S-gallery(境町)
S-Gallery粛粲寶美術館は、 画家・粛粲寶(しゅくさんぽう、1902~1994年)の作品を展示する美術館で、114㎡の木造平屋です。2020年8月26日に開館しています。隈研吾氏の設計です。
NSG美術館のデータを中心にまとめると、粛粲寶は、次のような人です。
粛粲寶(1902-1994) 明治35年(1902)新潟市西堀に生まれ。本名は水島太一郎。大正7年(1918)に上京後、堤商会(のちの日魯漁業、現マルハ)に経理係として勤務。堤商会は三条市出身の堤清六が設立した会社で、堤は粛粲寶の血縁者であり支援者でもあった。働きながら堤の計により大倉商業学校(のちの東京経済大学)に学ぶ。大正11年(1922)学校の近くにあった黒田清輝主宰の葵橋洋画研究所に入所。その後堤商会を退社し、画家として生きていくことを決心。27歳で帝展(油彩)初入選。28歳で同郷の小林古径に勧められ出品して、院展(日本画)初入選。31歳頃絵から一旦離れる決心をし、奈良の古寺に寄食。35歳頃帰郷し、創作活動を再開。俳句雑誌の表紙やカット等を描くようになり、朝日新聞のカットを描いたことにより世に認められる。52歳の時に画号を「粛粲寶」と改める。以降は全国各地で個展を開催。70歳の時にパリにて個展開催。平成元年(1989)87歳の時に東京都杉並区久我山より唯一の弟子を頼って茨城県猿島郡堺町に転居。平成6年(1994)に91歳で没。
写真1は、道路から見たS-Gallery粛粲寶美術館です。隈研吾氏のトレードマークの木の板の並びがあります。また。左側の三角屋根の重なりは、綺麗に見えるように、角度が工夫されています。
写真2は、s-Lab側から見たS-Gallery粛粲寶美術館です。敷地の制約が強く、このアングルでは、あまり、見栄えはしません。