ソリューション・デザイン(22)

(22)正しく間違えること

 

(Q:正しく間違えることの重要性を理解していますか?)



1)探求学習の謎

 

2022年から導入された探求学習について、一般には、次のように理解されています。

 

<==

 

探究学習は、自ら問を立てて、考えていく学習です。教科で与えられた問に正解を探すのではなく、生徒が、自分自身で問いを立てて、答えを出す「探究心」を大切にして、学習を進めていく方法です

 

探究学習とは、生徒が課題を設定し、解決に向け、情報を収集・整理・分析し、同級生と意見交換・協働したりしながら進める学習です。探究学習では、生徒の思考力や判断力、表現力などの育成を目的としています。

 

==>

 

しかし、2022年になって初めて、探求学習が取り入れられたことは、全く腑に落ちません。

 

パースは、今日の「探究に基づく学習」と「研究主導の教育」を予測する教育学について、いくつかの洞察力に富んだことを述べていますが、それらは彼の著作全体に散らばっています (Strand 2005)。

 

2)デューイと探求

 

アメリカの著名な教育家のデューイの著作は古くから日本でも読まれています。

 

ウィキペディア(英語版)によれば、探求は、デューイによって、非常に古くから教育に取り入れられてまます。そこには、パースの影響があります。

 

<==

 

デューイは、ジョンズ・ホプキンス大学で、ジョージ・シルベスター・モリス、チャールズ・サンダース・パース、ハーバート・バクスター・アダムス、G. スタンレー・ホールに師事した後、博士号を取得しています。

 

ジョン・デューイは、1916 年以降、著作の中で繰り返しピアースに敬意を表して言及しています。彼の 1938 Logic: Theory of Inquiry y(論理学――探究の理論)は、パースの影響を大きく受けています。



デューイの教育理論は、My Pedagogic Creed (1897)、The Primary-Education Fetich (1898)、The School and Society (1900)、The Child and the Curriculum (1902)、Democracy and Education (1916)、Schools of To- morrow (1915) とEvelyn Dewey、およびExperience and Education(1938)です。デューイは、これらの著作を通して、いくつかのテーマを繰り返しています。デューイは、教育と学習は社会的でインタラクティブなプロセスであり、したがって学校自体が社会改革を行うことができ、また行うべき社会的制度であると主張し続けました。さらに、生徒はカリキュラムを体験し、交流できる環境で成長し、すべての生徒が自分の学習に参加する機会を持つべきであると信じていました。

 

民主主義と社会改革の考え方は、デューイの教育に関する著作の中で絶えず議論されています。デューイは、内容に関する知識を得る場所としてだけでなく、生き方を学ぶ場所としての教育の重要性を強く主張しています。デューイの視点からすれば、教育の目的は、あらかじめ決められた一連のスキルの習得を中心に展開するべきではなく、むしろ、自分の可能性を最大限に実現し、それらのスキルをより大きな利益のために使用する能力を実現することです. 彼は、次のように言っています。「将来の人生のために彼を準備することは、彼に自分自身の指揮を与えることを意味します。それは、彼が彼のすべての能力を完全かつすぐに使用できるように彼を訓練することを意味します」(私の教育的信条、デューイ、1897 )。

 

==>

 

「私の教育的信条」は、1897年に出ていますので、120年前の著書です。



「生徒の思考力や判断力、表現力などの育成を目的」とする探究学習よりは、デューイの「自分の可能性を最大限に実現し、それらのスキルをより大きな利益のために使用する能力を実現」する教育の目的ははるかに明確です。

 

また、デューイの「自分の可能性を最大限に実現し、それらのスキルをより大きな利益のために使用するは「教育の目的は、あらかじめ決められた一連のスキルの習得を中心に展開するべきではな」いと暗記中心のカリキュラムを否定しています。

 

デューイの基本理念は、プラグマティズムにありますので、デューイもパースとおなじように、デューイの教育的信条に従って教育することを求めている訳ではありません。

 

デューイの上記の教育的信条は教育のスタートであって、実践の中で、教育的信条はグレードアップされる(進化する)ものです。

 

教育学のTheodore W. Frick教授は、学習を次のように定義しています。

 

「例えば、学習とは、精神構造の複雑さの増加です」

 

これは、学習によって、脳のニューロンが変化することを意味しています。

 

つまり、Theodore W. Frick教授の定義する人間の学習は、AIのニューロンの学習と同じです。

 

3)探求学習の評価

 

探求学習を行った場合、その学習効果は、どのようにすれば計測されるでしょうか。

 

「生徒の思考力や判断力、表現力などの育成」の進展の割合はどのように計測可能でしょうか。

 

たとえば、生成AIのチャットGPTが学習すれば、複雑な文章を書くことができます。思考力と表現力は十分ありそうです。

 

2023年3月の現時点では、チャットGPTの判断力には、クレームがついていますが、筆者は、この問題は、意見集約AI(AI of the fixation of belief)が解決すると予測していますので、チャットGPTには問題はありません。

 

そうすると、チャットGPTは高いレベルで、探求学習に成功していることになります。

 

チャットGPTの文章作成能力は、完全にはほど遠いものですが、チャットGPT以下の文章しか書けない学生はいくらでもいます。

 

チャットGPTは、先日亡くなったノーベル賞作家の大江健三郎氏のような文章は書けませんが、だからといって、チャットGPTが使いものにならないとは言えません。

 

探求学習をしても、誰もが、チャットGPTより上手な文章がかけるようになるとは思えません。

 

