1.28 デジタル・シフトとエジソンのビジョン (新28)

(ビジョンとヒストリーの基本的性質を考えます)



ビジョンとヒストリーをイメージしやすいように、具体例をイメージしてみます。

 

1)エプソン白熱電球

 

ここでは、エプソンが、白熱電球を発明する場合を考えます。

 

白熱電球ができる前は、街灯には、アーク灯が使われていました。

 

課題は、適切な街灯を設置することです。

 

ヒストリアンは、街灯の設置事例(ヒストリー)を集めます。

 

そしてヒストリーの中から、解決方法を探します。

 

ビジョナリスト(ここで、エジソン)は、新しい街灯のために、新しい電球を作ります。

もちろん、この時点では、電球は存在せず、電球のビジョンだけが存在します。

 

エジソンは、多くの素材をテストして、フィラメントの材料として京都の竹炭にたどり着きます。

 

つまり、素材単位で考えれば、この時のビジョンの成功確率は1%以下です。

 

多くの場合、ビジョンの成功確率は10%以下です。

 

しかし、失敗を恐れずに、ビジョンを実現するための努力を惜しまないことが、ビジョンが実現するための前提条件になります。

 

なお、ヒストリアンは、後だし仮説が好きです。

ヒストリアンの中には、したり顔で、「電球が実現すると思っていた」とか、「炭が有望だと思っていた」などといいます。

 

ヒストリアン、特に、高齢のヒストリアンは、自分の経験に価値があると誇示したいのです。

 

しかし、技術革新が進む世界では、経験に価値があるのは、最大でも過去10年分くらいです。

エジソンは失敗という経験の上で、何がフィラメントに素材に適しているかというビジョンを修正しながら、材料の探索をしています。実験を始めてからの失敗の経験(ヒストリー)には、価値がありますが、ガス灯時代の古い経験に価値はありません。

 

これから次のようなヒストリアンの性質がわかります。

 

(1)ヒストリアンは、失敗を許容しません。

 

(2)ヒストリアンは、古くから行われている方法(ヒストリー)に価値があると思っています。高齢のヒストリアンは、自分の経験(ヒストリー)に価値があると思っています。しかし、電球の例でみるように、技術革新が起こる場合には、ヒストリーに価値があるという主張を支持するエビデンスはありません。

 

(3)ヒストリアンは改良が好きですが、ヒストリーのない技術革新(ここでは電球)はきらいです。

 

2)DXのビジョン

 

企業が、DXを進める場合を考えます。

 

最初に注意して起きますが、家電量販店で、パソコンを買ってくるようなイメージではDXは成功しません。DXは、コンピュータとネットワークを企業組織に組み込む方法です。

 

これは、人間のサイボーグをイメージすればよいと思います。人間の体の一部をコンピュータと機械に置き換えれば、スーパーマンの体力を得ることができます。パラリンピックの記録をみれば、この主張は現実的です。

 

性能の良いサイボーグになるには、オーダーメードスーツ以上に、体に合わせた部品を組み込まなくてはなりません。下手に部品を組み込むと、性能が落ち、最悪の場合には、生命のリスクがあります。サイボーグの部品を体に組み込んだ後で、リハビリやトレーニングも必要です。

 

企業のジョブの情報のストリームのメイン部分に、DXを組み込めば、大きく生産性があがります。(全体DX)

 

一方、枝葉末節の部分にDXを導入しても、さほど生産性はあがりません。(部分DX)

 

全体DXは、成功すれば、劇的な労働生産性の向上が見込まれます。しかし、ジョブの情報のストリームを変えるためには、新しいビジョンの構築(業務の大改革)が必要です。また、失敗した場合には、致命傷になることもあります。致命傷にならないように、システム移行は、十分な準備が必要です。この時、ビジョンを段階的に実現していく方法が採られることもあります。

 

部分DXは、失敗しても、損害は、部分に止まります。また、現在の仕事の情報のストリームを変えないので、ビジョンは不要です。ヒストリアンの経営者がイメージしているDXはこちらと思われますが、残念ながら、生産性の向上効果は限定的です。

 

ここまで読んで、お気づきの方もいると思いますが、ビジョン中心の全体DXの典型例はアマゾンです。ネットワークを使った小売りという新しいビジョンを作って、その実現に必要な要素を開発整備してきています。楽天もアマゾンに似ていますが、アマゾンは、自身で小売りをしていること、ネット小売りを展開するために必要なクラウドサービスを行っている点が異なり、ネット小売りのビジョンには、大きな差があります。

 

3)デジタル・シフト

 

ビジョンが、劇的な労働生産性の向上に寄与する状態がデジタル・シフトです。

 

デジタル・シフト以前には、労働生産性の向上は、ヒストリアンの手法によらざるを得ませんでした。ヒストリアンの手法で、よく知られている方法は、トヨタ自動車カイゼンです。

 

2022/04/03の東洋経済に、野口 悠紀雄氏が、2021会計年度の売上高に対する粗利益の比率の推定値を算出していますが、アマゾンは14%、トヨタ自動車は17.8%、テスラは25%、韓国のサムスン電子は40.5%、アップルは42%、台湾の半導体製造会社TSMCは51.6%、グーグルは57%、NVIDEAは65%、マイクロソフトは69%、メタは80.8%になっています。

 

アマゾンは、利益を先行投資にまわしています。アマゾンは、一般労働者を多く含む従業員数が桁違いに多いため、粗利益の比率はかなり小さくなります。テスラは工場を立ち上げ中で、過渡的な値です。

 

この2つを除くと、デジタル・シストをした企業の粗利益の比率は大きく、カイゼンでは太刀打ちできません。

 

デジタル・シフトが始まる前には、労働生産性の向上は、ヒストリアンの手法によらざるを得ませんでしたので、ビジョナリストは、冷遇されていました。しかし、日本以外では、ビジョナリストがヒストリアンを駆逐しています。米国のIT大手の経営者が起業した時の年齢をみれば、高齢者のヒストリアンには、価値がないことがわかります。

 

4)低賃金とDX

 

2022/04/01のNewsweekで、加谷珪一氏は、日本の賃金が上がらない原因は、DXの遅れにあると分析しています。以下に、要約を示します。

 

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日本企業の低賃金の原因は売上高の拡大と、価格の引き上げが、2つともできないことです。

 

1980年代から1990年代前半にかけて、日本におけるIT投資の金額(ソフトウエアとハードウエアの総額)は、先進諸外国と同じペースで増加していました。しかし、1995年以降、日本だけがIT投資を減らしています。

 

1990年代に、日本メーカーは全世界的に進んだデジタル化とグローバル化の流れ(デジタル・シフト)についていけず、競争力を大きく低下させました。日本の製造業の売上高は伸びず、単価が下がり、収益力が低下し、賃金が伸び悩みました。

 

上場企業に対するガバナンスを諸外国並みに強化し、中小企業の自立を促す金融システム改革を進めれば、日本企業の収益は大きく改善します。同時に、あらゆる企業がITを導入せざるを得なくなるよう、政策誘導すべきです。一連の改革を実施し企業が自律的に成長できるフェーズに入れば、企業が生み出す付加価値が増えて賃金も上昇していくでしょう。最大の問題はこの改革をやり抜く覚悟が日本社会にあるのかどうかです。