(水の未来の検討の方法論を説明します)
これから、水、水資源、水環境の未来について、考えてみたいと思います。
頭の中には、断片的なイメージしかないので、今のところ、全体像はありません。
世の中には、水資源の将来予測が数多くでています。
それを差し置いて、屋上屋を架す意味があるかという疑問が、スタート地点になります。
「2030年のヒストリアンとビジョナリスト」に書いている方法論をとることが、独自に、執筆をする動機です。
「2030年のヒストリアンとビジョナリスト」の中の「ラッセルの七面鳥の定理」の中の「人工物」のレンマが、執筆の動機です。
多くの水資源の予測は、現在の水資源の利用からスタートします。
そこは、今回も同じです。
問題は、次のステップです。多くの議論は、トレンド分析や帰納法を使います。
しかし、帰納法を使うべきではないと考えます。
現在の水資源統計を信用するのであれば、水利用の7割以上が農業用水です。
そのうち特に使用量の多い部分は、水田用水で、アジアでは、水利用に占める農業用水の割合は、80%を越えています。
しかし、その水のうち、光合成に使われている部分は、10%以下です。バーチカルファーミングで、植物工場を作った場合、通常の農業用水の使用量の5%位でまかなえるというレポートすらあります。
どちらを信頼すべきでしょうか。
今までの水資源研究は、実際に使われている水の実態調査を行い、そのデータを基に帰納法でルールを探して、演繹する方法が、多様されています。
特に、日本では、その傾向が強く見られます。
しかし、農業用水を運搬する水路は、自動車のエンジンと同じような人工物です。
水田も人工物です。
自動車のエンジンの燃費を調べても、それは、物理法則のようなルーツではなく、そのように設計したから、現在の燃費があるのであって、改善の余地があります。
農業用水の場合には、光合成をターゲットにすれば、現在の使用量の90%はカットできるはずです。
もちろん、そのためには、エンジンと同じように、技術が必要です。
つまり、水資源の使用量は、技術の関数として、仮説を立てて予測すべきものであって、帰納法でルールを求めることは誤りです。
知り合いの何人かの農業用水の専門家は、帰納法が正しい方法であると考え、その研究に一生を費やして、今は、草葉の陰で、お休みになっています。
その努力には敬意を表しますが、間違った方法論では、正しい結論にたどり着くことはできません。
ここで考える水の未来は、予測ではなく、技術的な可能性です。
筆者は、それは、数十年で実現可能と考えていますが、努力や、技術開発なしに、実現できる訳ではありません。
ここまで、書けば、お気づきだと思いますが、ここでは、ビジョナリストの視点で、水の未来を考えます。ヒストリアンは、避けたいのです。
このようなアプローチをとった水の未来の議論は、今まで、なかったと思っています。
この方法論で、どこまで進めるかは不明です。
今、はっきりしていることは、推論を進めるためのジグソーのピースがあること、いくつかのピースは、繋がりそうであるということだけです。
これから、推論を行うためのピースを順に説明して、少しずつ組み立ててみたいと思います。
全体像が見えてくると嬉しいのですが、過大な期待はせずに、一歩ずつ前に進みたいと思います。