1.22 ビジョンと民主主義~2030年のヒストリアンとビジョナリスト(新22)

 

(適切なビジョンと民主主義は不可分な関係にあります)

 

問題を解決することは、悪いところ(問題点)を見つけて、改善する解決策(ビジョン)を作成して実施することです。

 

対象となる事象が、誰かの活動の結果で生じていれば、問題点の発掘は、その活動主体に言及することになります。

 

問題点の発掘は、エビデンスに基づくことが望ましいのですが、日本では、評価を避けるために、エビデンスを測定し、保存していません。こうなると、ある程度の推測を含んだ判断をせざるを得ません。

 

客観性の担保は難しいのです。問題点の発掘は、拡大解釈すれば、誹謗や中傷であると言われても、問題点の発掘がエビデンスに基づいていない以上、完全に否定はできません。

 

しかし、筆者の問題意識は、個別の事象に関与した個人の行動にあるのではなく、活動、評価、改善の問題解決のフレームワークにあります。

 

「変わらない日本」から抜け出すことは、健全な問題解決のフレームワークを形成することに他なりません。エビデンスをどうとっていくか、エビデンスは、どうして、必要だと判断されないかを問題にしないと先に進めません。

 

これは、社会科学の研究基盤問題でもあります。

 

エビデンスに基づかない人治主義は、独裁につながり、民主主義とは相いれません。エビデンスに基づかないと忖度が、蔓延します。忖度を許容する社会は、独裁につながります。その先には、戦争が待っています。

 

「変わらない日本」から抜け出すことは、誹謗や中傷を避けた上で、健全な批判やクリテティカル・シンキングを許容する社会の構築に他なりません。また、これは、民主主義を維持する課題でもあります。

 

民主主義は、独裁を避けて、皆で、議論をして、解決策のビジョンを探索して、実行する手順です。解決策の議論には、エビデンスが不可欠です。エビデンスがない場合には、どうしてエビデンスを計測、保存、公開したら良いかを議論しなければなりません。

 

「変わらない日本」問題の背景には、日本の民主主義の未熟さがあり、これは、改善しなければなりません。