共通の問題を整理する(1)

共通の症状の可能性

コロナ対策は、おそらく、間に合いません。より正確に言うのであれば、間に合う様に解決する意思のある人間や組織がいないということです。(もちろん、そうした人がゼロではありませんが、極度のマイナリティにとどまって、社会的な影響力は、極めて小さいです。注1)これは、政治家だけの問題ではありません。

野党は言うに及ばず、官僚も、政治の半分を担っています。また、マスコミや、その分野の専門家も責任の一旦を担っています.どうしてこうなるかという説明の一つは、前にもあげましたが、「集団思考」ということになります。しかし、ここまで、問題解決の一端を担う関係者や関係組織の機能不全が蔓延して来ると、集団思考という枠組みで捉えることには、無理がある気もします。行動パターンには、共通の特徴があります。以下は、例で、カテゴリーには、重複があり、整理されてはいませんが、気づいた点を列記します。

  • ことを荒立てないこと。

  • 反対者がいたら現状を変えないこと。

  • 問題の解決を先送りにすること。

  • 責任と分担を明確にしないこと。

  • シナリオやビジョンを作らない、あるいは、作れないこと。

  • 意思決定のフレームワークと期限を設定しない、あるいは、設定できないこと。

  • 問題解決の意図のないコメントが蔓延していること。

  • 科学や技術を尊重しない、あるいは、理解できないこと。

  • 論理的な議論ができず、空回りして、検討が先に進まないこと、あるいは、感情表現だけで、議論ができないこと。

 

このリストは不完全で、改善すべきですが、見ていただけば、言いたいことは理解できると思います.この各々には、補足説明が、つけられますが、煩雑になるので、最初のリストの例だけを示します.

「ことを荒立てないこと」の中身は、急激なアクションを回避する行動原理です。フランスでは、フランス革命の時に、民衆が、血を浴びながら行動します。日本では、明治維新の時に武士階級の一部で、過激な運動に走りますが、民衆は動いていません。昭和の学生運動では、一部の学生が過激派になり、自滅しますが、民衆の支持は得ていません。日本では、政治問題で、死者や怪我人が出ることは稀です。血を見ることは少ないです。反面、問題が放置されて、死亡する人が、いますが、社会的に、マスコミなどで、取り上げられることは少ないです。闘争によって、権利を守る行動は見られません。

 

論理的な思考の欠如

論理的に、検討できる最後のリストを取り上げます。

論理的な思考の例は、コロナウイルス対策です。

コロナウイルスが拡がった時、PCR検査をして、陽性者を隔離、治療する操作を続ければ、集団から、コロナウイルスを持った人はいなくなります。簡単に言えば、コロナウイルスが国内に入ってくる前の状態に戻せます。コロナウイルスの感染者をなくす方法は、次の2つです。

  1. コロナウイルスは、取り除いて、コロナウイルスは、国内に入ってくる前の状態に戻す。

  2. 集団免疫ができるまで、ワクチン接種を行う。

この2つ以外の解決方法はありません。

国際的な交流がありますから、永久に1.を、続けることはできません。したがって、1.をつかって、時間稼ぎをしながら、2.をすすめることが、基本戦略になります。英国は、2.が、完了したと考えていますので、1.を解除しています。

PCR検査を十分な数だけ行わなければ、1.は実現できません。1.を行うと、感染者が、治癒した段階で、感染源から取り除かれます。この取り除かれる速度が課題になりますが、今まで、問題にされてきていません。例えば、拡大再生産数は、拡大速度と感染者が取り除かれる速度の差です。取り除かれる速度が、拡大速度より大きな場合には、陽性率が減少するはずです。こう考えれば、コロナウイルスが管理できているかの判定基準は、PCR検査を十分に行ったうえで、陽性率の増減を見ればよいはずです。

緊急事態宣言の判定基準は、専門家が集まって議論したので、権威があると思われていますが、論理的には、合理性のない基準です。

緊急事態宣言の基準の不合理性は、コロナウイルスを抑えつつあるのか、封じ込めに失敗しているのかの基準ではありません。

また、現在の行われている対策を評価して改善するための基準でもありません。

例をあげます。

生活習慣病で、BMIを見ていたとします。BMIは、ある値を超えると、緊急事態宣言と同じように、体が危険水位に達したことになります。しかし、通常は、そうなる前に、BMI値の増減をチェックします。大人になると身長は伸びませんので、体重をウォッチします。簡単に言えば、食事を減らすか、運動を増やします。ここのところがポイントです。

