浅間山と鬼押し出し岩(群馬県嬬恋村)
鬼押出し岩のエリアは、北軽井沢と呼ばれることもありますが、住所は、嬬恋村です。
wikiの火山爆発指数によると、火山爆発は、噴出物の量で、ランク分けされます。
江戸時代以降でも、火山爆発指数:VEI5の噴火が5回、火山爆発指数:VEI4の噴火が、15回あります。
例えば、富士山に宝永山ができた、宝永大噴火は、火山爆発指数:VEI5です。
浅間山では、1783年5月9日(天明3年4月9日)から始まり、約90日間にわたって、天明大噴火が起きます。
この噴火は、火山爆発指数:VEI4で、宝永大噴火より、1ランク下ですが、1624人が死亡して、日本火山災害史上最大の惨事と言われています。
浅間山の天明大噴火と、富士山の宝永大噴火では、共に、火山灰が関東地方に降り注ぎます。
天明大噴火では、火山灰が、河川をふさいで、2次災害がおこります。
90日間にわたった天明大噴火は、最後に、溶岩流を吐き出して停止します。この溶岩が風化した結果形成された奇勝が、鬼押出し岩です。
一帯は1783年(天明3年)におきた浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩で、膨大な量の溶岩が風化した結果形成された奇勝を巡回できる。経営母体は株式会社プリンスホテル。
西武グループの母体となった箱根土地の創業者の堤康次郎が1919年に鬼押し出し岩の観光開発を目論みます。箱根土地傘下の沓掛遊園地株式会社が1920年、鬼押出し六里ヶ原の国有地80万坪の払下げを受け、翌年から道路整備を進め、1928年にはバス運行を開始するなどの観光開発を推進します。1935年には園地内の遊歩道整備と、木造3層展望台の「岩窟ホール」が建設されます。
1951年7月1日、現行の「鬼押出し園」として営業を開始します。
1963年8月には、類似の施設である長野原町立の公園である鬼押出し・浅間園が開園します。鬼押出し・浅間園は、嬬恋村にありますが、そこの土地は、長野原町の町有地です。
この2つの園は、対立していた経緯があるため、お互いに、隣の施設のことは、紹介しないそうです。
なお、鬼押出し園のホールは1961年焼失して、現在のホールは、1970年に池原義郎設計により鉄筋コンクリートで再建されています。
写真1と写真2が、浅間山です。
写真3が、鬼押出し岩です。
写真4が、岩窟ホールです。
なお、訪問時には、鬼押出し園は営業しておらず、ホールおよび、鬼押出し岩の一帯には入れませんでした。
鬼押出し岩という名称から、溶岩ドームを連想していたのですが、粘性の低い溶岩でした。
溶岩の広がったエリアとしては、富士山の周辺と変わらない印象を受けました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%96%93%E5%B1%B1
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火山爆発指数 wiki
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1万年噴火イベントデータ集(ver. 2.5)
https://gbank.gsj.jp/volcano/eruption/
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