成長と分配の経済学(10)~2030年のヒストリアンとビジョナリスト

1)西暦2000年のアンシャンレジー

 

日本経済の停滞が止まりません。10年後には、一人当たりGDPでみて、日本が先進国から脱落していることはほぼ間違いありません。

 

労働生産性からみて、OECDの各国は、デジタルシフトを進めつつあります。10年後には、デジタルシフトした社会への移行が完了しているでしょう。つまり、データサイエンス(データ縮約型科学)に対応したデジタル社会へのレジームシフトが終わっているということです。

 

日本は変わらない30年といわれてきました。

 

変わらないという言葉は、以前のやり方を踏襲しているという意味です。

 

筆者は、ここで、この認識が間違っていると主張します。

 

30年前にインターネットが普及し始めて、デジタル社会への移行が始まりました。

 

科学技術は、経済成長の根源なので、OECDの各国は、デジタル社会へのレジームシフトに着手しました。これは、日本を除いてです。

 

デジタル社会へのレジームシフトは、デジタル機器を導入すれば実現できるわけではありません。データサイエンスを社会が受け入れて、その科学的なアプローチのもとで、社会システムを変化させる必要があります。

 

科学は、エビデンスとプロセスからできています。科学は、権威を失墜させるので、民主主義とは高い親和性があります。

 

例をあげましょう。がんは死に至る病です。現在のがんの治療法は、EBM(根拠に基づく医療)で行われます。医師は、エビデンスのデータを示し、複数の治療法(プロセス)を示して、推奨する順位をつけます。ここには、エビデンスの公開とプロセス選択の説明責任がついています。EBMは、いうまでもなく、データサイエンスの一つで、20年くらい前から、普及が始まりました。

 

EBM以前、医師には、権威があり、治療法は、医師が選択して、患者にはエビデンスを示したり、治療法をくわしく説明せずに、治療していました。EBMでは、治療法を理解していない医師は、排除されます。つまり、データサイエンスが、権威に入れ替わっています。

 

デジタル社会へのレジームシフトとは、EBMにみられるように、社会が、データサイエンスを受け入れて、労働生産性をあげて、豊かになることで実現します。

 

日本の労働生産性が、過去30年間上がらなかったことをみれば、日本では、データサイエンスが受け入れられてこなかった可能性が高いです。

 

そこで、疑問は、どうしてデータサイエンスが、日本社会で受け入れられなかったかという点に集中します。

 

EBMにみるように、科学を受け入れることは、権威の失墜につながります。これは、所得の根源を権威に依存している人にとっては、脅威になります。科学的な意思決定や資源配分がなされているOECDの民主国家では、所得の根源を権威に依存している人は少ないです。ただし、これは、日本を除いてです。

 

日本は、年功型雇用によって、所得の根源が権威(年齢、経験年数、ポスト)に依存している人が多数存在します。こうした権威依存型の高所得者にとって、科学は、権威を失墜させる脅威であり、排除すべきものです。科学が進歩すればするほど、それは、より強力な脅威になるので、より強く排除すべき物になります。とはいえ、科学が、自然科学の分野に拡がり、脅威となったのは、20年前に出現したデータサイエンスの登場からです。ちまたでは、データサイエンスの一部のAIが、今後、人間の仕事を奪ってしまうのではないかと議論されるようですが、AIの議論は本質的ではなく、EBMにみられるように、権威が科学に入れ替わる現象は既に多発しています。

 

こうして20年前に、日本では、データサイエンスの受け入れを拒否するために、科学を受け入れる以前の社会に先祖返りするアンシャンレジームが始まりました。アンシャンレジームの推奨者は、年功型賃金体系の高所得者の年寄り(権威依存型の高所得者)で、日本の企業が官庁の幹部です。

 

権威依存型の高所得者が恐れていることは、科学を受け入れて、企業の利益が上がることです。なぜなら、それは、権威の失墜になり、ポストと所得を失うからです。権威は、企業内文化を知っていて、過去の事例を知っていることから生じます。この権威を破壊するものは危険分子です。

 

西暦2000年になって、OECDの中で、日本だけが、データサイエンスを拒否して、権威に依存するアンシャンレジームが発生しました。データサイエンスを拒否して、呪術や宗教を重視することで、権威を保つ選択です。これにより、日本は、他のOECD諸国とは、逆向きのレジームシフトがおこり、先進国から脱落する道を選んでいます。

 

つまり、日本経済は、たまたま改革が成功しないので停滞したのではなく、アンシャンレジームで、意図して、停滞を選択したと考えられます。

 

この仮説に対する反論は、日本の科学技術のレベルがそこまで低いとは考えられないというものです。その詳細な分析は、後で述べますが、ここでは、排除の対象は、データサイエンスに集中していて、それ以前の科学は、権威の脅威にならないので、温存しています。

 

データサイエンスは、エビデンス(データ)とプロセス(アルゴリズム)から、形成されています。この2つを拒否すれば、アンシャンレジームは、維持できます。



権威の根源は、歴史と儀式です。ヒストリアンは、危険分子ではありませんが、ビジョナリストは危険分子なので、排除します。帰納型の研究は、自然科学とは言えないものですが、権威の維持には有効です。

 

儀式は、政(まつり)ごとでは、言霊の重視です。

 

「デジタル庁」、「こども庁」には、エビデンスはなく、言霊の世界です。保育園と幼稚園の統廃合も出来ないのであれば、「こども庁」に、言霊以上を期待できるはずがありません。

 

安倍前首相の葬儀を国葬で行う計画です。葬儀は、儀式であって、実態経済ではありません。

 

医学が進歩する前には、治療のすべがなかったので、葬儀や宗教には権威がありました。医学で、治療できる部分が拡大して、葬儀や宗教の権威は減っています。簡単にいえば、EMBが、葬儀の簡素化を促しています。

 

国葬をすべきか否かに各段の意見はありませんが、EBMの時代に、国葬をしたいという発想には、アンシャンレジームが見え隠れしています。

 

つまり、西暦2000年頃に起こったデータサイエンスを拒否するアンシャンレジームは、現在も進行中です。

 

データサイエンスを拒否したアンシャンレジームになっているか否かは、EBMのような説明が出来ているかをみれば、見分けられます。EBMでは、病気の症状のエビデンスと、推奨する治療法を選択したプロセスを説明します。データサイエンスでは、エビデンスを提示して、政策に相当する治療法を選択するプロセスを説明することが原則です。

 

コロナウイルス対策から、色々な政策がだされたときに、エビデンスの提示と、政策の選択プロセスの説明がなければ、その説明は、権威を振り回している言霊の重視になってしまいます。

 

権力者は、自分だけが正解をしっていると主張しますが、サイエンスでは、データが不十分であれば、誰も正解をしらないことになります。その場合には、エビデンスを計測して、その結果によって、対策を修正していくプロセスが設定されます。簡単にいえば、効果の計測とそれに基づく軌道修正が組み込まれています。

 

日銀は、2013年から9年間、2%のインフレになれば、経済成長すると言い続けてきました。今回は、2%のインフレを達成しましたが、経済は成長していません。日銀は、金利を据え置くようですが、データサイエンスからみれば、説明は破綻しています。明らかに、原因と結果を取り違えています。

 

EBMに基づかない間違った治療をすれば、患者は死んでしまいます。

 

同様に、エビデンスに基づかない科学的でない経済対策を行なえば、日本経済は死んでしまいます。

 

科学の時代には、権力や権威は、できることは限られています。