「生徒の思考力や判断力、表現力などの育成」のために、探求学習をするという説明は論理的に破綻しています。

 

暗記中心の学習であれば、学習すれば成果(暗記の点数)はあがります。

 

しかし、暗記は正解があって、正解を記憶する方法です。

 

正解がない問題を解くために、暗記を止めて、探求学習を導入します。

 

そうすると、学習しても成果が上がらなくなります。

 

なぜなら、「生徒の思考力や判断力、表現力などの育成」の評価基準がなくなるからです。

 

チャットGPTは学習すると、内部ノードが増え、ニューロンが複雑になります。

 

現在のノードの数は、1700億個あると言われています。

 

人間が学習した時に起こる脳の変化は、精神構造の複雑さの増加です。

 

基本的には、生成AIと同じです。精神構造の複雑さが増加すれば、複雑な文章がかけるようになるかも知れません。

 

生物多様性と同じように、書かれた文章のエントロピーを計測すれば、脳内のニューロンの変化が計測できるかも知れません。

 

実際に、一人の人間が最も多くの単語を使った事例は、シェイクスピアであるという人もいます。

 

しかし、この手法は文学以外では使えないでしょう。アインシュタインの文章のエントロピーを計測しても、高い値が出て来るとは思えません。

 

結論を言えば、「生徒の思考力や判断力、表現力などの育成」をターゲットにする限り探求学習の評価は、不可能だろうと思われます。

 

4)A:正しく間違えることの重要性

 

ここで、パースが考えたように、科学的な方法で、探索学習の評価の問題解決ができないか、考えて見ます。

 

科学者は、仮説を立てて、仮説を検証するために実験をします。

 

実験が失敗した(仮説を検証できなかった)場合には、実験結果は、論文としては、没になることも多いですが、失敗した実験が論文として掲載されることもあります。

 

失敗した実験の論文は、読んでいて楽しいものではありませんが、失敗報告がないと、皆が、同じような失敗実験を繰り返すことになり非効率です。

 

ですから、実験が成功する条件を探索するようなテーマであれば、失敗実験も論文になりえます。

 

実験をいい加減に行うと、実験の再現性がなくなります。

 

例えば、サンプリングバイアスのある実験では、再度、追試験を行うと異なった結果が得られます。つまり、いいかげんな実験では、仮説は、検証も、否定もされないことになります。これは、正しくない間違いで、不毛です。

 

一方、ランダム化試験のようにバイアスを排除した実験で、仮説が否定された場合には、追試を行っても、同様の結果が得られる可能性が高くなります。

 

追試を行って逆の結果が得られる失敗は、コンタミネーションが起こった場合が典型です。

 

これは前提条件の間違いの見落としになります。

 

探求学習も、パースの探求も、基本的な精神活動に差はありません。

 

つまり、「自ら問いを立てて、考えて」いけば、自然に結論が得られるという信条は、人文的文化ものです。科学的文化では、科学的な方法論によらなければ、正し結論に達しないと考えます。

 

ランダム化試験の効用を認める人は、観察研究は、バイアスが大きすぎて、検証には値しないと考えます。

 

パースの信念に到達する4つの方法(探究方法の4類型)のように、教育によって、科学的な意見集約を方法を習得させることができます。

 

正しい考え(仮説)を思考によっては判別する方法はありません。

 

考えの正しさをチェックする方法には、科学的な検証以外に有効な方法はありません。

 

科学的な方法なしに、「自ら問いを立てて、考えて」も、得られる結論は使えません。

 

正しく間違えることが重要です。(注1)

 

注1:

 

研究費の補助金をらった研究者に対する2種類の評価があります。

 

(1)研究費が有効に使われるように、受け取った金額に見合った論文が投稿されるべきである。

 

この条件がつけば、成果が出ないことを恐れて、研究者は、弱形式の問題、あるいは、機能的な問題発見の論文を作成します。

 

(2)研究費が科学的な手順で使われれば、成果の論文を必ずしも求めない。

 

この条件では、研究者は強形式の問題を解くことが可能になります。

 

この場合には、正しく間違える(仮説が間違っていることを、科学的に正しい手順で点検する)ことができれば、論文は必須ではないことになります。

 

同じ議論は、ベンチャーにもあてはまります。

 

ベンチャーの成功確率は10%未満です。

 

ですから、成功を受け負うことはできません。

 

投資家がベンチャーに求める第1の要件は、正しく間違える(失敗する)ことです。

 

もちろん、成功を期待しますが、これは、第2の条件のはずです。

 

言い換えれば、撤退(失敗)の判断の条件を事前に明示して置く必要があります。

 

この点でみれば、スペースジェットの撤退には、大きな問題があったと考えられます。

 

同じ問題が、ゆとり教育、金融政策などでも、繰り返されているように思わます。

 

政府は、赤字で倒産することは考えませんので、常に、成果がでる(成功する)というストリーしか書きません。中間成果のモニタリングもしません。最後に、行き詰る政策が多数でます。

 

科学的方法の基本は、正しく失敗することです。

 

この視点の欠如が、不幸の原因に見えてしまいます。



引用文献

 

Strand, T., 2005. “Peirce on Education: Nurturing the First Rule of Reason”, Studies in Philosophy and Education, 24(3–4): 309–316.

 

Learning

https://educology.iu.edu/learning.html

 

Method of Science for Fixation of Belief (Disciplined Inquiry)

https://educology.iu.edu/methodOfSciencePeirce.html