1)シュンペーターモデルの分解
シュンペーターは、イノベーションが、経済発展の原動力であるといいます。
エマニュエル・トッドは、人口学の視点で、エンジニアの人口が経済成長に大きく関係するといいます。
これらは、過去の経済成長を観察して得られた知見と思われます。
古いレジームの生態系と新しいレジームの生態系があり、レジームシフトが起こる場合を考えます。
古いレジームの生物が、遺伝的に多様であれば、新しいレジームで生存する生物が出現する可能性が高くなります。
新しいレジームで生存する生物が、イノベーションを成し遂げた生物になります。
多様性戦略は、一見すると非常に非効率です。生物が、新しいレジームに合わせた進化を遂げられれば、効率的です。この視点は、生物には目的があるというアリストテレスの視点や、進化には目的があるというラマルクの視点と共通です。ラマルク説が100%ダメか議論している人もいますので、目的説の妥当性には深入りしません。しかし、ダーウィンが出した多様性の変化とレジームに合わせた選択という2つのステップが独立しているという仮説が、多くの場合には、よく当てはまります。
これは、昔からある疑問の「人間は何のために生きているか」などに見られるように、人間は、暗黙に目的説を取りたがる認知バイアスがあるためと考えます。ダーウィンは認知バイアスから独立したので、それは、革命的なアイデアでした。
イノベーションは、経済成長に役に役立つ技術革新です。
つまり、ダーウィン流に考えれば、イノベーションは技術変化と技術選択の2つのステップに分解できます。そして、技術変化のステップには、経済成長に役に立つという目的は希薄だと考えます。
こう考えると狭い成長分野に予算を投入して技術開発を促進するという経済政策は、目的説であり、新しい技術開発には成功しないことがわかります。予算でいう成長分野とは最近の過去に成長した分野のことで、これから成長する分野ではありません。これから成長する分野は分かりませんので、ほぼ無駄な投資になります。過去の実績は、この仮説を支持しています。
科学技術予算が無駄だといっているわけではありません。
例えば、IPS細胞の研究のように研究のアーキテクチャが固定している段階では、追加投資の効果は予測できます。しかし、投資によって新しいアーキテクチャを生み出すことは困難です。
極端な重点化よりも、公開された環境測定のGISデータなど研究の基礎となる公共財の整備の方が、波及効果が期待できます。また、繰り返しになりますが、良い政策には、アーキテクチャが必須で、キーワードで、予算を配分すべきではありません。
2)進化と選択
進化の目的説をとれば、生存選択に必要な変化が選ばれて発生したことになります。
この場合には、選択というプロセスは、重要ではありません。
これに対して、ダーウィンは、淘汰論を提唱します。淘汰論は、結果的に生き残った生物を指して、淘汰されたというので、検証不可能であるという批判があります。
つまり、淘汰論はどの生物種が生き残るかについては、絶滅する以前にはわからないという訳です。また、1968年には、木村資生により中立論が提案されています。
現在では、進化の検討は、生態系やDNAの膨大なデータベースの分析によって行われています。ですから、1か0かという単純な議論には、意味はありませんので、ここでは、生存選択の議論には、深入りはしません。
しかし、突然変異以上に、生存選択が、進化を決める重要な因子であることは確かです。
イノベーションは、技術変化と技術選択の2つのステップで考えてみました。
こう考えると、日本のイノベーションにおける技術選択の現状を考える価値があります。
特に、科学技術振興予算といった予算の枠組みでは、技術変化(新技術の開発)に目がいきます。そして、技術選択を無視したラマルクのような目的論になってしまいます。
3)技術選択とステージ
技術選択は、生存選択に似た課題を持っています。
淘汰論はどの生物種が生き残るかについては、絶滅する以前にはわからないという問題を抱えています。
同様に、技術選択でも、どの技術がデジタル社会へのレジームシフト後に生き残るかについては、レジームシフトが完了する前にはわからないという問題を抱えています。
例をあげます。
水素自動車とEVがあります。10年後には、どちらかしか生き残らないと思われます。これは、どちらに投資すべきかという株主の問題です。
10年後のことはわかりませんが、株主は、わかっている情報を集めて、ベストな選択を試みます。新たにブレークスルーとなる新技術が開発されれば、見通しを変更します。資金の運用ファンドは、株主から膨大な手数料をとって、意思決定をサポートします。技術選択には、正解はありませんが、解答の打率を上げることはできます。
進化論と同じで、結果が出た後の技術選択には、価値がありません。結果が出る前に技術選択をしなければ、意味がありません。
技術選択は当てずっぽうで行うのでしょうか。金融工学のモデルがあります。株価の変化を定常過程と仮定して、将来を予測します。テクニカル分析を数学的に解き直したようなものです。これは、定常過程であれば、概ね当たりますが、外れることもあります。証券会社の人は、ある金融商品を販売する時に、この商品の過去10年の利回りは何%でしたと説明します。しかし、時系列は、因果ではありません。つまり、時系列解析は、科学的な因果の意味のある解析ではありません。
株価を決定する因果は何でしょうか。
株価は企業の経済活動(社員の活動)の結果で決まります。
経済活動の情報は、活動が完了するまでは、100%の情報を得ることはできません。
