亀形山吉祥院(境町)
亀形山(きぎょうさん)吉祥院(きちじょういん)は、真言宗豊山派のお寺です。
参道の先に鐘楼を兼ねた山門があります。山門をぬけると本堂があり、本尊は、不道明王です。 この山門は江戸時代の文化のころ、利根の水運で栄えた境町の豪商箱島善兵衛らの寄進と伝えられています。
吉祥院は、猿島坂東三十三番観音霊場の第3番札所で、12年に一度ご開帳されるときには、混雑します。
第三番の札所は、観音霊場の創設時は狩野にあった道全院でしたが、明治になって全道院が廃寺となり、本寺の吉祥院に併合されたため、吉祥院に移っています。当札所は十一面観世音菩薩を祀っています。
箱島善兵衛は、与謝蕪村と親交のあった俳人で、箱島阿誰(あすい)ともいいました。阿誰は、1711年(正徳元年)に関宿向下河岸(現・幸手市)に内堀家の三男として生まれます。本名は布慶です。その後、境町の雑穀問屋等を営む初代箱島忠右衛門の娘ヤスの婿となります。善右衛門、善兵衛と改名しています。善兵衛は、1772年(安永元年)12月15日、62歳で生涯を閉じます。吉祥院は、菩提寺です。子孫の箱島家は現在も、町内でお店を経営しています。
阿誰の俳諧歴は、松尾芭蕉亡きあと、江戸俳諧を復興した宗阿(そうあ)(本名早野巴人)に1738年(元文3年)に入門して始まります。俳号は始め蛙吹(あすい)、のち阿推(あすい)、阿誰(あすい)と変わり、他に郢月泉(えいげつせん)、樗斎(ちょさい)とも号しました。蕪村は1737年(元文2年)に、宗阿に入門していますので、阿誰は、入門当初から、蕪村と親交を深めたと思われます。
写真1は、本堂です。本堂の左右には一対の桜の木があり、桜の名所になっています。
写真2と写真3が、山門です。
山門については、検索にかからないので、箱島善兵衛が、亡くなった1772年以降の建築である可能性が高いと思われます。
写真4は、銀杏の木です。
http://www.ch-dog.info/kannonntop/sarushima/01to09/01to09.html