霞ヶ浦平和記念公園(阿見町)
紛らわしいのですが、予科練平和記念館と雄翔館(予科練記念館)は、別の建物です。 撮影旅行時には、3.は閉鎖されていましたので、1.と2.を、2回に分けて、紹介します。
予科練と霞ヶ浦飛行場
最初に、予科練(よかれん)について整理しておきます。
予科練とは、大日本帝国海軍における航空兵養成制度の海軍飛行予科練習生の略称です。
それから、大日本帝国海軍の組織に、「霞ヶ浦」と「土浦」が出てきますが、所在地は、阿見町です。
詳細は、予科練平和記念館の「予科練とは」を、参照してください。
ここでは、日本の空軍の歴史でまとめておきます。
1921年(大正10年)7月22日 - 霞ヶ浦飛行場開場ができます。
1921年9月から1922年10月 - センピル教育団による講習が行われ、日本海軍航空隊の技術は大きく前進します。講習が終わった1922年11月1日、霞ヶ浦海軍航空隊が開設され、同月から終戦に至るまで搭乗員養成の飛行教育が行われています。
より正確に言えば、海軍の航空隊の中心は、霞ヶ浦と横須賀の2本柱でした。
1929年(昭和4年)12月、海軍省令により予科練習生の制度が設けられた。
1930年(昭和5年)6月1日 、横須賀海軍航空隊に飛行予科練習部が置かれる。このときに、教育の中心が、霞ヶ浦から、横須賀に移転します。
1939年(昭和14年)3月 - 横須賀海軍航空隊から霞ケ浦航空隊に移転します。この時に、予科練も移転しています。
1.2.3。の施設は、南から、北に隣接しています。
霞ヶ浦平和記念公園(廻戸地区近隣公園)
一般には、廻戸地区近隣公園の別名が、霞ヶ浦平和記念公園です。しかし、この表記には問題があります。
写真1は、廻戸地区近隣公園の案内版です。ここには、予科練平和記念館は、ありません。
予科練平和記念館は、隣接する敷地にあります。
予科練平和記念館は、予科練平和記念館の建物をさす場合と、予科練平和記念館の建物がある敷地を示す場合があります。
一般には、予科練記念館の敷地をしめす予科練記念館という単語が、理解されないので、予科練記念館の建物のある敷地が、霞ヶ浦平和記念公園だと理解されるようです。
さらに、霞ヶ浦平和記念公園=廻戸地区近隣公園とも解釈されます。
その結果、「霞ヶ浦平和記念公園は、予科練平和記念館と同じ敷地内にある公園」といった、間違った解釈が、横行しています。
写真1には、霞ヶ浦平和記念公園とは、書かれていませんが、阿見町の観光協会のHPには、「霞ヶ浦平和記念公園(廻戸地区近隣公園)」とありますので、これで、間違いではないようです。
写真2、写真3、写真4が、廻戸地区近隣公園です。
立派な公園ですが、公園内には、予科練に関係するものはありません。