しかし、経営計画があって、その情報が得られていれば、経済活動が完了するまで、全く情報が得られない訳ではありません。
つまり、経営計画の情報が公開されていてその内容を精査することで、不完全ではありますが、将来の評価ができます。この「計画の提案=>評価」というステップは非常に大切だと思います。
水素自動車もEVも既に、市販品があります。しかし、市販品を販売する前に、基本設定、実施設計など、製品化の各ステージで「計画の提案=>評価=>実施」というステップが繰り返されてきたはずです。
つまり、イノベーションを実現するためには、革新的な技術をもった製品が出現する必要がありますが、そのためには、革新的な技術が生まれるだけでは不十分で、製品化までの評価をクリアしないといけません。この場合の評価とは、点数をつけることだけでなく、技術改善の提案も含まれるダイナミックな行動です。
これは、マツダがロータリーエンジンを実用化した時を思い出せば、わかります。マツダが購入したロータリーエンジンの特許は、そのままでは、実用的なエンジンにはほど遠いものでした。そこで、エンジン開発を止めるという選択肢と、エンジンを改良して実用化が可能か検討するという選択肢がありました。評価とはこのような選択を意味します。
4)評価のゼロリスクとノーリターン
評価というステップは、非常に困難なステップです。評価が容易であれば、株式市場で、損失を出す投資家はいないはずです。投資家は、一般には、ハイリスクとハイリターン、ローリスクとローリターンのどちらかを選択できます。
そして、ハイリスクになるほど、評価の打率が下がります。
株式市場では、ゼロリスク(元本保証)はありません。
銀行預金であれば、ゼロリスクがありますが、ほぼゼロリターンです。
従って、ゼロリスクとノーリターンという公式が成り立ちます。
評価は、次のアクションのために行います。
評価でリスクを取らなければ、次のアクションはなく、何も変わらないことになります。
株式市場で評価をすることは、どれかの株式に投資するためです。
イノベーションの最大の障害は、評価のリスクを取らないことだと考えます。
日野自動車の不正事件の調査報告書で、問題があることがわかっていても、改善案を出すと、幹部は、提案者が自分で実行するように押しつけるので、誰も改善案を言わなかったといいます。
幹部は改善案の評価をしてリスクをとることを避けています。そして何も変わりません。
このように基本設計以前のアイデアの段階で、新しい提案をつぶしてしまえば変化は起こりません。
評価は、ヒストリーではありません。
株式市場で、過去の業績の良い企業の株価は既に上がっています。
評価は、これからの業績に対して行わなければなりません。
デジタル社会へのレジームシフトが起こっている現在では、過去の業績の良い企業が将来も良い業績を上げられるとはいえません。
例えば、デジタル社会へのレジームシフトがなければ、現在も、優良企業であったと思われるコダックは無くなっています。ATTも、子会社に買収されて無くなっています。
こうなると変化しない経営戦略であるゼロリスクのノーリターンは、企業生存の選択肢では無くなってしまいます。リスクを取らないことが最大のリスクになります。
その場合に、一番の問題は、評価ができるかという点に尽きると思います。
年功型雇用では、経験年数、経験ポストと年齢で、給与を評価してきました。しかし、この方法は、経営の改善案に対する評価ではありません。つまり、年功型組織で働いている人は、何十年も、リスクをとる評価をしてこなかったことになります。
前例主義は、環境が変化して、デジタル社会にレジームシフトしている状況では、リスクをとって評価をしないことはゼロリスクではなく、最もハイリスクです。しかし、今まで、評価を経験年数、経験ポスト、年齢といった外型でしか判断してこなかった人が、急に、経営改善計画の中身について評価できるわけではありません。
同調圧力とも言われますが、日本の組織では、経営改善計画は、アイデアの時点で、取り潰されます。
あるいは、日本では、反対意見を言わない、常に発言はグレーで、必要に応じて白とも黒とも言い逃れできるようにします。これも評価を回避する手順です。
日本の大臣のマスコミ説明では、色々な点を考えて、専門家の意見を踏まえて総合的に判断しますという会見がなされます。この内容は、政策案の情報を全く含んでいませんので、評価を避けていることになります。欧米では、政治家は、政策を提示して、選挙に望みます。日本の大臣のマスコミ説明のような評価不可能な会見をすれば、ほぼ確実に落選します。
評価をすることが、基本であって、評価を回避することは、自滅行為になります。
評価の問題は、あまりに根深いので、例をあげると、ここには、書ききれません。
新卒一括採用にしても外型ですし、まともな評価をして給与を査定している場合は、例外です。
取り止めも無くなりましたが、自説で、スマホを例に、この問題を具体的に考えてみます。
なお、タイトルは、イノベーションとアーキテクチャでした。ここで、アーキテクチャは2種類あります。
第1は、企業の経営改善計画に含まれるべきアーキテクチャです。
第2は、評価に含まれるアーキテクチャです。
前者は、想像できたと思いますが、課題は後者だと考えます。
引用文献
進化については、以下を参考にしました。
遺伝学電子博物館
https://www.nig.ac.jp/museum/welcome.html
【パラダイムシフト:分子進化の中立説】 宮田 隆の進化の話
https://www.brh.co.jp/research/formerlab/miyata/2005/post_000003.php