グリムの森・グリムの館(栃木県下野市)
グリムの森・グリムの館は、栃木県下野市(旧石橋町)にあります。
下野市の説明は以下です。
石橋町(下野市)は昭和41(1966)年、グリム兄弟が生まれ活躍したドイツのヘッセン州にある、シュタインブリュッケン村の児童と絵画や習字などの作品交換を始めました。 「シュタイン=石」「ブリュッケン=橋」を意味するこの村は、同じ「石橋」という名前なのです。
平成8(1996)年11月にはその中核施設となる、このグリムの森・グリムの館を開館し、グリム兄弟のこと、グリム童話のこと、また姉妹都市のあるドイツのことについて、多くの皆様に知っていただこうと資料の収集・展示をおこなっています。 現在、シュタインブリュッケンは周辺の3村と合併し「ディーツヘルツタール」の一部に、石橋町も合併して「下野市」となりましたが、下野市とディーツヘルツタールは姉妹都市として、変わらず交流を続けています。
公園の名称が、グリムの森で、建物の名称が、グリムの館です。
図1が、グリムの森の地図(下野市のHPより)で、図2が、グリムの館の1階平面図(下野市のHPより)です。
写真1が、ガチョウの泉から見たグリムの館です。
写真2が、グリムの館の外観です。
ともかく、大きいと感じます。
グリムの館は、ドイツのレッティンゲン庁舎をイメージして造られています。設計は、国立新美術館やゴッホ美術館などで知られる故黒川紀章氏です。(注1)黒川紀章氏は、旧石橋町には、石橋中学校も設計しています。
グリムの館の屋根は、3つありますが、内部ではつながっています。右の屋根は、多目的ホールで、300人収容の電動式移動客席があります。図2を見ると、配置がわかります。
グリムの館は、ドイツのレッティンゲン庁舎をイメージして造られていると書きましたが、バロック様式のレッティンゲン市庁舎は、1750年建設の4階建て、切石造りの重厚な建物で、時計塔を載せたマンサード屋根(二重勾配の腰折れ屋根)や錬鉄製の噴水を持っています。このデザインは、写真1の右の多目的ホールに使われています。
写真1の左の2つの三角屋根は、ドイツの木骨造の建物のデザインを踏襲しています。
写真3が、グリムの館の展示ホールです。窓には、カーテン等が一切ないので、直射日光が、ホール内に、注いでいます。展示品の劣化防止を考えれば、カーテン等の日よけがあるべきです。
グリムの森・グリムの館は、要するに、姉妹都市のゴロ合わせで作られています。
開館の1996年は、このブログのいくつかの建築で紹介しているように、バブル、あるいは、ケインズ政策で、公共投資が大盤振る舞いであった時代で、グリムの館も、その時代の名残を感じます。
グリムの館が、石橋町の伝統や、文化とは隔絶している点は否めません。電動式移動客席も、この時代に好んで使われています。これは、体育館とホールが兼用できる利点がありますが、ホールの音響効果は劣悪になります。体育館とホールは分離して、ホールのサイズを小さくすればよいのですが、大きなホールにこだわる結果、電動式移動客席が使われます。大きなホールの利用率は低いので、大きなホールが必要な場合には、町外のホールを借りるか、公演の回数を増やせば対応できるのですが、わが町にも大きなホールが欲しいという金太郎飴の発想があると電動式移動客席が登場します。ここでも、その危惧を感じます。
風景写真としてみると、グリムの館の前には、花壇または、プランターが欲しくなります。
注1:
黒川紀章氏の著名な建築の銀座の「中銀カプセルタワービル」は、先月、来春にも、老朽化で解体される見通しになりました。年内であれば、まだ、姿を見ることができます。
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グリムの館 施設のご案内:はじめに
https://www.grimm-no.net/01_guide_index.html
http://www.city.shimotsuke.lg.jp/0061/info-0000002526-5.html
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レッティンゲン wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3
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Timber framing wiki
https://en.wikipedia.org/wiki/Timber_framing#German_tradition_(Fachwerkh%C3%A4user)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/135361
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