非常事態宣言の判定条件には、BMIのような、行動変容を反映させる使い方がありません。

 

非常事態宣言の判定条件には、病床使用率があります。この指標は、普通に考えれば、病床使用率が上がった時点で、分母の病床を増やして、入院できない医療崩壊が起きないようにする指標です。ところが、現在の使われ方は、入院を抑制するための指標になっています。緊急事態宣言が、コロナウイルスの蔓延を防ぐためのものであれば、病床使用率を設定した時点で、増床のための建設を開始するか、既存の病床を転用するための事前の承認を得ておく必要があります。それをしていませんので、緊急事態宣言には、コロナウイルスの病床を確保する効果、治療を確保する効果はありません。つまり、何のための緊急事態宣言か、あるいは、その判定条件かを問う必要があります。緊急事態宣言には、実際に問題を解決するのではなく、問題に対処しているというアリバイ作りの即面が非常に強いのです。アリバイ作りとは、問題の解決をせずに、先送りして、努力しているということを見せるための行動(演出)をすることです。例えば、首相の訪米に合わせて、ワクチンの確保ができたという報道は、アリバイ作りの演出です。ワクチンは、増えていますが、十分に足りる量ではありません。また、商談の発表を、訪米まで止めておくのは、演出で、およそ、危機管理に反する行動です。論理的な思考の欠如の問題点を整理しておきます。

論理的な思考は、行動の目的と効果を論理的に評価し、問題解決を図るために使います。そこでは、今までそうして来たからというヒューリスティックや、演出は排除される必要があります。行動の目的は、問題解決です。コロナ対策であれば、感染拡大の防止と、治療の確保です。例を挙げます。

コロナ禍の下で、オリンピックを行ったことは、合理化できません。理由は、単純で、オリンピックは、100%演出だからです。これは、マラソンなどを見れば、わかります。世界記録は、オリンピックとは関係ありません。人間の体力の限界に、挑戦することとオリンピックは、別の話です。対戦型の競技では、比較する記録がありませんが、アルファ碁のように、対戦相手の一方が、AIであれば、物理的に同じ空間にいることに意味はありません。ですから、対戦型の競技でも、オリンピックは、必須ではありません。

コロナで瀕死の患者がいるから、100%演出の映画館で、映画を見るのは、けしからんということではありません。しかし、それは、個人の活動だからです。コロナ禍の下で、税金を投入して、演出であるオリンピックを行い、そのために7000人の医療関係者を割り当てることを、自治体や、国が率先して行って良い理由などありません。

 

オリンピックを自治体が行うことは、モントリオールで躓いています。このために、オリンピックは、商業化しています。自治体は、場所を提供するために、協力はしますが、収益は民間が行います。簡単に言えば、オリンピックは、第3セクターの東京都株式会社が行うものなのです。東京都株式会社が、赤字になるのであれば、オリンピックは中止されます。契約時に、この点は、明記することが、ロサンジェルス以降のルールのはずです。論理的に考えれば、ここで、道を踏み外した点に問題の発生原因があります。その後の経緯は、太平洋戦争とそっくりで、これから、戦後処理が始まるわけです。IOCが、首相と都知事を特別に表彰した理由は、ここにあります。中国のような、途上国では、国威発揚で、赤字覚悟で、オリンピックを開催する場合もありますが、税金の使い方としては、不適切なので、先進国では、あり得ません。1964年のオリンピックは、国威発揚の場であり、アマチュア主義でしたから、黒字の概念はありませんが、今は、商業主義の演出なので、日本以外の先進国では、税金は投入できません。あるいは、日本は、依然として、先進国ではないのかもしれません。

 

注1:上久保誠人氏や遠藤誉氏は、PCR検査の徹底や、野戦病院をつくることを主張しています。

 

https://diamond.jp/articles/-/278599

 

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