北条堰(裏堀用水頭首工、裏堀用水堰)~つくば市とその周辺の風景写真案内(545)

北条堰(裏堀用水頭首工、裏堀用水堰)

裏堀用水(北条用水)は、桜川から、水を引いて、北条の周辺を潤しています。この桜川の取水地点にある堰が、北条堰です。

つくば新聞の記載は以下です。


桜川の禊橋のすぐ下流にある堰。およよ800年前、鎌倉時代の建久年間、この地方を治めていた多気太郎善幹公が石堤を構築、併せて灌漑用水路を作ったことに始まる。 大正初期にコンクリート堰に改築された。現在の堰は、桜川河川改修の補償工事で1999(平成11)年に完成した。 ゴム製起伏堰。幅36.3m、高さ3.1m。灌漑面積は約231.8ha。つくば市国松。


管理主体は、筑波土地改良区(茨城県つくば市北条4454−2 )と思われます。

なお、多気太郎(多気 義幹たけ よしもと)伝説には、多気太郎個人ではなく、武士集団の代名詞として使われていた可能性(wiki)があります。

多気太郎塔(伝墓)を含む石造宝篋印塔について、櫻井敦史氏は、次の様に、まとめています。


関東の石造宝篋印塔は、茨城県つくば市の宝篋山にあるものが最古の例です。この塔が忍性(奈良西大寺の高僧)の引き連れてきた西大寺系石工集団により造立されたことは確実と見られ、恐らく大蔵派の作品ではないかと思います。

平安末期には大型塔の造立が全国に幾例かあり、関東では茨城県つくば市多気太郎塔が知られています。これらはみな、重厚な形状を特徴とします。※つくば市多気太郎塔の造立年代は、鎌倉前期と言われていますが、なお検討の余地を残すものです。しかし明らかに西大寺五輪塔とは別の系譜に属する大型塔で、関東の資料としては特筆すべきものと判断します。


この2つの石造宝篋印塔は、既に紹介しています。

 

北条五輪塔(伝 多気太郎義幹墓)~つくば市とその周辺の風景写真案内(433) 2021/06/11

宝篋山山頂~つくば市とその周辺の風景写真案内(398) 2021/05/07

 

多気太郎が作ったといわれる多気城についても、 竹井英文氏は、戦国時代の後期という説を紹介し、それを支持しています。

Google Mapで、見ると、裏堀用水は、桜川から、取水後、桜川の支川の下をサイフォンでわたっています。

桜川の支川と裏掘用水にも、「桜川」というキャプションがついているので、紛らわしいです。

しかし、サイフォンは、戦後に普及した土木構造物であって、大正初期にコンクリート堰に改築した時にはなかったと思われます。

今昔マップを見ると、1894-1915年と1928-1945年の地図では、現在は、桜川の支川になっている部分が河道で、現在の河道はありません。取水堰は、現在は、サイフォンがある部分にあります。地理院地図の1961-1969年の航空写真、今昔マップの1972-1982年の地理院の地図をみると、現在の河道ができていて、桜川の旧河道にある堰に導水するために、新しい河道に斜め堰が設けられています。この位置は、現在の北条堰にほぼ対応します。これから、大正時代の堰の位置は、現在のサイフォンの位置で、河道が移動して、取水が出来なくなったために、あとで、新河道に斜め堰を追加したと思われます。

1988-1990年の地理院地図の航空写真でも、この2つの堰がセットで使われていることが確認できます。

ということは、サイフォンができたのは、1999年の河川改修のときと思われます。

個人的には、北条堰は、戦国の後期以降の可能性が高いと考えています。その理由は、豊臣秀吉の刀狩り以前には、農村に武器がありましたので、水争いは、武力闘争でした。この状態では、ため池のような点の施設であれば、警備できますが、用水路のような線施設であれば、警備が難しいです。このため、戦国時代以前の用水は限定的になります。

水利権掲示が見えなかったので、取水量がわかりませんでした。水路断面からすると、1から2m3/sの規模と思われました。つくば新聞の受益面積231.8haを丸めて、250haとして、日用水量を25㎜/d、搬送効率を0.5として計算すると次式になります。

250hax25mm/d÷0.5=1.45m3/s

つまり、1.5m3/sです。これからも、1から2m3/sは、大きく外れていないと思われます。

なお、wikiの北条米の説明には、北条米の水源は、ほとんどが霞ヶ浦用水と書かれていますが、明らかに間違っています。

写真1は、北条堰上流の桜川と筑波山です。

写真2と写真3は、北条堰です。写真1の左側に取水口が見えますが、取水口の高さが高いため、3m近く堰上げする構造になっています。環境面では、改善の余地が大きいです。

写真3にも、筑波山が見えます。

 

  • 桜川 つくば新聞

http://www.tsukubapress.com/river/sakurariver.html

  • 中世石造物 宝篋印塔と五輪塔 櫻井敦史

https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/note/notebook4.htm

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%B0%97%E7%BE%A9%E5%B9%B9

  • 戦国後期の南常陸多気城 一橋研究第34巻3号 竹井英文

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/18014/kenkyu0340300330.pdf

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E7%B1%B3

  • 今昔マップ

https://ktgis.net/kjmapw/

 

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写真1 桜川と筑波山

 

 

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写真2 桜川と裏堀用水頭首工

 

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写真3 桜川と裏堀用水頭首工

 

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