1.20 ビジョンとビジョンもどき~2030年のヒストリアンとビジョナリスト(新20)

(問題解決を目指さないビジョンもどきと問題解決を目指すビジョンは、区別されるべきです)



「ヒストリー対ビジョン」というフレームで、物事を整理する場合に、注意すべき点があります。それは、問題解決を目指さないアイデアにビジョンという名前をつける事例があることです。



ここで、ビジョンを振り返ってみます。ビジョンは、問題解決のための展望であり、ビジョンに従って、手順を組み立てていけば、問題が解決できると思われるアイデアです。

 

もちろん、実施段階で、ビジョンが予想通りに展開せずに、問題解決ができない場合もあります。

 

それでも、ヒストリーを繰り返すよりは、ビジョンの方が、問題解決に至る確率が高いと考えられます。

 

本来、ビジョンは問題のあるところには、ビジョンがあるといった性質のものですが、全く異質なものを、ビジョンと呼んでいる例もあります。

 

国土利用計画のサブセットとして、都市計画区域マスタープラン(正式には、「都市計画区域の整備、開発及び保全の方針」)を定めるルールになっています。

 

これはマスタープランであって、ビジョンではありません。ビジョンは、問題を特定して、その解決方法を提示します。ビジョンのサブセットとして、ロードマップが描かれ、ロードマップが個別に実施されることで、問題が解決されます。

 

都市計画区域マスタープランは大切です。しかし、そこで、ビジョンという単語を乱用することは望ましくないと考えます。



たとえば、高齢化で自動車の運転が出来ない人がいます。田舎では、公共交通は少なく、運転ができないと、移動ができなくなります。

 

高齢者の移動手段を確保することが問題であれば、それを解決するビジョンは、自動運転の自動車を開発することです。

 

都市計画区域マスタープランの作成のガイドラインには、ビジョンという単語を使う指定はなさそうです。しかし、理想の将来の都市像をビジョンと呼んでいるマスタープランも多いようです。理想の将来の都市像には、実現のための手順が含まれませんので、問題解決を目指していません。都市計画区域マスタープランには、問題解決の手順を書くルールにはなっていませんので、そのこと自体に問題はありません。

 

しかし、多くの問題は、誰かがどこかで、問題解決に向けたビジョンを作って動き出さなければ、解決しません。

 

少子化の問題も、30年以上前から指摘されていましたが、結局、誰も、ビジョンを描けて、動きだしていません。「変わらない日本」が実現しています。

 

都市計画は、一つの例で、同じような意味で、ビジョンという単語を使っている例は多くあると思います。

 

しかし、「変わらない日本」から脱却するためには、ビジョンに真摯に向かうことが必要なので、できれば、問題解決をする本来のビジョンと、問題解決を目指さないビジョンもどきは区別すべきだと考えます。

 

例えば、本書の読者が、ビジョンの意味を、問題解決の手順を含まない望ましい将来像であると勘違いされると、ここで書いている論点は、全く理解できなくなります。

そうした事態は、出来れば、回避したいです。