大高正人は、1976年に新都市記念館を完成します。その後、1980年に体育館を完成します。洞峰公園の開園は、体育館のできた1980年です。
今回、サクラの木を探しながら、洞峰公園内を歩いて、どうやら、自分が、大高の設計意図を読み違えていたことに気づきました。例えば、研究学園都市移転に伴って建設された、最古の建築である研究学園都市記念館は、このブログで、過去に紹介しています。注1)それは、研究学園都市記念館に近づいて、カメラのフレームに最大に写る記念館をセットし、次に、アングルを変えて、ベストな向きを探すという方法でした。多くの建築は、この方法で、それなりに撮影できます。しかし、研究学園都市記念館は、うまくいきませんでした。
写真1は、洞峰沼です。左に研究学園都市記念館が、中央奥に、木に半分隠れて、体育館が見えます。非常に、バランスのよい構図です。
大高のもっていた美意識は、他の建築家とは違うように思われます。
写真1のように遠目でみれば、研究学園都市記念館を含めて、ほほ完全なバランスの風景になります。しかし、近づくと、綺麗な風景は蜃気楼のように消えてしまいます。
最近、風景を撮影するときに、この大高の美意識でみなおすと、気づかなかったアングルが見つかることが多くあります。
恐らく、洞峰沼の水辺に、サクラ並木を配置するなどということは、この美意識が許さなかったのではないかと推測しています。
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