鷲穴用水(タリアセン)(長野県軽井沢町)
タリアセンの歴史を語るうえで、江戸時代に作られた「鷲穴用水」(わしあなようすい)ははずせません。
1961年に、「鷲穴用水」から水を引き込み、中の島を有するアイススケート場用の人造湖「塩沢湖」が造成されます。1971年には湖周辺が整備され「塩沢遊園」が開園します。その後レジャー施設が造られ、1983年に「塩沢湖レイクランド」に改称します。1986年のリニューアルを経て施設を拡充し、1996年に総合レクリエーション施設「軽井沢タリアセン」となっています。
コメの過剰生産と減反が問題になったのは、1971年ころなので、1961年当時は、農業が終わったあとの冬の水をつかって、スケートリンクを作ったのが始まりと思われます。その減反政策と別荘地の造成で、水田が使われなくなり、夏季の水も、タリアセンで使われるようになったと思われます。
写真2は、赤い矢印の先端当たりから、水路の上流方向を見たものですが、水路がどこにあるのかわかりません。
写真3は、写真1の案内版の「現在地」の表示の左の部分の水路です。この部分では、かろうじて水面が確認できます。
塩沢湖の大きさからすると流入量は、少なく思われます。都市部であれば、富栄養化の問題が起こるレベルと思いますが、それが少ないのは、流入水に含まれる栄養塩類の量が少ないためと思われます。
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