界の大学ランキングでは、日本の大学で200位以内にランクインしている大学は、ほんの一握りです。

 

バイナリーバイアスがありますが、分かり易い「履修主義」と「習得主義」の2分法で説明すれば、次のように分類できます。



「習得主義」大学:世界の大学ランキングで200位以内にランクインしている大学で、卒業証書が辛うじて、世界で通用する大学。

 

「履修主義」大学:世界の大学ランキングで200位からランクアウトしている大学で、卒業証書が、世界では通用しない大学。

 

なお、この区分には、バイナリーバイアスがあります。本来は、全ての学科を1つにくくってはいけません。学科(学問分野)ごとのランキングも参考にすべきでしょう。そもそも、世界ランキングに、分野のない学科もありますが、こうした学科の必要性にも、疑問が付きます。



大学を、研究大学と教育大学に分けるという提案をしている人もいます。

 

しかし、「履修主義」と「習得主義」の問題を考えると、「履修主義」を排除しないで、「研究大学と教育大学に分ける」ことは、問題解決の先送りに見えます。