資本主義の青い車と社会主義の赤い車

資本主義などのイデオロギーと車のデザインには、共通性があります。イデオロギー論争では、貧困解消などの社会問題の解決は、イデオロギーが左右していると考えます。しかし、本当の問題点は、イデオロギーではなく、車の性能のような社会システムや技術の性能ではないでしょうか。


人類は、進化の過程で、集団行動を容易にするために、言葉を生み出します。イデオロギーは、集団を形成するための物語の一つです。宗教が典型ですが、人類は、言葉によってつくられた物語を、実体であると考える認知バイアスを持っています。社会システムも含んで考えれば、社会を変える力は、技術です。自動車は、それまでの鉄道や、舟運に代わって、社会を変えた交通システムの技術です。資本主義でも、社会主義でも、自動車と道路があれば、交通システムが変わり、社会は、変わります。

資本主義のもとで生産された青い車社会主義のもとで生産された赤い車は、走る上では違いがありません。つまり、資本主義だから、社会がこうなる、社会主義だから、社会がこうなるということは言えません。(注1)

現在の技術で、社会を変える最も大きな力をもっている技術は、ITです。ITが、リモートワークや、自動運転を可能にすれば、モノを動かしませんが、交通システムを変えてしまいます。つまり、鉄道が、自動車に置き替わったと同じレベルの変化が起こります。ITの高速道路に相当する技術は、ネットワークとクラウドです

イデオロギー論争の例として、資本主義の終焉を考えます。資本主義が終焉しているという議論は、経済成長率の時系列グラフを書いて、成長率が低下し、利回りが低下していると指摘します。しかし、自動車による通勤をリモートワークに切り替えれば、ITによる消費電力の増加を除けば、モノの消費やエネルギーの消費は減ってしまいます。つまり、IT化はGDP成長の抑制要因になるはずです。

時系列データによる議論は、こうしたエコシステムの交代を無視しています。渋滞の中を自動車で通勤していた人が、リモートワークで、渋滞から、開放されれば、QOL(生活の質)は増加します。労働という同じ効果をあげるために、消費する資源量が減りますから、より少ない資金で、運用できることになります。そうなれば、利回りは低下します。

以上のように考えると、イデオロギー(社会哲学)で考えることで、合理的な結論が得られる場合は、限定的と思われます。資本主義の終焉論争は、あまり、実りのある論争とはおもわれません。

注1:

イデオロギーが、問題解決を左右しないとすると、残された違いは、死刑の数や、人権侵害です。これらの行為は、イデオロギーから導きだされないので、イデオロギーとは独立して、論じられるべきです。しかし、イデオロギー論争が起こると、これらは、イデオロギーの一部として、単独に検討されることがなくなります。つまり、人権問題は、イデオロギーを隠れ蓑にして、論じられなくなります。ポパーが、「開かれた社会とその敵(1945)」で問題にした論点が、ここにあると思います。